2015年6月13日土曜日

異常?

トンイに始まって、馬医、イサン、ホジュンとネットで韓国ドラマを観てしまった。これで終わるつもりだがトンイで懲りてそう思ってこのありさまである。どこがと問われると答えようがない。馬医は4回も観てしまった。あらためて考えてみると身分制度のはっきりしている時代にその身分を超えて一途な想いが共感を呼ぶのだろうか。それは計算できない愛だからだろうか?

それと観ていて思ったことは正義とは赦しとはということも考えさせられた。福音書に律法学者が律法を盾にイエス様を糾弾していることがいくつか登場する。それ自体は正しかったがただそれだけである。癒された者がどうなるかは彼らにとってどうでもいいことである。これが律法の義であり、人はここにまでしか踏み込めない。しかし、イエス様はその先の「この人が生きる道」を提示した。そして生かされて生きるのである。正義があれば裁ける。しかし真の正義はその人を生かすのである。赦しも同じでこれは許すがこれはダメではなく、その人の全人格を赦し受け入れるのである。イエス様にしかできない。そして多くの人が生かされた。これからも続く。

全部かどうかは分からないが実在の人物だそうだ。映画だからそれなりのフィクションもあるだろうが主人公を想う一途さだけでなく、人を赦し、生かす道にヒントを与えてくれたようにも思う。それと我が現実とかけ離れているからかもしれない。暗い映画館で映画を観ながら自分をその中置いて観ていた若い日の出来事を思い出した。これでジ・エンドにしたい。でも娯楽のブックマークに登録しているから印象に残ったところは暇なときに観るかもしれない。それと読解力がなくなってきたのでつい安易な方向に流されてしまう。さぁ老いて新たな戦いが始まる。その前に意志薄弱だからギブアップしそう~。