2015年6月13日土曜日

福音理解

幾つかのブログをお気に入りに入れて読んでいる。その中で毎日更新しているのは一つか二つでほとんどが月に何回もない。そんな中で最近お気に入りにいれている「鏡を通して」に『「福音」とは何か(関野祐二師ゲスト投稿 その2)』の中にどこか共観するものがあった。諸集会に生まれてどこかアウトサイダー的に育った者だけが持つ疑問かと思っていたら戦後キリスト者として生まれ育った人たちの持っていた信仰そのものにあるようでホッとする。これは欧米の宣教師の福音の捉え方の問題かと思わされた。救いだけを強調するならこうなるのかもしれない。これから艱難時代にその前に携挙等がと重視されるが最終的な新天新地のことはあまり触れられない。こちらの方がより大切ではと思うのだがどうなのだろう。今も漠としたものだが福音理解は今のようではなくもっと広いものではないだろうかと思っている。神の国の完成に向かって歩む神の民の生き方はとそんなことを考えている。