2015年8月1日土曜日

ひとつの詩

「もし私が一人の心を」

もしわたしが一人の心を傷心におちいらせないようにすることができるなら、
わたしの生涯はむだではないであろう。
もし一人の生命の苦悩をやわらげることができるなら、
あるいはまた、一羽の弱りはてている駒鳥を助けて
その巣の中に再びもどしてやることができるなら、
わたしの生涯は無駄ではないのであろう。
                  (太田俊雄訳)
                         ―E・ディッキンスン
キリスト者となってから
生きがいを与えてくれた一つの詩です。
人の心を傷つけないようにすることや
人の苦悩をやわらげることはできないけれど
駒鳥を巣に戻すくらいならできるような気がして
(実際には人に見つけらた巣には親鳥は戻って来ないでしょう)
これは物を右から左に移す行為にすぎない

それでも「わたしの生涯は無駄ではないのであろう

自信のない人間にとっては大きな慰めであり、生きる指針になりました
しかし、
小さな行為でも、私は何かが出来る
だれかの役に立っているという視点に立っている
それは、何かが出来る何かをする世界
それは小さな行為も大きな行為もみな同じ
この世界は「そこにいるだけ」の世界は存在しない
「そこにいるだけ」の
この世界は誰もが納得できない世界
何かをする何かが出来ることは幸いである
しかし
存在するだけでも素晴しいと
イエス様は語っているように思う
わたしも
何かが出来るからではなく
「そこにいること」
それを大切にできたらと思う