2015年8月4日火曜日

第2サムエル記を読みながら

韓国ドラマ「トンイ」がきっかけでイ・ジョンフンのドラマ「馬医、イ・サン、ホジュン」と観てもうやめようと思いながら「商道」を観てしまった。もうこれでと思いながら「わたしの期限は49日」(演出はジョンフンではない)という変わった現代ものを見て、さらにこれでと思いながらネットで観れる残りの「宮廷女官チャングムの誓い」をそして韓流ドラマにはまったわけではないが「トキメキ成均館スキャンダル」(これも演出はジョンフンではない)なるものを観てしまった。流石に食傷気味である。

「私は…」以外は日本でいう時代劇ものである。だがストーリーは複雑に絡んでいるが「水戸黄門」方式で善と悪がはっきりしている。色々と演出の所為で気を持たせるがある意味で単純であるから若い時は映画ばかり観ていたからその懐かしさもあるのだろうがつい観てしまった。(キリスト者になってどちらかというとお固いところで育ったから映画なんてもってのほか、それに唯一の休日の日曜日は朝から夕方まで集会、家に帰ればバタンキューの一日)それと一話完結ではなく50話前後であるから長い、これで時間を取ってしまった。

今まで聖書は淡々と読んでいたが最近は色々問いかけながら読むこともあるようになった。今回も
第二サムエル記を読みながらアブシャロムの謀反などを通して今までっ同士だったのが敵と味方に分かれ争いが始まり、それが終わってもそのしこりは残ってしまうのは当然である。チャングムの誓いの最後の方に「宮中は多くを与えてくれるが大切なものを失うところ」というセリフがある。ヨナタンが父サウルの意向に異を唱えながらそれに従わなければならなかったことやサウロとダビデの争い、そしてアブシャロムの謀反のいきさつを見ながら朝鮮王朝の宮廷の争いとダブる。自分の地位と命を狙う息子でもその死に出会うと嘆き悲しむ父親の姿がそこにある。戦った者に取っては複雑な心境である。時間の中で人は複雑な動きをするが聖書は「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です」(1サム13:13)とある。残るもののために何をするかではなくどう生きるかそれが大切…。