2015年8月13日木曜日

二つの番組

それほど体を動かしたわけではないが二日続けて草刈りをしたら腰のあたりの筋肉が少し疲れ気味になったので久しぶりに湯たんぽに行く、温泉と心地よい疲れに夕食もそこそこに布団の上に横になったらそのまま眠ってしまった。

フッと目を覚ましたら午前二時前、もぞもぞ起き出して歯を磨く、唯磨いてもとTVをつける。深夜番組はショッピングとつまらない番組ばかり、その中で再放送の二つの番組を最後まで観てしまった。

NHKスペシャル
長崎の子・映像の記憶
~原子雲の下に生きて~

爆心地から700メートルにあった山里国民学校では、1581人の児童のうちおよそ1300人が死亡した。生き残った児童の手記をもとに、映画監督の樋口源一郎は、1950年に記録映画「長崎の子」を制作。さらに、NHKも1980年、37人の児童のその後を追跡調査し、ドキュメンタリー番組を制作した。また、長崎の原爆被害の様子は、終戦直後からアメリカの調査団によって、膨大なカラーの記録フィルムとして残された。こうした記録映像は、言葉以上に時代や世代を超えて体験を未来へ伝承するメディアである。番組では、長崎の子どもたちを記録した映像に、国際政治の駆け引きや放射能被害の研究など、原爆にまつわる冷徹な構図を交錯させて描き、人類が抱える課題を深層から浮き彫りにする。 (NHKライブラリーより)

25年前にも同じように撮ったからその後となるのだろう。私と同世代、この世代は大なり小なり戦争を引きづっている。彼らは原爆の被害を受けてさらに悲惨な人生を送ったのだろう。病魔と闘い、それでもある意味で幸せな人生ではなかったのではと思う。そうでなければTVには出演はしないであろう。あるいは伝えたいものがあったのだろうか。同じ学校でありながら屈託もなく校庭で遊びまわっている子供たちとその校庭に原爆によってか目の不自由になった一人の女性が記念碑?のところに来て祈っている。彼女の負っている重さを思うと胸が熱くなった。同じ学校という共通項があってもあまりにもその重さの違いに唖然とする思いだった。

戦争をやって誰が幸せになったのだろうか精々武器商人だけではないだろうか。それなのにまた戦争へと進もうとしている。戦争の痛みや悲しみ、苦しみを知らない人には戦争は大したことではないのかもしれない。国のプライドを守るという名目で、それで守れるのだろうか。守れなかったらどうするのと言いたい。原発の再開を含めてビジョンのない目先だけのと思ってしまう。ぬるま湯に浸かったカエルのように、これからどうなるかの心配もせずに居心地の良さで満足している。平和そのものである。自分もその一人ではあるが。

もう一つは日テレの「がんで幸せ」、日テレの記者で自らも乳がんと闘いそれを克服した女性をレポートしそしてレポーターとなってがん患者の方々をレポートしていた。回復、あるいは再発の危険を伴っている不安と恐れは一様にあるのだろうが皆前向きで頑張っている。そのような人たちの集まりは笑顔で満ちていた。それはそれで素晴らしいと思ったがその笑顔は本物であろうがでもさらにその深層にと思うと?が付く、頑張って勝者になったがそれはそれで素晴らしいけどどこか虚飾が含んでいるようで仕方がなかった。勿論批判するつもりはないがこの前にNHKスペシャルを観てからだからと思う。70年という年数と2-40代という若さの違いもあるのだろう。