2015年9月4日金曜日

コーヒー牛乳

町の銭湯?ゆたんぽ(高浜健康温泉センター ゆたん歩゜)の回数券は買ってあるが行くのは月に一、二回、夏は殆ど行ってないが寒くなるとポツポツと行き出す。それでも月に一、二回である。このところ涼しくというより少し肌寒さを感じるようになってからポツポツと行き出した。ここはタオル一本で用が足りるから助かる。

今日は茅野の義姉の家の余分な木を切りに、小は直径7‐8センチから大は15-6センチを14-5本、細いのはいいのだが太いのだとたかが30センチの鋸ではシンドイ、手と腕に痛みをそしてそれほど暑くもないのに汗をぽたぽた流しながらやっていた。10時頃から1時過ぎまでかかってやっと終える。まだまだほかにもやることがあったが今日の仕事はこれで終わりにして昼食を富士見まで行く、車が数台止まれる駐車場から少し奥まったところにあるがどこが入口かわからないお店である。入れば手作りのような古ぼけた狭い愛想のないような店である。夜はスナックをやっていてそれが主体みたいだ。若いオネイサンが一人カウンターにいるだけ、少し経ったらここの主か年配の小柄なおばあさんが出てきた? 客は僕らの外に二人連れの人たちがいてその人たちと話をしていた。知り合いかと聞くともなしに聞こえてくる言葉に「以前に小林節子さんと来られた」(原村在住の元TV東京のレディスフォーの司会者だった人)と言われて好奇心の旺盛な人のようなのでこんなところにも来るんだと感心していた。

小林節子さんとは2-3年前に八ヶ岳農場に野菜を買いに寄った時、別棟で何か写真展のようなものをやっていて、誰もいないようなので折角だからとサクラ半分で寄ってみた。家内と二人で見ていたら「あれこれ小林節子さんだぁ」と思わず大きい声で言ったら、受付のようなところで一人立っていた女性がニコニコしながら近づいて「私が小林節子です」と話しかけてきたので思わず仰天。原村に引っ越してきて色々ボランティア活動などをなされているようでこれもその一つですと言われ、気さくに話されるのでとても好印象を持ったのを覚えている。その時メールを教えてくださいと書いたので時折原村自然文化園(シニアのグループで秋の枯葉拾いに行っている)から文化園便りが届く。

隣の人は知り合いでもないらしい。おばあさんは隣の人と話し終えると私たちのところに来て話しかけてきた。小さい声なので難聴の毛のある私は勿論聞こえない。家内が笑いながら聞いていたから部分通訳で話してくれた。どうもお客様の話を聞くのではなく自分がしゃべりたいことを喋っているようで名物おばあさんのようだ。適当に受け答えしていたら「イケメンのあなたが気に入った」と言ったそうでこれは書かなければと書いている。お世辞にも綺麗と言えないがカウンターの後ろにはお酒の瓶が並んでいる如何にも居酒屋という風なお店であるが定食が500円安い。私はカキフライ、家内はエビと味のフライでフライは揚げたてだから美味しかった。コーヒーがサービスでついていたので手書きで生チョコとお茶とかぼちゃのケーキが書いてあったのでコーヒーに丁度いいと注文する。ケーキというより生クリームのような感じで美味しかった。

そのまま帰るのもと入笠山に向かう。今中幸雄さんの「賛美の家」を通り越して上へと、広場のようなところで止められる。どうも3時まで入山制限があるとのこと時間は2時半過ぎ、今日は少ないからいいといわれてパスしてさらに狭くなる道を上がっていく、平坦になった道をしばらく行くと大阿原湿原に季節外れだが少し歩く、全景が見えるところまで車いすでも行ける。そこはバックを背にして写真を撮れるようにと少し広くなっていた。さらに進むとマナスル山荘などの山荘があるところへ、その手前に係りの方が怪訝な顔(入山制限をしている)をして見ているので右折して山荘の方にと向かう。その脇の駐車場から頂上まで30分と看板にある。その脇の立て看板には「クマが出没します。鈴かラジオを持って登ってください」とある。時間も遅く、雨も降り出したのと鈴もラジオも持っていないのでトイレに寄ってUタウン、Uタウンしないでそのまま行くと長谷村へ、Uタウンして右に右折すれば富士見町へ、直進すれば高遠へ、そして直進する。少し走ると広い道が行き止まりとある。ゴンドラの頂上駅のようだ。そこを避けて更に狭いすれ違うことができないような道を走る。それも砂利道で凸凹、そのうち通行止めバイパスなる道はさらに狭く泥道、完全にすれちがうことができない。それでも車がよく通っているの用タイヤの跡がたくさんある(泥道だから)。大分は知ってようやくアスファルトの道に出る。左高遠、右諏訪の案内があり、ひたすら走る。そのうちフィンスがありゴルフ場へすぐ杖突峠かと思ったらそこへ出るまで結構あった。

そんなことがあってお風呂に行ったのである。そこには自販機が一台あって、瓶入りのコーヒー牛乳がある。無料のお茶の機械もあるがいつも風呂上がりに飲んでいる。瓶入りでのコーヒー牛乳は珍しいからとそれに飲んでいるとある思いが浮かんでくる。東京に来た時には牛乳が飲めなかった。母の実家の従兄たちは牛を飼っていたからご飯に牛乳をかけて食べていた。それを気持ち悪そうに眺めていた記憶がある。家ではヤギを飼っていたからその乳を母はドーナツ型のパンケーキのようなものを作ってくれた。生はダメだか何かに入れると大丈夫なのである。会社の寮生活をしていた時に日曜日は朝食だけでコッペパンにイチゴジャムとピーナツバターを挟んだものに牛乳だけだった。コーヒー牛乳もあってそれを何とか飲めるようになった。紙のキャップを外して飲むと半世紀も前のことがタイムスリップするのである。好きな飲み物でもある。付け加えれば毎日飲む白い牛乳は冷たいのしか飲めない。温めた何とも言えない匂いと味はダメなのでもある。コーヒー牛乳のことを書こうと回り道したら日付も変わってしまった。