神の壮大な創造のわざを創世記一章で見ることができる。
福音が語られるとき、神々しか知らない日本人にすべてのものを創造された神を紹介するときにここがよく用いられる。
宇宙や地球のすばらしさや人間を含めて生物の精緻さを見ると創られた方がいかに素晴らしい方であるかがわかる。しかし、ここで留まるなら片手落ちといえるような気がする。
exod: 3:14
神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある』という者である。」これでもまだまだ。
1john: 4:16
・・・神は愛です。これです。
創造のわざがどんなに素晴らしくとも
1cor 13: 1
たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。
どんなに精緻に創られてももし愛がなければ「やかましいどらや、うるさいシンバルと同じ」にしかすぎない。怒りがあっても憎しみがあってもこれは罪の故の愛の変形だと思っている。憎しみのない人は愛のない人だと思っている。喜怒哀楽を精一杯あらわし、愛を持って創造された神を賛美しょう。
創造のわざがどんなに素晴らしくとも
どんなに精緻に創られてももし愛がなければ「やかましいどらや、うるさいシンバルと同じ」にしかすぎない。怒りがあっても憎しみがあってもこれは罪の故の愛の変形だと思っている。憎しみのない人は愛のない人だと思っている。喜怒哀楽を精一杯あらわし、愛を持って創造された神を賛美しょう。