2015年10月17日土曜日

ブラインドタッチの練習 長野集会の「今月」のみことばより

10月号
今月のみことば

「また私は見た。海から一匹の獣が上って来た。これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった。」 (ヨハネの黙示録13章1節)

 長野集会主催のセミナーにおいて、岡山英雄先生から、難解と言われる黙示録を分かりやすく教えしていただいた。その中で、どの時代においても、「獣の国」と「小羊の王国」という二つの国がしのぎを削っている、という見方は新鮮であった。そして、キリストを認めない国家は、必然的に《獣》としての本性をあらわしていく、と。◆日本でも無意味な特攻や【玉砕】によって国民のいのちが当たり前のごとく犠牲にされ、思想の自由を奪られた悲惨な歴史を思い出さないわけにはいかない。
◆現在はどうか。国会議事堂の周辺で何万という人々が「安保法制」に異議あり、と声を上げていても、政府は全く耳を傾けることなく数の力に任せて可決させていく。◆この先に何が待っているのか。それは国民の不安を無知によるとものと決めつけ、政府の言うことに従ってさいいればいい、という専横がまかり通ることでなくて何であろう。◆しかし、「獣の国」にやがて取って代わる「小羊の王国」がある。それはイエス・キリストを王の王、主の主とする王国であり、キリストによって罪赦され、神の子とされた人々から成り立つ国である。あの強大なローマ帝国をくつがえし、戦後の日本を導いたのはこの王国の民であった、と言っても過言ではない。◆やがて世界が週末に至るとき、王も奴隷も神の前に出るときが来る。その時、すでに「獣の国」は滅びている。そして一人ひとりが神の前に申し開きをしなければならない。◆私たちはどちらの王国に属するものであるだろう。
(長野集会月報10月号より)