2015年11月15日日曜日

この頃

ブログも10日あまり留守にしてしまっている。書くことがないわけではないが何かと雑用に追われていてそれに文章を書くのが元々苦手なのでちょうど便箋を広げてペンを持ってイザ書こうとするが文が浮かんでこないそんなのと同じようなのかもしれない。しかし幾つかのブログをお気に入りに入れているがそれもパスしているからそれだけではなさそうだ。

先週は義姉の家の庭の木を切って枝はそのままだったのを5-60センチの長さに切って一抱え位の束にした。20前後くらいだろうかそれを清掃工場に持って行ったが軽トラだったら2-3回で終わるであろうに小さい車なので往復14キロの道のりを10往復してしまった。140キロ八王子まで走ったことになる。翌日、残りの枯葉を熊手でかき集めたら45ℓのごみ袋に22袋これは2往復、枝は500キロ、枯葉は150キロもあった。清掃工場に持って行った枯葉は枯れ枝が混ざっているので腐葉土に出来ないが残っているモミジの枯葉は腐葉土にできそうなので思案中である。最後のごみを清掃工場に持って行って、その帰り茅野市でやっている温泉が近くにあるのでそこに入って白樺湖、車山、霧ヶ峰を通り、上諏訪に出ないで狭い山道を下社秋宮に出る道を通って帰ってきた。白樺湖は橋を通っただけだが廃業しているホテルもありどこか寂れた感じがしていた。今はシーズンではないのかな?

畑も義姉の庭の手入れも私が始めたわけではないのだが行きがかり上始めて結局力仕事は私だけしかできないので最後は自分が後片付けをやることになってしまった。こういうことは嫌いじゃないし運動不足というか体を使っていないので体のためにはよかった。バンドの目が二つばかり詰めるようになったから体調はすこぶるいい。こんなことはする機会もないだろうと思っていたのでいい経験をさせてもらった。来年春になればまた草刈機を使うようになるだろう。体を動かす場があるということは感謝なことである。でも聖書の勉強がおろそかになっているので目と頭の回転が悪くなって勉強するのはしんどくなっているから逃げているのかなとどこか後ろめたい感じもしないでもない。こんな思いがあればまた聖書の勉強にと気が向くようになるだろうなと思っている。事実少しづつではあるがはじめているものもある。勉強と言っても本を読むくらいではあるが。畑も大根や白菜が大きくなってきたのでその収穫と整理をして来年に向けての畑つくりもしなくてはいけない。まだまだ畑の方は力仕事が必要であるから楽しい。何を作るかは今のところ興味なし、落ち着いたら考えるが作るのは家内や他の人たちに任せて自分は他のことやるかもと思ったりもしている。相変わらず「我が道」を行くのである。あと半月余りで後期高齢者になる。昔の還暦みたいなもので完全に年寄りである。そしたらさらに我が道を行くようになりそうで不安でもある。何せ協調性はすこぶる良くない。