2015年11月16日月曜日

この頃Ⅱ

大分前に卒業した筈なのに韓流ドラマから卒業できていない。「雪の女王」などはDVDまで借りてきて見てしまった。また借りようかなぁと思っている。それは別にしても今4っつのドラマを見ている。勿論毎日ではなくて日に二本位の割で観ている感じである。それほど面白いという訳ではないが何故か観てしまう。一つに本を読むのに目の疲れと集中力が段々弱くなっているのでついネットで無料のドラマを観てしまうという結果になる。TV同様何も考えなくて画面を目で追っていればいいので楽な所為もある。以前は気晴らしにとネットで観ていたがあるときは気晴らしでなくて主に観ているという時もあった。まさに本末転倒、流れに身をかませる様である。反省して今はセーブしているが卒業はしていない。この間M兄が来て、信者だけだったので学んでもらったがタイトルが「弟子をつくる弟子となる祝福」という題でルカ福音書9章23節から話してくださった。弟子となるなんて先の先のことなのに「弟子をつくる弟子」なんてさらにその先である。雲の上の話のようなものである。しかし「自分捨て」、「自分の十字架を負い」、「自分のいのちを捨てる」と話されたが出来る出来ないという問題ではなく、キリスト者として生きるにはこの道しかないことも事実である。信じて天国に行くだけならこんな必要はない。しかし神が求めておられるのは神が語りかけているのに応答することである。救いを強調する弊害は救いを利と捉えてしまいがちになることである。救いは神との応答から生まれる。主を救いの手段と捉えてほしくない。それはご利益宗教に堕してしまうからである。人間成功から学ぶのではなく失敗から学ぶのである。こんなことをして半歩なり一歩なりを歩めれば感謝である。