2015年12月6日日曜日

「今月のみことば」より

12月号

「キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。(ガラテヤ1:4)

 パリでの同時多発テロは世界を震撼させ、世界のどこにも本当に安全な場所はないことを改めて思い知らされた。たった一夜の出来事で、治安は一挙に不安定になり、経済が冷え込み、人々が互いに疑心暗鬼になったことで、イスラム系テロ組織ISは快哉を叫んでいることであろう。彼らの悪魔的目論見は大成功を収めたのである。◆私たちにとってこのような現実を見つめることはつらいことでもある。だれもが人間の善性を信じたい、とどこかで願っているのではないだろうか。アンネ・フランクも「いまでも信じています。たとえいやなことばかりでも、人間の本性はやっぱり善なのだということを」と述べ、世界に感動を与えた。◆しかし、問題が深刻なのは、「善人」と思われた人が、何かのきっかけでおぞましい犯罪に手を染める人になる、という事実もまたあまりに多い、ということである。◆ユダヤ人大量虐殺の推進者であったアイヒマンも、実はどこにでもいそうな「平凡な官僚」にすぎなかったというハンナ・アーレントの報告は物議をかもした。テロやホロコーストに関わる人間は、特別な悪人であり、自分とは違う、と誰もが思いたいのである。◆しかし、神の恵みがなければ、どのような悪をも犯しかねない危うい存在であることを聖書は語っている。キリストはこのような私たちの現実の罪の世に来てくださった。それこそは私たちが真に喜べることではないだろうか。
                                                長野集会月報より

今回は指が少し良く動いてくれた。所々つっかえたりしたことは勿論である。
かつてキリスト教界で成長した教会ともてはやされた大きな教会の牧師が信者の婦人におぞましいことをいとも平気で成していたことがニュースになっていたことがあった。
prov:14:12
人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。
のみことばを思い出す。まっすぐを賞賛と変えればぴったりである。自戒を込めて。