2016年2月15日月曜日

人のもつ二つの面

アメージンググレースを観て一つのことをお思い出した。それは新潟市の郊外にある敬和学園の創立に関わり初代校長でもあった太田俊雄さんが書かれた文章である。少し長いがブラインドタッチの練習を兼ねて打ってみたいと思う。


  偽善者

 床屋のおじさんは、愛想よくわたしに話しかけながら、仕事の方は手際よく、テキパキとすすめる。首のまわりにエプロンをまきつけながら、話しかける彼の顔はいかにも人のよさそうな感じを与える。私は鏡にうつった彼と対話しているような感じだった。
「ダンナ、どちらから?」
「そうですね。何と答えましょうかね。まぁ、日本から、と言っておきましょう」
「ヘェ、それで、どちらへいらっしゃるんで?」
「日本へ」
「それは、いったいどういうことなんですか?」

 わたしはアメリカに留学して、まる三年、いま日本に帰る途中で、船の出帆を待っていたのだ。ホテルに泊まると費用が大変だし、サンフランシスコ湾をへだてたこのバークレー市のジョルゲンセン君という友人の家に、ここ数日「居候」の生活をしていた。貨客船は積み荷の都合で出帆の期日がなかなわかりにくい。「そろそろ出帆の期日だから、サンフランシスコかその近辺に止宿していて、船会社と連絡をつけて、いつでも乗船できるようにして、待機していてくれ」という通知を受けて、目下「待機」中であった。それらのことを私は話した。
「それで、この三年間どちらでご勉強で?」
「シカゴの近くのネパヴィルという小さなカレッジ。タウン(大学町)にいたのです。それでも週末にはほとんど町にいませんでした。休暇という休暇は全部講演旅行でひっぱりまわされましたから、アメリカもずいぶん見て歩きましたよ。二十三州を話してまわりました」
「われわれアメリカ人には、とてもそんな旅行はできませんね」
「しかも無銭旅行はね!わたしのは招かれるまま、汽車で、バスで、飛行機で、自動車で、と便割った」無銭旅行ですから・・・・」

 彼は今までの陽気だった調子を急に変えたようだった。何かしら不安を感じたような口調で、ややためらいながら、
「それじゃぁ、ダンナ、ずいぶんいやな思いをなさったでしょうね!」
「イヤな思い? とんでもない。そんなことありませんよ。一度だってイヤな思いをさせられことなんかありませんよ」
「ダンナ、そんなことをおっしゃったって、信じられませんよ。あっさりおっしゃいよ。だいいち、あなたのお国からいらっしゃって、そんなにひろく、わたしたちの国を旅行なさって、イヤな思いをさせられたことがないなんて、わたしどもには信じられないんです。恥しいことですが、この国にはわからず屋どもが多いんでして・・・・」

 彼がその「わからず屋」どもにいきどおりを感じていたのが、その語調にあらわれていた。カリフォルニア州では反日感情がもっとも強い、ということぐらいは、わたしも聞いていた。
「いや、わからず屋が多いのは、アメリカだけではありませんよ。わたしどもの国だって同じことです。でも、戦争後間のないこの三年間(昭和二十四年から二十七年まで)こんなにアメリカ中をあるいて、こんなにみんなに親切にされるということが、わたしには不思議なくらいで、いたるところで感激しましたよ」
「ダンナはお上手(じょうず)だ。そんな親切な人間もそれはいますよ。、どこにだってネ。でも、わからず屋もどこにだっているんですよ。とくにお国の人に対してはずいぶん失礼な奴らがいて…」
「いや、ほんとうにお上手をいってるんではないんですよ。もっとも、一口ににアメリカといっても二つの異なった面がありますからね。わたしはそのうちの一面だけを見たにすぎないんですよ。よい方の面だけでね。そりやァ、別の面のあることもわかっていますよ」
「その二つの面とおっしゃいますと?」
「クリスチャンが半分、クリスチャンでない人たちが半分といわれますね。ピューリタン(清教徒)の流れをくむ人びとと、南部から黄金を求めてこの国に上陸してきた連中の流れをくむ人びと。全然ちがいます。わたしは片っ方の国だけ、クリスチャン社会だけを見てまわったんです。だからイヤなことなんて・・・・」
「ああ、わかりまし」

 彼はハサミを動かす手を止めて、わたしの右肩をおさえた。
あなたのおっしゃることの意味が、やっとわかりました。一方の面、よい方の面だけごらんになったいう意味が…。ハッキリ申しますがね。わたしはその別の面の、悪い方の面に属する人間でしてね。ハッハッハ・・・・。ダンナ、よかったですね。お国にお帰りになる前に、もう一つのほうの面、悪い方の面に属する人間にお会いになれてよかったですねェ。一方だけ見てたんではお話しになりませんよ」

 彼は、別に皮肉でもなく、たんたんと語る。わたしの首のまわりの毛を刈っている彼のハサミが、無気味に感じた。わたしは冷水をあびせられたような思いだった。しまった! つまらんことを言ってしまった、というよりも、自分のパリサイ人的な物の考え方がたまらなくいやになった。そんな心がうちにあるから、こんな言葉が出るのだ。

 床屋は、相もかわらず愉快に話しつづけるのだが、わたしはシューンとしてしまって、何を言ってよいかわからない。
「お船に乗られる直前にわたしどものところで散髪していただいて光栄です。ウデにみがきをかけてやっておかないと、これがアメリカの床屋のやった散髪か、と笑われては困りますからネ。とくべつ念をいれてやりましたよ。お国の人は何しろ手先が器用だから太刀打ち(たちうち)出来ないですよ。さァ、きれいになりました」

 彼はニコニコして、エプロンをはずしながら、こういって、入念に毛をはらってくれた。
「ありがとう」
「ちょっとごらんなさいよ。ハンサムになったでしょう」
 と彼は鏡の方を指さす。わたしが財布を出そうと思って、ズボンのポケットに手を入れかけると、
「おっと! なんでそんなところへ手を入れなさる?」
 と、彼はおどけた身振りでわたしのてをおさえる。
「財布がここにあるんです」
「財布なんかいらないじゃありませんか」
「散髪代が・・・・」
「そんなものはいりません。わたしの心ばかりの餞別がわりです。ご多幸を祈りますよ。それからダンナ、あなたのおっしゃる『別の面』にもわからず屋ばかりではない、ときにはものわかりのいい奴もいるんだってことをおぼえていてくださいよ、ね」

 彼は、こう言いながら、わたしの手をつよく握ってしばらく放さなかった。わたしは彼のにくらべれば子供のような小さい手で、それをつよくつよく握りかえした。自分自身のうちにあるパリサイ人的根性に限りないいきどおりをかんじながら・・・・。
 ルカの福音書十八章九節から十四節のイエスの教訓は、この時からわたしの心を占領してしまった。
「おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」

(1960.12.世の光104号)

 太田俊雄さんは反省を込めて書かれているが自分の中にもいつもパリサイ人的な人を裁く思いが湧いてくる。生きている以上避けて通れないものと思っているから開き直っているが。
 このことではなく、この映画も韓流ドラマの中にも二種類の人間がいることを示唆している。善人と悪人ということではなく、自分の利益を追求する者と他者の利益を求める者とである。前者は自己実現を求めるであろうし後者は他者の喜びを我が喜びとする。クリスチャンとノンクリスチャンと分けるつもりはない。この二者の中にも個々に同居しているものでもある。これを裁くのではなく見分ける必要があると思っている。それでわかればいいのであるがそんな目を持てたらと思う。