2016年2月14日日曜日

アメージンググレース

多くの賛美歌には作られたときのエピソードがある。そのようなことを全く知らないでいい曲いい歌詞として歌っていた。アメージンググレースも然りである。この賛美歌が何時だったかどういう経緯かは思い出せないが巷で歌われ有名になった。今でも結婚式に良く歌われるようである。どこかで聴いたようなメロディーだなぁと思っていたら聖歌229番「おどろくばかり」の賛美歌だと誰かが教えてくれて、作詞されたのは奴隷船の船長だったジョン・ニュートンであることを知った。後に牧師となった人でもある。私たちが使っている礼拝賛美歌には同じメロディーで2曲載っている。

ネットにGYAOという無料で見れる動画サイトがある。ここで韓流ドラマをいくつか観ているのでよくアクセスしていて、それも今週あたりで終わる。これで卒業するつもりであるがただ時間が有ったり少し息抜きにとユーチューブと共にアクセスしているので安易な流れに身を置きやすい者として卒業はかなり難しいかなとも思っている。

そんなことでアクセスしていたら「アメージンググレ-ス」なるタイトルの映画が目に入った。すぐアクセスして観ていたのだが内容は作詞者のジョン・ニュートンの物語ではなくイギリスの奴隷廃止運動をされたウィリアム・ウィルバーフォースの物語であった。勿論、ジョン・ニュートンも運動の協賛者としてホンの少し出てくる。ウィルバーフォースは牧師になろうとしたようだがジョン・ニュートンに政治の世界で奴隷廃止運動をするように勧められて議員として幾多の困難を乗り越えて奴隷廃止の法案が議会で可決される。廃娼運動をされた救世軍は命がけでやっていたようなことを何かで読んだことがあるのでそれとダブるがその比ではないであろうなと思った。

映画を観ていて、儲けることならどんなことでもする人間の性のようなものを感じた。韓流ドラマの「馬医」に「奴婢は60両、馬は300両」というセリフがあった。奴婢は馬よりはるかに及ばない価値しかないのである。彼らが華やかで優雅な生活をしているそれを支えているのが奴隷たちなのである。これは国と時代を超えているように思う。奴隷廃止は国の根幹を揺るがすようなことであろうがこのような働きには慈しみや人間の尊厳を知る者でしかできないことではないだろうか。知っていても勇気と不屈の精神が無ければできないことでもある。時代の流れを変えるということは時間とエネルギーと多くの犠牲を伴うものである。

船での過酷な状況は、600名乗せて港についた時は200名になっているということで想像できる。欧米でこういうことをやっていたのかと思うと人間の罪を深さを思い、今日も富の収奪という観点から見れば今も変わっていないのかもしれない。最近の政治を見ていると何をするかも大切だがどこに視点を置くかで大きく変わってくることを教えられている。目先の利益は往々にして行くべき道を踏み外すことが多い。映画を観ていて人間の二つの面を見る思いがした。人間の罪と愛である。どちらも限りがないほど深い。