2016年3月10日木曜日

今日のパン、明日の糧より

裁くことのない人生に向かって   3/8

 偏見のない生き方をするするということは、内的な促しの内で最も難しいものの一つです。私たちの偏見が、いかに深い根を持つものであるかということに、ほとんど気づいていません。肌の色や宗教、異性に対する考え方に差があったとしても、皆同等であると思うことで、私たちは異なる人々と普通につきあっていると考えるかもしれません。けれども、実際の生活の場においては、無意識に考えること、言葉やとっさの反応が、私たちの偏見が厳然とそこにあるのが周囲に見えていることでしょう。
 見知らぬ人々、どこか異なった人々は、私たちの恐れや居心地の悪さ、疑いや冷淡さをかきたてます。ただ「違う」というだけで、私たちは安心感をなくしてしまうのです。神は、私たちを無条件にいとおしんでくださいます。私たちは、このことをしっかりと自分のものとする時にのみ、この世界に実に様々な人々が存在するということが、神のみ心の計り知ることの出来ない豊かさの表れであることに気づき始めるでしょう。こうして、人をよく知らないのに裁こうとする欲求は、次第になくなっていきます。