2016年4月23日土曜日

聖書雑感 着るとは

gen 3:21

神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。

私たちの生活の中で衣服を着るということはごく常識的なことである。しかし、堕罪前は裸であることが常識?であった。ヌーデストクラブのようなところは別として裸でいるということは非常識である。しかし、堕罪前は衣服を着るということは非常識であろうというより着るなんて発想はなかったかもしれない。

着るということには覆う、寒さを防ぐ、そして飾るという三つがあるように思う。罪というものは自分の中にあるものの多くを隠さなくてはならい。それとノアの洪水以降は寒さ対策が必要になってしまった。それと着飾るという中身を問わず誇り高き思考?が加わって虚飾に満ちた世界ができあがってしまった。罪の中に真実はない。着るという世界は一次的なものに覆いをかけて二次的なもののどうでもよいことにエネルギーを費やしているようにも見える。これぞ『的を外す』という罪本来の姿を見ることが出来なくもない。