2016年4月29日金曜日

今日のパン、明日の糧より

書いて一日を大事にする   4/27

 ものを書くことは真の霊的鍛錬になります。ものを書くことで、私たちは集中したり、心のより深い感動に触れたり、思いをはっきりさせたり、混乱した気持ちを整理したり、体験したことを振り返ったり、日々の暮らしに芸術的な表現を与えたり、大事な出来事を思い出して心の中に納めたりといろいろ助けられます。ものを書くということは、私たちの書いたものを読む人にとってもよいこととなります。
 つらく苦しいイライラする日も、それについて書くことでしばしば「救われ」ます。ものを書くことで、私たちが生きてきたことを自分のものとし、それを私たちの人生の旅により深く統合していきます。そのように、ものを書くことは私たちの人生の助けとなり、また時にはほかの人々の人生にとっても、助けとなるでしょう。


ものを書く、深い井戸を開く   4/28

 ものを書くということは、思いついたことを単にちょっと書き留めておくことではありません。「何を書けばよいのかわからない、書いておくような考えは何もない」と私たちはよく口にします。しかし、素晴らしい書きものの多くは、書くことそのものの中から生まれて来るようです。一枚の神を前にして座り、頭や心に浮かんだことを言葉で表すようにしてみます。そうすると新しい考えが浮かんできて私たちを驚かせ、その存在をほとんど知らなかったような内的空間へと私たちを連れて行ってくれるでしょう。
 ものを書くことの、最も満足を与えてくれる側面の一つは、他の人々の目に美しいばかりではなく、私たちとっても素晴らしい宝物が隠された深い井戸を、私たちに開き示してくれることです。


付記
今回は少し千鳥指になってしまった。書くということにこのような意味が含まれているとは気が付かなかった。書き慣れないと書くということは結構大変である。それでこのような原稿を見て書き写すということをやっている。原稿を見ながらブラインドタッチの練習が出来る。まさに一石二鳥である。
しかし、頭に浮かんだことと文章になるということとには大分隔たりがある。肝心の頭にあれもこれもと浮かぶわけでもない。