2016年4月9日土曜日

今日のパン、明日の糧より

責めることから許すことへ   4/8

 私たちの最もつらい苦しみは、しばしば私たちを愛してくれている人や私たちが愛している人によってもたらされます。夫婦、親子、兄弟姉妹、子弟、牧師と信徒といった関わりの中で、私たちは一番深く傷ついています。年をとってからでさえ、しかも私たちが傷ついた原因となった人が亡くなってだいぶ経った後でも、私たちはそのような関わりの中で起こったことを解決するための助けをまだ必要としているかもしれません。
 「今のこんな私にしたのはあなただ。こんな私なんか嫌だ。大嫌い」と言って現在の自分の状況について私たちの最も身近な人々を責め続けるというのは大きな誘惑です。自らの傷を認め、あの人が私に何をしたかによって生じた結果よりもはるかに大切なものを自分を信じ、受け入れることが、私たちに求められています。神によって創られた自分こそが、私たちの存在の真の源泉であると心から言える時にのみ、私たちを傷つけた人々を許す心の自由に至れるのだと言えましょう。


 心が狭いと責めたり、裁いたりする。「裁くことから受け入れる」ことへともつながるのかな?