2016年5月28日土曜日

今日のパン、明日の糧より

憐れみ深いイエス 5/28

 祝福された神のみ子、イエスはあわれみ深い方です。憐れみ深いこと(showing mercy)は、かわいそうに思うこと(having pity)とは違います。かわいそうと思う気持ちは暗に隔たりを含んでおり、見下すことでもあります。物乞いの人がお金を求め、あなたがかわいそうに思って何かをあげても、それは憐れみ深さとはちがいます。憐れみ深さは共に苦しむ心から生まれます。それは等しいものとなろうとする願いです。イエスは私たちを見下そうとはされませんでした。イエスは私たちの一人となり、私たちと深く思いを共にしようとされたのでした。

 ナインのやもめの女の一人息子を生き返らされた時、イエスがそうなさったのは、悲嘆にくれる母親の深い悲しみをご自分の心で感じられたからでした(ルカ7:11-17)。兄弟姉妹にどのように憐れみ深くあればよいかを知りたいなら、イエスを見つめましょう。

追記
久しぶりの原稿を見ながら打ったので少し指が…。
自分の中にある憐れみは「上から目線」であることがよくわかる。良くても助けようとして手を伸ばすくらいなもの、ベデスタノの池に下りて行ったイエス様のように、サマリヤの女を待っているイエス様のようにその傍らに立つ者でなくてはと思うが肉ではできないことである。