2016年6月2日木曜日

ゴミ拾い4

ゴミ拾いも4回目になった。昨日、今週初めての速歩をしながら湖岸べりを見ていたらゴミが目についていたところがきれいになっている。今草を刈っているからついでにやっているののかなと思った。そんな様子を見ながら今日やることに思案していたが朝5時に目が覚めたので起きてやることにした。

念のため漕艇場の周りを見てそれから先にと思い漕艇場に行ったら結構細かいゴミが打ち寄せている。以前ほどではないが場所によっては相変わらずタバコの吸い殻が目につく、それと前からだが魚の死骸が多い。打ち上げられたり、波間に漂っていたり、鳥が突っついたのであろう様をしているのも多々見かける。それと死んでから時間が立ったのか鳥も突っつかないのも目にする。カラスでさいもである、結局、3回かかってやったところを今日一日でできた。それだけゴミが少なかったのだろうかそれでもスーパーの袋三つにもなった。ゴミにも時節柄とでもいうのがあるようで苗の容器と肥料の袋(10キロくらいはいるかな)が少し目にする。捨てられるゴミに時代を映しているものがあるような気がする。物、モラル等々…。

「貧すれば鈍す」ではないが何気ない行為が美観を損ねている。ゴミを拾っていなければ気がつかないことでもある。若い時は(今でも)自分の梁が見えなくて他人のゴミはよく見えていた(マタイ7:3-5)。今も他人のゴミは相変わらず見えるが自分の梁も少し見えてきた。今もそうだが傷つきやすいが人を傷つけることに少し気づかされつつある。周りに言わせれば相変わらずのようではあるが。

パンくずは拾わなくて、ゴミを拾ってなんになると思うがそこから見えるものもあるような気がしている。何かが見えてくるかもしれないからもう少し頑張ってみたい。