2016年6月6日月曜日

今月のみことば

「私たちは、世の偶像の神は実際にはないものであること、また、唯一の神以外には神は存在しないことを知っています。」(コリント人への手紙第一8章4節)

 昔、あるところに好奇心旺盛で旅の大好きな青年がいた。◆ある時のこと、彼は山のふもとにある、美しい緑に囲まれた村に来たが、驚いたことに村人はみな、死人のように元気がなかった。◆わけを聞いてみると山頂に恐るべき人食い鬼がいて、夜になると恐ろしい唸(うな)り声を発するので、いつ自分が殺されるか、と恐怖の毎日を過ごしているのだ、という。◆青年は村人の反対を押し切って、その人食い鬼と話をつけて来ようと山頂へと登っていった。確かにそこには鬼がいたが、驚いたのは近づけば近づくほど、鬼はどんどん小さくなり、青年が手を差し出すと、手のひらに飛び乗ってきたことであった。◆「君は何者なんだ」と青年が聞くと、「鬼の名は『恐怖』さ」と答える。「どういう〈恐怖〉なんだい」と聞くと、「それは人によりけりだ。〈病気〉を怖がる人間もいれば、〈貧乏〉を恐れる人間もいる。権威が怖い人間は、俺を〈権威〉だと思って見るのさ」◆「君はこんなにちっぽけなのに、どうして人々は君を巨大だと思っているのだろう」「恐怖が大きければ大きいほど俺は大きく見えるんだ。俺のところに来て、俺をしっかり見てみなければいつまでも俺の本当の大きさは分からないのさ」。◆以上は、決死の覚悟でイスラム教から離れたワファ・スルタン博士が引用している話である。◆我々日本人は、〈周りがどう思うか〉〈人と違うことをするのが怖い〉など、〈神様〉ではなく、〈人様〉を恐れる傾向が強いのではないだろうか。しかし、本当の神以外、いかなる〈人〉も〈偶像〉も恐れる必要はない。よく見てみれば〈人〉は神に比べて実に小さい存在であるどころか、偶像に至っては、本当は存在さえしないからだ。
                                 長野集会月報 6月号

追記
指を適当に動かしているがそれほど間違わなくなった。まだまだではあるが。
「気配りの○○」と言われたこともあったがそれは神を恐れるよりも人を恐れていたからであろう。人は自ら偶像を造りそれに支配されている。考えてみれば漫画であるがこれは現実でもある。