2016年7月22日金曜日

人が変わる方法

17日の聖書と福音の中で高原兄がコンサルタントの大前研一の言葉として話されていたことがあった。その部分だけを抜粋して記して見る。

人間が変わる方法は三つしかないそうです。
一つは時間の配分を変えることです。一番大切なことにそれほど時間をかけず、どうでもいいことにだらだら時間を浪費している場合、一日の使い方の見直しをしない限り、人生は変えられない。
二つ目は、住む場所を変えることです。環境から受ける影響は、無視できないからだそうです。
三つめは、付き合う人を変えることです。誰を友にし、誰を相談相手にし、誰を師として仰ぐかで、人生は決まります。
一番無意味なのは、決意を新たにすることだそうです。自分の決意だけで人生が変わるほど人生は甘くないからだそうです。

一つ一つが頷けることばかりである。時間配分も然り、パソコンをやっていると気分転換にとネットサーフインをやるとこちらの方がはるかに長くなってしまう。こういうのはいくらでも観れるが勉強となると集中力が続かなくて、それにネットサーフだと何でもないのに昼前になるとお腹が減ってこれで集中力はゼロになる。以前新約概観を纏めてみたのだが少し不備があったりでもう一度と思って手を付けたが新約時代の時代背景をやっていなかったのでそこからとローマ史をと本をひろげたが日本史は勿論世界史は全くの無知であるからパソコンに二三行打って、本は開いたままで一週間十日かと経って今は本を閉じて一か月近くになる。

場所を変えることも頷ける。東京から引っ越して来て今月末で8年になる。ナイナイづくしの生活、諏訪人独特のというプレッシャーもあって何かと戸惑うことも有り、夏は快適だが冬の寒さはきついし何かと苦労なことも少なくなかった。一番大きいのは以前いた集会を客観的に見ることができ、そしてそこに集っていた自分もそのように見ることが出来た。相変わらずではあるがそこから自分というものを観れるようになった気がする。他の人も然りであるが批判としてではなく肯定的に見れることができるようになったことが大きい。

付き合う人もシニアの人たちとの付き合いの中にそれを見出す。現役時代はそれなりに活躍した人たちであり、趣味としての諸々のものは素人の域を越えている。それを見習おうとは思わないがそれだけのことをやって来、またやっているその姿勢は学びに値する。勿論キリスト者として語るべきもの生き方の姿勢は示していく必要があると思っている。

そして最後の決意を新たにする。ショッチュウやって長続きがしないのを見ていれば然りであることを気づかされる。表を作って計画するが時間とともに空白が目立つようになり、しばらくするとその表もどこかに消えてしまう。事実なので耳は痛くならないがこのことをしっかり参考にして軌道修正をしていきたい。