2016年8月16日火曜日

今月のみことばより

「…不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。」
                                (Ⅱテサロニケ2章3、4節)

 ある終末論のシナリオによれば、近い将来、反キリストがヨーロッパ世界から彗星のごとく現れて世界に「平和」をもたらし世界は彼にひれ伏す。ところがエルサレムに再建される神殿で自分は神であると宣言した後、凶暴な本性を現し、世界は未曾有の「大患難時代」に突入する、という。◆ところが、ここでいう「神の宮」とは、これらか再建される(?)未来の神殿ではありえない。なぜならこの書簡(Ⅱテサロニケ)はまだエルサレムに神殿が建っているときに書かれたからである。つまりこの「不法の人」とは、二千年後の未来に出現する「反キリスト」というより、エルサレムが崩壊する前の人物でなければならない。果たしてそのような人物がいたのであろうか。◆同時代のユダヤ人歴史家ヨセフスは、興味深い人物のことを伝えている。それが「ギスカラのヨハネ」である。◆彼はローマ帝国と戦うことを選び、籠城作戦に出た。エルサレムには数年分の食糧が蓄えられていたが、なんと彼は食糧庫に火を放ち、退路を絶ったのである。かくして絶望的な戦争が始まり、後戻りはできなくなった。権力を掌握した彼は、神殿を自分の本部と定め、そこから指令を下し、まるで神のように采配を振るったが、食料が尽き、城内には疫病と死が蔓延し、突入したローマ軍を迎えたのは死体の山と亡霊のような人々であった、という。◆このように、同胞を欺き、滅亡に追いやった人物こそ、第一義的に、ここでいう「不法の人」と考えるべきではないだろうか。◆1941年、軍部は勝算なき対米戦争に国民を駆り立て、日本は滅亡の淵に立った。日本にもエルサレム滅亡と酷似した過去があったのである。日本国憲法の「改正」が現実味を帯びる中、首相に一切の法律を一時停止させるほどの権限を与える「緊急事態条項」がもりこまれようとしている。「ギスガラのヨハネ」のような人物にフリーハンドを与えることにつながらないであろうか、危惧する。

追記
今回は指が割とスムースに動いていたように思えた。一ヶ月の進歩か?
生まれて一年後に始まった太平洋戦争はそれほど影響は受けなかったとしても今の自分を見ていると陰に陽に影響を受けていることを知る。諸集会の月報にこのようなことが載るようになったことを思うと時は縮まっている感を受ける。