2016年8月11日木曜日

今の時代は

先月26日に相模原市で起きた事件のショックは大きく今も心に重くのしかかっている。一人が殺傷した数の多さに驚くがそれ以上にその動機が今の時代を反映しているかのように思わされているからである。8月7日の信濃毎日新聞の投書欄「建設標」に共感する文章が載っていた。ブラインドタッチの練習を兼ねて打ってみる。


    寛容さない社会 不安でならない

 日本中に大きな衝撃を与えた相模原市の障害者施設殺傷事件。容疑者の動機ともなった強い差別感情に、言い知れない不安を覚えた人も多いと思う。事件には、社会が抱えた問題が渦巻いている気がしてならない。
 今の社会は技術の発展をつづけどんどん便利になっている。不便な思い、不快な思いをすることが減っている。一見、素晴らしく思えるが、その便利さが他人や自分と違う立場の人を認められない人間を生みだしているように思える。
 私には幼い子どもがいる。子どもがまだ赤ちゃんの頃、新幹線でなく子供には睡眠薬を飲ませればいいという有名人の考えがツイッターで話題になった。、もちろん批判は殺到したが、賛同する意見もいくつかあったことに、帰省中で数日後に新幹線に予定だった私は大きく動揺した。子どもが泣きださないか不安で、ビクビクして新幹線に乗った。子育て世代は、この世の中では弱者なのかもしれないと気付いた時だった。
 妥協を許さない、他人に寛容になれない世の中。不便さや不快なものを排除し続けた先に何があるのかー私は不安でならない。
 長野市  村井 真衣
              (主婦・28)

と書かれてあった。心にゆとりのない時代は刹那的であり、短絡的でもある。そして非寛容でもある。何か政治が大きく影響しているように思えてしかたがない。右傾化と言われて久しいが民族主義は他者を敵対関係に持って行く、そして大義が重要で個人はそこにはない。大義なんて開けてみればからっぽで何もない。大切なのは個個人である。これは親が子に対するようなもので他人には推し量ることの出来ない価値を見出す術を心得ている。福音書の中にイエスさまがそのようなことを伺えるような箇所が何カ所かある。誰も顧みられない人のところに行って語りかけているのである。これは当時の指導者と明らかに違う視点に立っていることを物語っている。しかし、イエスさまはそのような人だけでなく、多くの群衆にも語りかけている。指導者も自分の家族を見れば個が大切であることを知りながら個がないがしろにしているよう見受ける。今の時代は黙示録13章の獣が海から上りつつあるのではとフッと思わされた。そして人々はそれを待望している。獣の背後に竜がいるのに、その竜を誰も知らない。