2016年9月15日木曜日

今日のパン、明日の糧より

魂を守る   9/11

 私たちは今、終わりの時の混乱の中に生きています。この中での大きな危険は、魂を失うことです。魂を失うとは、私たちの中心、人生で見極めてゆく真の召命、使命、霊的な課題などが何であるかわからなくなってしまうことです。魂を失うとは、私たちの周りに起こっているあらゆる出来事に気を取られ、それにのめり込んでしまい、挙句の果てにばらばらになり、混乱し、常軌を逸するようになってしまうことです。イエスはその危険を十分知った上で、こう語っておられます。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗るものが大勢現われ、『わたしがそれだ』とか『時が近づいた』とか言うが、ついていってはならない」(ルカ21・8)と。
 不安な時代に生きていると、あらゆる種類の「救い」を約束するにせの預言者がたくさん現れてきます。本当の霊的な自分との触れ合いを失わないで、イエスの忠実な弟子であることが重要です。


踏み留まる   9/12

 社会的、政治的な不安と計り知れないほどの苦しみがあふれる世界の中で、信仰を生きよとしている人は、いわゆる役立たずとあざけられがちです。多くの人が、「愛の神がいるなら、その神にこの混乱を何とかしてもらったらどうだ」と言うでしょう。単純に宗教は時代遅れだという人もいれば、新しいより良い世界を創っていくうえで宗教は邪魔物だと言う人もいます。
 イエスはご自分に従う人々に、彼らもまた自分と同じように、迫害され、逮捕され、拷問を受け、殺されるだろうとたびたび言われました。けれども、イエスは私たちに「心配せず、いかなる時もわたしを信じるように」とも言っておられます。「前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである」(ルカ21・14-15)。渡曾田と前に立ちはだかる疑いや冷笑を恐れないようにしましょう。そして、神が私たちに踏み留まる力を与えてくださるということを信じようではありませんか。


愛に怒りをおろす   9/13

 不安になると、私たちは過剰な準備をしがちです。攻撃されたら何と言おう、尋問されたらどう答えよう、告発されたらどう抗弁しようと頭を悩ませます。まさにこの動揺こそが、自信を失わせ、自分の中に力を弱める自意識を作り出すのです。
 イエスは私たちに全く心配しないように、そして必要な言葉と知恵はイエスが私たちに与えてくださることを信じるようにと言われます。大事なことは、しゃべる準備が多少出来ているということなのではなく、イエスの愛にしっかりと錨を下ろし、この世界にあって、私たちが誰であり、何のためにここにいるのか、ということを知っているという安心感を抱いていることです。私たちの心がイエスのみ心と結ばれていれば、話さねばならない時が来たら、何を言うべきかは必ず分かるに違いありません。