2016年9月5日月曜日

今月のみことばより

「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」(マタイの福音書7章13、14節)

 

 日本の文化を代表する茶道を大成した千利休が、秀吉に切腹を命じられてその生涯を終えたのは天正19年(1591)のことであった。しかし、その理由は今もって謎のままである。◆ただ、利休とカトリックとの関係は以前より注目されていた。例えば、濃茶の回し飲みは教会の聖餐式と酷似している。しかし、最近さらに興味深いことを知った。なぜ本名とは全く違う「千利休」となのったのか。それはSt.Luke、つまり聖ルカをを日本風にしたのではないか、ということである。利休が用いた魚のマークも、ギリシャ語の「魚」ἰχθύςは<イエス><キリスト><神の><御子><救い主>を示し、クリスチャンを表すコードネームであったことと無関係とは思われない。◆もし、利休が事実キリシタンであったとすると、茶道の絶大な支持者であった秀吉は、気がついてみれば、キリシタンの宣伝者として利用されていた、ということになり、これが、激怒した本当の理由ではないか、というのもうなずける。◆実際、茶道と聖書には密接な関係がるとすると、謎が解ける部分も多く、木戸、路地、蹲(つくばい)、躙り口(にぎりくち)を経て茶室に至る、という行程は、狭い門から入れ、というキリストの教えを写し取ったかのような印象さえある。◆秀吉のような最高権力者といえども、余分なものを一切捨てなければ、茶室に入れない、とは何という心にくい仕掛けであろう。作法として受け入れていた秀吉がその背後にキリスト教信仰のメッセージが隠されていたのを知ったとしたら、憤激するほかなかったであろう。◆この二人の対決の真の勝利者は誰であったのか。それは秀吉さえも恐れぬ利休であったのではないか、と思えてならない。◆神を恐れる者は、もはや他の何も恐れる必要がない、というのは、利休が到達した心境であったのかもしれない。


追記
 先代の千宗室(現千玄室)も同じようなことを言っていた。

 打つ時はいいのだが字が小さいから読み難いようなことを言われていたので字が大きすぎるし打ちにくいが少しこれでやってみる。