2016年10月1日土曜日

今日のパン、明日の糧より

10/1   ご自身を与えられたイエス

 友人を食事に招待する時、私たちは体に必要な食べ物を供するだけではありません。友情、交わり、楽しいおしゃべり、和やかで親しい関わりを供します。「ご自由にどうぞ。もっと召し上がれ、遠慮なさらないでもう一杯いかが」と言う時、私たちは客に食べ物と飲物をすすめるだけではなく、私たち自身をも差し出しています。霊的な絆は深められ、私たちは互いの食べ物、飲み物となるのです。

 このことが、最も完成した形でなされるが、聖餐式で、イエスがご自身を私たちの食べ物、飲み物として与えてくださる時です。ご自身の体と血を私たちに与えてくだ去ることで、イエスは、創造を超えるほどの親しみに溢れる交わりを、私たちに提供しておられるのです。それは、神の交わりです。


追記
9/24-9/30はサクラメントとしての洗礼と聖餐、そして交わりが書かれている。頷けるところもあればそうでもないところもある。そこはカトリックの理解はこうなのかという理解をしている。