2016年11月12日土曜日

今日のパン、明日の糧より

癒しと和解の働き   11/6

 この世界にあって、教会はどのようにしてキリストを証しするのでしょうか。第一に、そして何よりもまず、貧しい人々と弱い立場の人々に対するイエスの愛を見えるようにすることによってです。
 癒し、許し、和解、そして何よりも無条件の愛に飢えている世界にあって、教会はその働きを通して、こうした飢えを和らげるように呼ばれています。ひもじい思いをしている人に食べ物を差し出し、裸の人に服を提供し、孤独で寂しい人を尋ね、疎外されている人の話に耳を傾け、対立している人々に一致と平和をもたらす時、キリストについて語ろうと語るまいと、私たちは常に生けるキリストを宣べ伝えます。
 私たちはどこへ行き、何をしようとも、私たちを遣わされたイエスのみ名のもとにいることが大切です。イエスのみ名から外れては、私たちは神からの力を失ってしまうでしょう。


イエスの物語を語ろう   11/7

 教会は、イエスの福音をすべての人々、すべての国々に宣べ伝えるように呼びかけられています。教会は、多くの慈しみの業によって、イエスの愛を人々が目にすることが出来るように励む必要があります。そしてさらに、そのような慈しみの働きの他に、イエスの生涯と苦しみ、死と復活を通してなされ神みの救いの大いなる神秘を、喜びをもって告げ知らせるようにも招かれています。イエスの物語は、宣べ伝えられ、祝福の内に記念されるべきものです。ある人々は喜んで耳を傾けるでしょう。また、ある人々は無関心でいるでしょう。そしてある人々は敵意を抱くことでしょう。イエスの物語は、常に人々に受け入れられるわけではありません。けれども、イエスの物語は語らなければなりません。
 イエスの物語を知って、それを生きようとする私たちには、イエスの物語を他の人々にも伝えるという喜ばしい務めがあります。愛と感謝に満ち心から私たちが語る時、その言葉は実を結びます。私たが実際にその結果を見ることが出来ようと出来まいと。