2016年11月17日木曜日

箴言を読み終えて

字面を追うように聖書を読んでいる。今箴言を読み終えた。箴言は一日一章読めば一ヶ月で読み終え、ある意味でデボーションに適切な書でもある。共同訳は題がついていて「序」、「知恵の勧め」、「父の諭し」、「格言集」、「賢人の言葉」、そして25章から29章に「ソロモンの箴言」、最後に「アグルの言葉」、「レムエルの言葉」と区切って題が付いているから分かりやすい。

箴言は知恵が賢者のように語りかけてくる。そして1章7節に「主を畏れることは知恵の初め」の言葉がすべてを語っているように思う。ものの初めがここにあり、ものの終りもここにある。これを抜きにしては何の意味もない。しかし、キリスト者の中にも結構ここが抜けて物事がなされているような気がしないでもない。私なんかはこの言葉に「世」が糖衣錠のように厚く包まっている。

みことばを実践しようと思えば、この言葉が、
「無知な者も黙っていれば知恵ある者と思われ唇を閉じれば聡明だと思われる。」17:28

しかし、なかなか難しい。沈黙は金と言われるそうだがその沈黙が…。

実際に経験させられたことだが、
「どのような時にも、友を愛すれば
苦難の時の兄弟が生まれる。」17:17

新改訳では、
「友はどんなときにも愛するものだ。
兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。」

口語訳では、
「友はいずれの時にも愛する、
兄弟はなやみの時のために生まれる。」

とある。私は新改訳の言葉がぴったりする。

詩篇は詩篇で美しいが箴言は短い格言の言葉の中に真理が含まれている。通読の中で読んでいるが詩篇、箴言は別個にも読んで益を受けるところでもある。