2016年11月29日火曜日

熟し柿

田舎は寒いから渋柿しかなかったように記憶している。そして固いうちに取るのは干し柿でそのまま食べたいときは熟してから取る。田舎にいるときは柿といえば柔らかい熟し柿のイメージがあって東京に来て固い甘柿を食べた時はこんな柿もあることを知った。まずいという印象があってあまり好きではなかった。今は開けたが家よりド田舎という感じの横浜のおばさんのところの畑に大きな柿の木があって、隔年だがびっしり柿が実っていてだれもとらないでほっているのをみてもったいないなぁという思いはあったが固いので取って食べたいとは思わなかった。後に甘柿も好きになり少し柔らかくして食べる甘柿は絶品である。

こちらに来て昔農家だったのかなと思われる家の庭には大体柿の木が植えてある。考えてみれば食べ物が豊富でない時代にはこのような実のなる木を植えて食物とするのは昔の人の知恵だったのだろう。干し柿とすれば保存もきくし食べ物の少ない冬には大切な食物というより今でいう茶菓子のようなものだったのだろう。そういえばあられやせんべいも然りかな?餅は大好きだから餅に関すると生唾が出てくる。どちらも日本人の生活の知恵を思う。

家内の実家の隠居屋に柿の木があって毎年実をつける。去年は粒が小さかったが今年は大きい。気になりながらも時間がなくて取れなかった。この間畑の帰りに少し取って来て、早速家内は柿の皮を剝いて干し柿にしていた。取るのが遅かったから柔らかくなってきたのが結構あって、今は塾柿として食べている。かじりながら汁がこぼれないようにシンクや外で食べていると田舎で熟柿をかじっていたころを思い出しす。

吊るすスペースはそれ程ないので柿の木にはまだ半分以上残っているが冬場の鳥の餌になればグーである。中には手つかずの柿の木やきれいに取った柿の木と様々だが聖書的に言えば残すのがいい。天からの賜物は共に分け合うためにあるもの、独り占めしてはいけない。色々な意味で富んでいるキリスト者は貧しいキリスト者に分け合う義務がある。でないと「富んでいる農夫」(ルカ12:16-21)のようになります。富んでいるキリスト者の皆さ~ん気をつけましょう。貧しいキリスト者より。