2016年11月1日火曜日

今日のパン、明日の糧より

10/30   中心にある最も弱いもの

 体の大事な部分はリードし、制御する頭や手ではありません。最も重要な部分というのは他よりも格好が悪いと思われる部分にあります。それが教会の神秘です。教会の中心を形つくるのは、私たちの内で最も弱い人々―老人、幼子、障がいを持った人、心の病を患う人、飢えている人、病気の人ーです。抑圧から自由へと呼び出された者である私たちはこのことが分かるに違いありません。パウロが言っています。「私たちは、体の中でほかよりも格好が悪いと思われる部分を覆って、もっと格好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします」(1コリント12・23)。
 神の民である教会は、貧しい人々が教会の最も大切な部分である時、私たちの間におられる生けるキリストを真に姿、形ある方として示すことが出来ます。貧しい人々を思いやることは、キリスト教的慈善事業をはるかに超えるものです。それは、キリストの体となることの本質です。


10/31   貧しい人々に焦点を合わせる

 この世のあらゆる組織と同様、教会も常に腐敗の危険にさらされています。権力と富が教会に入り込むや否や、ごまかし、影響力の悪用、誰の目にも明らかな腐敗に向かっていると言えましょう。
 どうすれば教会の腐敗を防げるでしょうか。答えは明らかです。貧しい人々に焦点を合わせることです。貧しいにと人々によって、教会はその本来の召命に忠実であるよう仕向けられるからです。教会がもはや貧しい人々の教会でなくなった時、教会はその霊的な本来の姿を失ってしまうでしょう。そうなると、不和や妬み、勢力争い、心の狭さなどに捕らわれてしまいます。パウロが言っています「神は、見劣りのする部分を一層引き立たせて、体を組み立てられました。それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています」(1コリント12・24-25)と。これが、まことのヴィジョンです。教会に弱い苦しい立場の人々が与えられているのは、キリストの体である教会が、互いへの思いやり、愛と平和の見出せるところとなり、そうあり続けることが出来るためなのです。