2016年11月10日木曜日

今月のみことば

 誰もが幼児洗礼を受けることが当たり前であったヨーロッパにおいて、再洗礼を受けることが命がけの時代があった。再洗礼主義とは(1)洗礼を受けるのは信者に限る、(2)いかなる政府も宗教的信条を強要してはならない、という、今日で言えば当たり前のことを言ったすぎない。しかし、そのために受けた迫害の厳しさは、ローマ帝国時代の迫害よりも苛烈であった。◆人々は火刑、または斬首にされ、またそのお尋ね者として賞金がかけられた。彼らの匿(かくま)ったり、食物を与えた者も罰せられた。◆この再洗礼派の指導者の一人が、メノー・シモンズ(1496-1561)である。もともとは司祭であったが、あることがきっかけで聖書を真剣に読み始めた。そして上記のような確信に至り、安逸な生活を捨てて、再洗礼派の群れに加わったのである。◆「再洗礼派の牧師給とは、火と剣、そして死である」とシモンズは後に記している。彼の及ぼした感化は深く、メノナイト(メノー派)と呼ばれる教会の源流は実にここにまでさかのぼる。
◆洗礼を受け直す、ということがなぜこれほどの重罪とみなされたのであろうか。信仰に関して国家の統制を受けず、聖書のみに従う、という再洗礼派の人々が為政者の権威を脅かす危険な存在に映ったであろうことは想像にか難くない。◆原語の「バプテゾー」(動詞)には、「浸す」「一体化する」という意味がある。それは染料に布を浸すときにも使われた。布が染料と同じ色に染まるように、罪なき神の御子の義を我が義とし、キリストの死を我が死とし、キリストの復活を我が復活とする、というのはまさに洗礼(バプテスマ)の神髄である。
◆その霊的現実を表す洗礼が現代のように自由にできるようになるまでには、信じられないほどの犠牲があった。「なぜそこまでして洗礼の仕方に固執するのか」と問う声が聞こえてきそうである。しかし、それに対するメノー・シモンズの応答もまた明らかなように思われる。「人に従うより、神に従うべきです」と。

                  長野キリスト集会
11月号 月報より