2016年12月16日金曜日

一足早いクリスマス


ネットで観ていると教会のクリスマスが12月早々に始めているのを散見する。子どものクリスマスは以前からよく見かけたが大人向けでは今年は多いような気がしている。実は私たちのクリスマスもこの11日に諏訪湖畔端のハーモ美術館のホールを借りて行われた。今年で二回目である。ここではよくコンサートを行われるようで、それはピアノがあまり聞き慣れないオーストラリア製のベーゼンドルファー225と言われるものでどうも小さな家が一軒建つほどのものらしい。メッセンジャーも演奏される方ももう6回目になる。そして母娘連弾は三回目に、素人目にも息があってきたような気がする。

メッセージの前後に演奏してくださり、幾つかの曲名は分からず音楽には疎いものだが生で聞く演奏は素人でも感動する。私は鍵盤をたたくことは出来るが音楽にはならない。演奏者の20本の指が巧みに動いて、そして力ずよく響いて来る。演奏を聴きながらハーモニーの美しさを実感した。神が創られたものには調和があり、美しい。罪の世界はそれを壊しているように見受けられる。怒り、憤り、殺戮、平和であるように見えるが心にそれがない世界である。演奏を聴きながら神が創られたものがいかに美しく調和を持っているものであるかを思い浮かべ、罪はそれを破壊するものであることを実感させられた。

メッセージも韓国から帰って来たばかりなのでお疲れかなと心配したがそんな様子は微塵も見られず力強く語ってくださった。諸集会は「罪だ滅びだ救いだ」とストレートに語られることが多かったように思うが彼は神がおられること神の本質は何であるかを語ってくださって初めて聖書の話を聞かれた方もそれ程抵抗感なく聞かれるような話をされる。

続けてきて下さった方や新しい方と色々だったが好意的に聞いてくださった方も信仰、集会にと結びつくには至難かなと思わされた。でもこれがなければ先に実を結ぶことは出来ない。誰かが種を蒔き、誰かが実を刈り取る。私たちはその過程の中のどこかに参与しているのである。そのことが感謝なことでもある。

M姉妹は英語が好きで今軽井沢で英語と聖書が勉強できるSYME JAPANというところで勉強している。来年1月にはアメリカでの一ヶ月間の研修旅行があるらしい。英語と音楽が苦手な私には驚きというより唖然とするばかりである。そこのスタッフの方々14名が来てくださった。日本語のよくわからない方もおり、音楽は別としてもメッセージは?と思ったがケーキとコーヒーが用意されてい寛ぐ時間もあったからそれはそれで良かったのかなと、お陰で用意した椅子のほとんどが埋まりホッとしている。M姉ありがとうございました。

Y姉、M姉の母娘のハーモニーの美しさにいかに多くの練習を重ねられたが伺い知ることが出来脱帽。遠い千葉から運転してくださり、マネージャー的働きをされたI兄ありがとうございました。また、この小さき群れにいつも奉仕してくださるM兄そしてファミリーこの一年ありがとうございました。私たちは何もできなかった分主からの慰めと祝福があることを確信している。私たちもこのことを通して少しでも成長できたらと願っている。クリスマスおめでとう。