2016年12月14日水曜日

友、遠方より来る

長く療養されていたK姉妹が召されて召天式に列席した大阪のN兄が岡谷インターから大阪に帰ると前橋から我が家に電話をくれた。しかし、義姉を眼科に連れて行く日で夕方6時までに帰るからゆっくり来てとお願いして出かける。電話を貰ったのは10時頃だから昼飯をそしてゆっくり?交わるつもりだったのだろうが残念ながら予定が狂ってしまった。定期検診のようなものだから特別異常はなく、彼女にとってその後にどこかで食べるのが楽しみであるのだが今回は事情を話して近くのラーメン屋で、持ち帰りを作って貰って急いで帰ってきたが6時を10分ほど過ぎてしまった。もう5時頃ついていたらしい。パソコンで仕事をしていたから平気だよと言われたが申し訳ない。それから近くのファミレスへ、帰って我が家でコーヒーを久しぶりなのでつい私の方が話し込んで8時半を回ってしまった。

10年以上会ってなかったと思う。彼が東京に居た時は私たちの近くに住んでいてよくスクーターで来ては何か食べる物ないなどと冷蔵庫を開けて家内に何か作らせていたこともあった。私が家内に何も買ってあげないので「金の指輪」を作ってくれたりして気兼ねのない兄弟である。お互い好き勝手なことを言い合う仲だった。今回も然りである。私はぼけ、彼は白髪が増え、私はリタイア、彼は大阪の会社ではトップのようだ。一番いらくなっているというのにお互いに成長していない証拠なり…。親子ほど違うから彼が私に合わせてくれたのかな、成長していないのは私の方のようだ。それでもうれしかった。今度会う時は天国だと分かれたが一路大阪へ早くても4時間はかかる。ご苦労さんでした。いつかご夫妻で蒸し暑い大阪から自然いっぱいの信州へと願うが…。

それから間もなく、珍しく電話が鳴る。取ると「○○さん」とどこかで聞いたことのある声である。3-4か月前かお母さんが亡くなられたことを知って手紙を書いた。雑文で汚い字だったから気分を害されたかなと思っていたがそうでもなかったようだ。その時はそれだけだったがご両親に色々お世話になっていたので秋になったらリンゴをと思って送った。何もなかったのでたくさん色々と頂き物があるので一々何もしないのだろうなと思っていた矢先だった。電話をとり多分そのことだろうとそしてタイムスリップして話し出す。私よりもと家内に変わって、また長々の話をする。女同士、母親同士の分かり合えるものがあるようだ。彼女も色々苦労しているらしい。でもどこか逞しい。

それとご主人は私と一緒にバプテスマを受けた。彼は中学生だった。10歳違うが今は病院建築設計の第一人者のようだ。アメリカで仕事をしていた関係で病院建築で英語が出来る人は珍しくひっぱりだこだことのこと、私は相変わらずだが周りはみんな雲の上の人になっていく、もうすぐ天国と言っても少々寂しい。丁度果物だけのダイエットのようなことをやっているので大きくておいしいと喜んでくれたがお役に立てて私たちも嬉しい。たまにはこんなダブルでグーの時もある。珍しく心浮き浮きした一日の終わりだった。