2016年12月17日土曜日

今日のパン、明日の糧

平和の国   12/10

 造られたものすべてが共に、造られた方のみ腕にあります。すべての男女が、自分たちはお互いに兄弟姉妹として、一つとなって生きるように召されているというばかりではなく、神によって造られたものすべてが、完全な調和の中で一つに集められということを悟る、それが最終的なヴィジョンです。キリスト・イエスは、そのヴィジョンを実現するために来られました。イエスが生まれるはるか前に、預言者イザヤはそのヴィジョンを見たのでした。

 狼は小羊と共に宿り 豹は子山羊と共に伏す。
 子牛は若獅子と共に育ち 
  小さい子供がそれらを導く。
 牛も熊も共に草をはみ その子らは共に伏す
  獅子も牛も等しく干し草を食らう。
 乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ 
  幼児は蝮の巣に手を入れる。
 わたしの聖なる山においては 
  何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。
 水が海を覆っているように 
  大地は主を知る知識で満たされる。
                 (イザヤ11・6-9)

私たちはこのヴィジョンを生かしつづけなければなりません。


新しい天と新しい地   12/11

 イエスがお生まれるになるはるか前に、預言者イザヤは、キリストによってなされる、すべてのものを一つにする救いの業のヴィジョンを受けていました。イエスが亡くなられた後何年も経って、愛された弟子ヨハネにも、別の、しかしよく似たヴィジョンが与えられました。ヨハネは新しい天と新しい地とを見ました。すべての被造物がキリストの完全な花嫁となるために、不死の衣をまとって新しい姿に変貌していました。ヨハネ幻の中で、復活されたキリストは玉座から語りかけられます。「見よ、私は万物を新しくする。…見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」(黙示録21・5、21・3-4)
 イザヤもヨハネも、キリストの救いのみ業はすべてのもを包み込む性質のものであることを、私たちの目を開き、教えてくれます。


付記
久しぶりの活字を見ながらのブラインドタッチはスムースに動く指とブレる指があって少し戸惑う感もありで、少しづつでもやっていることの大切さを教えられる。頭も同様である。しかし、ここはぁ~。ここがよりどころなのである。
isa:49:16
見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ