2017年1月24日火曜日

旧約を読み終えて


昨年7月から読み始めて昨日ゼカリヤ書の後半とマラキ書を読んで旧約を読み終えた。半年チョットかかったがなんか字面を追うように読んでしまった感がしないでもない。年の所為と思うのだが記憶するとか集中するとかがとみに衰えたことを実感させられたような気もする。以前だったらガクッと来るのだろうがこれが「年」というものかと思って淡々としている。

イザヤ、エレミヤ、エゼキエルと読んできて、言葉はあまり残らなかったが人となりをいつもより感じた。格調高いイザヤ書もイザヤの育ちの良さが伺え、歴史に翻弄されたエレミヤの悲劇に共感したり、エゼキエル、ダニエルは捕囚になってもエリートはエリートだなぁなんて思ったりしていた。この発想はキリスト者とは思えない感もしないでもない。それでも大預言書より小預言書の方がどこか共感するものがあり、そこに彼らの苦悩が神の苦悩と重なるからである。新約では罪と片付けてしまうが旧約は人間の赤裸な姿を隠すことなく露わにしている。私なんかまだいい方かなと思わせる程赤裸なのである。この赤裸がイエス様の苦悩につながるのだろうか。どんな感じを受けるか新約へ…。