2017年1月7日土曜日

年明けて


元日の4時過ぎに東京を発って諏訪に向かう。少し寝不足かなと思いながらい向こうの両親が待っていると思うとついスピードが上がる。眠さも限界でついに双葉で仮眠をする。どのくらい寝たかわからないがコーヒーを飲みひたすら諏訪へ、富士見を過ぎたころに給油のランプが点滅、やばいと思いながら40キロは走るだろうとちょうど下り坂が続くので殆どアクセルを踏まずに走る。そして、諏訪インターへ、下りてすぐスタンドが何軒かある中でTポイントが使えるエネオスへ半分入れて、彼女に実家へ、お母さんが食事をと言われたが固辞して家に向かう。ガラスの里の前のスタンドでマンタンにするが9円しか違わないこれならさっきのところでと思ったが後の祭り、ガソリンも少しづつ上がっているようだ。

翌日は東京での疲れを癒す為にのんびりと何もせずに過ごす、家内は箱根駅伝をTVで観ていたが私はさほど関心がない。いつもなら箱根の坂でのアクシデントを期待して見ているのだがその興味なし。年賀を出しに郵便局に行ったついでに足を延ばして下社秋宮へ、参道の中間位のところで人の流れを眺める。それ程ではないがそれなりにかコンビニも繁盛している。この時ばかりに店の前でも売っていた。勿論屋台も出ている。自転車で行ったのでそこから先の坂を登る元気もない。下の交差点では下諏訪教会の信者の方が「イエス・キリストを信じる者は永遠のいのちを持つ」のみことばを立てて頑張っている。もう一つは読めなかった。あそこにのぼりを持って立つのは勇気がいるだろうなと思った。4日は速歩を兼ねて郵便局、秋宮、イオンを歩いた。4日にもなるといつもよりは人通りは多いが三が日ほどではない。東京からの観光バスもあった。駐車している車も松本ナンバーが多く、長野もチラホラ、勿論県外ナンバーもそれなりにあってさすがだなぁと変なところで感心する。奥のさい銭箱の前には数人くらいが立ってお辞儀をしている姿しかない。賽銭箱と言ってもどこもそうなのだろうが白いシートを広げている。そうっと覗いて見たら下に小銭やお札が見えた。札は数えるしかなかった。硬貨も100円というより銅貨が多いように見えたが実際どうだったのだろう。それにしても家内安全、商売繁盛ではないが色々祈ったのだろうから捧げる金額は少なすぎる。少し虫がいいのではと内心思えながら巫女が並んでいる札所を眺めながら、駐車場の車のナンバーを見て帰ってきた。唯一の稼ぎ時だから大変だなぁと思いながら…。

4日はN兄が蟹を送ってきたので皆と鍋をつついてようやく正月気分を味わう。翌日、暮れから風邪気味だった家内を医者へ、その晩に寒気を覚えながら夜更かししたら、風邪に、そして我慢できずに7日に医者に行って来た。軽い風邪のようだ。此のところ毎年風邪をひくようになった。年を感じるが私を好いてくれるのこれ位か?と、イエス様を別格として…。そして今、借りてきたホーソーンの「緋文字」を読み始めている。本当は今日が返却日なのであるがまだ1/3くらい、その上「余暇と祝祭」という薄い本も借りてきた。暮れにアマゾンで取り寄せた本二冊は積読のまま、これが年明けての出来事である。