2017年1月8日日曜日

今月のみことば


「さあ、来たれ。論じ合おう」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くとも、雪のように白くなる。紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」    
             イザヤ書1章18節)

 石井藤吉という極悪の犯罪人がいた。47年の生涯のうち何と在獄20年余、盗み、傷害、殺人、強姦、脱獄を繰り返した。◆しかしある時、自分が犯した殺人事件で別人が逮捕されたことを知り、自首を決意。真犯人である、と名乗り出て、冤罪を未然に防いだ。ところが、その後、毎晩恐怖を覚えるようになる。無理もない。これだけの罪を犯したのである。これだけの罪を犯したのであるい。行先は地獄以外にどこがあろうか。◆そんな中、雨の日も風の日も絶えず監獄を訪問し、相談相手となり、慰め励ます二人の婦人宣教師がいた。◆二人は藤吉に正月料理と新約聖書を差し入れた。思いがけないこの訪問に、さすがの藤吉も驚き、はじめは疑いながらも聖書を読み始めるうち、次第に心が惹かれていった。◆ある日、ルカの福音書23章34節に至り、藤吉は「五寸釘を打たれたような」衝撃を受けた。そこにはこう書いてあった。「そのとき、イエスはこう言われた。『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです』」。◆藤吉はついにキリストに心を開いた。すると今までの不平不満に代わって、感謝の心が生まれてきたのである。そればかりか、いったん枯れたように見えた菊が、時期が来て咲くのを見て、不滅のいのちを素直に信じることが出来た。◆わずか一年数か月の信仰生活の後、ついに死刑は執行されたが、英訳された藤吉の手記を読んだ世界的聖書学者ウィリアム・バークレーはそのマルコ伝注解の中でその感動をこう記している。「死刑宣告を受けたその男を絞首台に連れ出したに来た看守が見たのは、それまで思っていたような気むずかしい、無情な人非人ではなく、ほほえみを浮かべた輝かしい人間であった。殺人者イシイは生まれ変わっていたのである。」
         長野キリスト集会1月月報より