2017年12月30日土曜日

老いを


大分間が空いてしまった。気力、体力、知力の衰えを実感させられて「老い」と向き合う意識を持たないと、との思いを実感させられている。まだ元気であるがスーパーで私より年配のご夫婦を見かけるとあと何年であの年になるのだろうかその時私は元気でいられるのだろうかもう来れなくて人の世話になっているのだろうかと思案することがある。認知症なる言葉も他人事ではなくなった。これもある日突然ではなく、既に予備軍、否既に入っているのかもしれない。嘆くつもりは無い。素直に受け入れなくてはと思っている。「老い」は「受ける」という本来私たちが持つべきものを体験させられる世代ではないかなと思っている。前に書いたか忘れたが「自立」は大切なことであってもそれは神からの自立につながると思っている。文明の発達はその証左ではないだろうかと思っている。好むと好まざるに関わらず「老い」はそれを体験させられる。ある意味で「解脱」だ。今年は老化元年としよう。

2cor: 4:16
ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。