2024年3月28日木曜日

聖書雑感

 ヨハネだけがなぜこの出来事を書き残されたのだろうかと思っている。マタイ、マルコはユダヤ人やローマ人には興味のないことであろうかと、ルカもギリシャ人にはと思ったのだろうか。
 ヨハネはイエスさまがカナの婚礼で水をぶどう酒に変えた最初の奇蹟をしるしと記している。そして七つ記させれてここは三番目である。
 ベデスダ(あわれみの家)と呼ばれるように憐れみを希って大勢の病人や盲人や足のなえた人ややせ衰えた人がいたと記している(三節)。癒されるようにと来てもそのチャンスもなく立ち去って行った人もいたであろう。
 わたしの田舎の少し山に入ったところ(昔は村の役場があった)に菅谷不動尊というお不動様がある。三不動尊の一つと言われ、二つは成田山新勝寺と福島にある中野不動尊らしい。しかし不動尊は全国各地にある?である。ここは眼に効くと言われタニシを奉納している。子供のころの記憶であるが境内にある書置きなどを見ると北海道や九州の地名を見ることがあった。遠くからも来ているんだと子供心にその深刻さを推察できた。
 立ち去らずに三八年間も病気で苦しんでいた人にイエスさまは目をとめられた。
「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」
 ヨハネはイエスさまが一人の病人を癒しただけではなく、わたしたちにも語り掛けてくるように「立って、歩め」と言われているようである。「顔はデカいが心臓がノミ」(頭は大きい、それで頸椎がやられたのか?)でどうでもいいことはちょこまかと動くが肝心なことになるとお不動様のように動かない。そんなわたしに「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」
そして
と語れる。