ヨハネの福音書の20章に復活の出来事が載っている。
前半はマグダラのマリヤが朝早く墓に行ったら空っぽの墓を見てペテロとヨハネ(多分)に告げる。二人の弟子も布切れと亜麻布だけの墓を見たが「彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないことをまだ理解していなかった」記している。
後半には弟子たちがユダヤ人を恐れて家の戸にカギをかけて家にこもっていることが記されている。そこにイエスさまが現れて「平安があなたがたにあるように」と語られて、不安と恐れの中にあった弟子たちはイエスさまを見て喜んだとある。
使徒の働き2章にペンテコステの出来事をルカは記している。そこから福音は燎原の火のごとく広がって行った。使徒の働きは61年ごろに書かれたと言われており、ヨハネの福音書は85-90年代に書かれたと言われている。それ故ヨハネはペンテコステの出来事を知っていたはずである。三人の福音記者が書かなかったこの出来事を何故ヨハネは書いたのだろうかと思わされた。
ひとつの結論として、「平安」はわがうちになくイエスさまが与えてくださらなければ得ることが出来ないことである。
最後のトマスへの語りかけも「見て信じたのか見ないで信じる者は幸いである」と言われた言葉の中に私たちは「見ないで信じた」者であることを覚えイエスさまの「幸いなるかな」のことばに慰められる。