2024年4月11日木曜日

信仰雑感

ps 121: 1~2
私は山に向かって目を上げる。 私の助けは どこから来るのか。
私の助けは主から来る。 天地を造られたお方から。
matt 6:28~29
なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。  新改訳聖書2017版より

 ここは山に囲まれた盆地である。ここから甲府方面に向かって山が切れていてその間から富士山が見える。そこは県境の富士見町あたりだが標高1000mを超えている。東京の郊外にある高尾山は標高599m、はるかに高い。
 自然が目の前にあり、目を上げなくとも山々があり、自然の移り変わりを見ることが出来る。これからか既にか新緑、暑くなると共にその濃さを増す。そして秋の紅葉は素晴らしい。奥蓼科に入ると全山だいだい色となるところもあり圧巻である。
 フッと思った。枯れて土に帰る枯れ葉にさえこのように装ってくだる創られた方を覚える。罪びととなってしまったとは言え、唯一神に似て創られた被造物である。
 自分の醜さ無力さなど否定的な面しか見えないがイエスさまは「栄華を極めたソロモンでさえ」と言われた。私たちから見たら目をみはるばかりであろうソロモンよりもと野の花のことを語っている。
 自分の否定的な面を受け入れつつ、神ご自身がとらえてくださっている肯定的な面に目と心を向けるべきであろうと思わされている。難しいが・・・。