今まで聖書を読んでいても言葉だけに注目していたような気がする。今、正しいか否かは分からないが聖書は平面図のようなもので、それを人が読んで立体図をイメージしていく、人によって教団教派によって違ってくるのは当然であろうと思うようになっている。そのうち変わるかもしれないが・・・。
イエスさまがガリラヤ地方で活動されていた時、「待ち望んでいたメシアが来た」と行くところどこにでも歓喜に満ちて迎い入れていたのではないだろうか。そんな時にイエスさまが「死とよみがえり」を語っても受け入れられるはずがない。ペテロの言動は当然である。しかし、ここに神と人の違いを明白に示している。人は上に上にと目指して行くことを示しているようであり、神は下へ下へと目指していることを示している。神の目指す方向は人にとって敗北である。しかし神にとって勝利なのである。このギャップはキリスト者でも理解できない。人はこの方法しかできないことも事実であるが福音宣教を観ればよく分かる。