2008年4月28日月曜日

洗礼式

 今日は二人の姉妹の洗礼式があった。
信仰生活40年もすると特別感動する事もなくなった。良い証しをするしそれなりに感動する。しかしそれからの信仰生活に裏づけがないことが多いからかもしれない。またどんどん積極的になっていく人たちもあるから何処にその分かれ道があるのだろうかと思うと本人よりも指導者の用い方によるような気もする。そこに信仰的でなく人間的な要素があるような気がする。そして何処かに建前があるような気もする。
 今集会に来ていない人、また集いない人、これらのフォローをどうするのか何時の時代でも大切な課題でもある。そして答えを見え出していないような気がする。教会には宣教という大きな課題があるために他のものは付随的になっていないだろうかと思う。色々課題があるから岡谷なんかは良いヒントを与えてくれるような気がする。
 集会の帰りに成田姉のホームを訪ねた。気になっていたが行く機会がなかったので集会の帰りに行く事にした。久し振りで訪ねたから彼女も何しにきたのという顔をしていた。少し進んできているのかなとの思いはあったが色々話をしていく中で少しづつ話が弾んでくるようになって来た。最初余り表情のない顔が帰りには大分変化を見ることができてうれしかった。聖書の話も建設的な話も出来るわけでもないから直接的な益を感じないかもしれないがこれも大切なことではないだろうか。

2008年4月26日土曜日

年なのかな

 昨日は大分前から幾つかに分けていたがそのままにしていた聖書の分冊を厚紙を買ってきて仕上げることが出来た。前に分冊にしていたものがボロボロになっていて、それに聖書が何冊かあるので一つは分冊にと思っていたからようやく終わってほっとしている。旧約はモーセ5書を2分冊に、ヨシュア記からサムエル記、列王記と歴代誌、諸書を一つにして、大預言書を個々に、小予言書は一つに纏めて10分冊にした。新約は福音書、使徒からガラテヤ、エペソから黙示録に分けて3分冊にした。少し厚くなったが諸書を一つにしたりしたので気に入っている。これで前から気になっていたボロボロの分冊は処分できる。
 本の整理も前から気になっていたからやってしまった。しかし引っ越すまでもう少し捨てないといけないかもしれない。これから資料として必要かまた読めるか読めなかったら捨てる。その中には矢内原忠雄の聖書講義もある。余り使わないので処分だ。待シン堂に電話したら在庫もあるからと暗に断られた。今回の整理を通して、腰の重さと時間のかかり具合は見て年を感じてしまった。それに昨年は4日働いて翌日は休養日だった。4月からは2日働いているのだけなのに翌日休養日だ。
一年でこんなにも変わるのかと思ってびっくりする。これから加速度的になるのかな・・・。

2008年4月21日月曜日

先日は

 先週の木金とアクアラインを通って房総半島に、そしてフェリーで三浦半島に行ってきた。340キロ余りの旅だったが少し強行スケジュールだったのかなと思う。貧乏性だから一回でここもあそこもと願うから、ひたすら走りチラチラと周りの所を覗いていった旅といっていいかもしれない。私は一箇所をじっくり見るかこういう風になるか両極端なのである。
 いつか白浜の保養所に一泊して、このコースを行きたいと思っていたのだから念願かなったのだから満足である。それとお天気が悪そうだったが一日目は宿についてから本格的に降りだし、翌日は大雨の予想が朝は小ぶりで出る時は傘がいらないくらいでフェリーに乗るときは雨は上がっていた。その間、道の駅で買い物をし、家内は花が安かったので喜んでいた。三崎での昼食も刺身が値段の割には量があり美味しかった。
 一人の旅もいいものだがこの年になると出不精な家内を連れ出す意味でも二人がいい。苦楽を共にという言葉があるが楽しみは共有しないとと思う。行けるかどうか分からないが今度は北海道がいいなぁ。

2008年4月14日月曜日

同窓会

 今日は礼拝にだけ出て、同窓会のある御徒町へと向かった。何時も来ているメンバーが何人か用があってきていなかった。それでも新しい人もいて男女半々14名も来ていた。来年は田舎の方で同窓会をやるそうだ。ブランクがあるから共通の話題があるのと全くということがあるから間の持てないことがあるからつらい。そんな中でも覚えてくれている人がいるから少し興味がある。それと昔に戻れる楽しさがあるのかもしれない。でもクリスチャンの交わりと違うから少し忍耐と努力が要る。

2008年4月12日土曜日

井上怜奈さん

  がんに負けない・あきらめない
 「今年1月リンクの上の劇的なプロポーズで、感動を集めたフィギュアスケート・ペアの井上怜奈選手。彼女は今、がんなど、病と闘う人たちにとって、大きな心の支えとなっている。井上さんは、父親の命を奪った肺がんに自分自身、20代で襲われた。その後も練習中の事故で頭蓋骨骨折などの大けがをする。しかし、競技生活を大切にしたいと自ら抗がん剤による治療を選択し、異国の地で出会ったパートナーと信頼関係を築きながら、一つ一つ、困難を乗り越えてきた。「がんになっても何一つあきらめることはない」と、日々できること、やりたいことに挑戦してきた井上怜奈さん、そして、その姿に勇気や元気をもらった人々の姿を見つめる。」

 これは4月10日(木)「クローズアップ現代」で放送された要約である。 46歳でお父さんは肺がんで亡くなり、自らもお父さんと同じ肺がんに侵される。そのような中で彼女が生きようと力づけたものはお父さんの死を通してだった。「行き着くところの最後は死なんだ。それならそれに向かって精一杯生きよう。」とそれから彼女の生きようとする頑張りが生れる。普通は絶望するのに凄いなぁと思う。人は別望的なところから生きようとするものは本物なのかもしれない。

2008年4月9日水曜日

今思うこと

 岡谷に行こうと思っていたことを具体化しようと思っている。その中に自分の欠けているものが示されているような気がする。以前にもこのことに触れたがその欠点が出てくるのかなと思う。結論から言うとあまり深く考えていないという事か?でも色々考えていると結局前には進まない。最近は案外こんな調子でいいのかもしれないと思うようになった。

 今回のことで思い出すのは、上沼先生が私のことをブログの中で「私より年が少し上だが慎重な方…」と書いていた。その時は理解できなかったが今はわかるような気がする。慎重なのか優柔不断で決断力がないのか、それとも臆病なのかそこが問題だ。全部当たっているのかも知れない。

 ものごとには手順というものがある。私は父が嫌いで東京に出てきた。それを決めたのも自分で誰にも相談しなかった。だから自分で考え、自分で決めている。その姿勢は今日まで続いている。依頼心が強いところがあるからこのような方法は良いのかもしれない。元々は集会を出ようとした時に岡谷が、そして岡谷に行こうとすれば、人的にも祈りに於いても必要だから集会と切るわけにはいかない。岡谷も飯高さんが少しでも楽になればと思ってのアクションだったがそんな単純なものでもないらしい。そんな中で教えられ、物事を進めているのかなと思う。今は誰の為でもない自分の為かなと思っている。勿論、仕えるという姿勢があっての話だが。明日の祈り会で出し、第3の日曜日にアナウンスするつもりだ。これは責任者に相談してのことだがこれが導きなり御心なのかもしれない。次元の低い発想が肉的なものを削がれ、整えられて聖化されていくのだろう。

2008年4月3日木曜日

食あたり?

 昨日、出勤したら係長に呼び止められて、最近おなかの調子よくない?と聞かれて一瞬何のことか分からず思いあぐねていると「実はここ2,3日おなかの調子が悪い人が何人かいて、私も下痢をしたりして大変だった。」と云われた。どうも金曜日の歓送迎会で食べたものが原因らしいと云っていた。保健所にも連絡して、検便は免れたが書類に記帳させられる。私の場合は何となく倦怠感があり、食欲がなかったくらいだ。
 日曜日は教会を休もうかなとも思った。しかし行ったけど福音集会を終わったらすぐ帰ってきた。月曜日は血圧が170台にもなったので仕事を休んで医者に行ったが大分落ち着いてきて稲城の図書館で予約した本を借りに行きがてら新聞を読み、DVDでビングクロスビーの「わが路を行く」活字は違っていたかもしれないがこれを見て帰ってきた。ということは健康は回復した事の証拠かなと思った。でも原因が分かってほっとしている。集会に向かう折、思わず家内に電話して報告した。感謝、感謝である。