2011年7月28日木曜日

         二つの詩

ちょうど二十年前、聖書も読み、キリスト教関係の本も読んでいて知識も少し増えたかな等と思っていた。しかし、ある時「俺、イエス様のこと何にも知らない」という思いが私の心を捉え、今もその思いから一歩も出ていないのである。そんな時に読んだ一冊の本、「神の素晴らしい計画」(原題は「損失を通して益を得る」)、この本を読むまで神の祝福とは「得る」ことだと理解していた。しかし、神は失うことを通して祝福されることを教えられ、こういう祝福があるのかと驚くとともに何か共感するものがあって喜んでいた。それから間もなく失業したのであるが、これは神からものと受け取ることが出来たが、再就職も簡単に出来ず、幾つかのものも失い、その余韻が今も続いているのである。教えられるとか祝福されるということは、人間的には痛みを伴うものでもある。そこに載っていた二つの詩、主を知ること、祝福されるということは、こういう経験が伴うのかなと最近思わされている。


「……するために」

私は目的を達成するために、神に力を求めました。

しかし私は、謙遜を学ぶために弱い者とされました。

私はさらに偉大なことをするために、健康を求めました。

しかし私は、さらに良いことをするために病弱を与えられました。

私は幸福になるために、富を求めました。

しかし私は、賢くなるために貧しさを与えられました。

わたしは人々の賞賛を得るために、権力を求めました。

しかし私は、神の必要を覚えるために弱さを与えられました。

私は人生を楽しむために、すべてのものを求めました。

しかし私は、すべてのものを楽しむために、いのちを与えられました。

私は、自分が求めたものを何も得ませんでした。

しかし、私は望んでいたもの、すべてを得たのです。

わたしの祈りは、知らず知らずのうちに答えられました。

私はすべての人のうちで、最も豊かに祝福されたのです。

作者不明

「宝」

一つまた一つと、神は私から取り去られた。

私がこの上もなく価値ありと思っているすべてのものを、

私の手がからになってしまうまで。

ピカピカ光るくだらないものは

皆なくなってしまった。

私はそれを悲しみながら歩いていた。

貧乏というぼろをまとって。

そして、ついに私を招く神の御声を聞いた。

「あなたのからの手を、私にあげなさい」と。

私は両手を天に向かって差し伸ばした。

神はご自身の素晴らしい富で私を満たしてくださった。

両手で持ちきれなくなるまで。

私はついに自分の愚かな鈍い頭で悟った。

神はすでに満たされている手に、

ご自分の富を注ぐことはおできにならないことを。

マーサ・スネル・ニコルソン

「神のすばらしいご計画」より

2011年7月25日月曜日

NHKスペシャル 飯舘村 ~人間と放射能の記録~

福島県飯舘村は人口約6000人。山あいの土地で農業や畜産業を営みながら人々は静に生活していた。ところが、東京電力福島第一原発の事故で暮らしは一変した。飯舘村は原発から30㎞以上離れていたため、当初は避難区域などに指定されず、住民は村に残った。しかし実際には、村の土壌は高濃度の放射能に汚染されており、人々は被曝することになった。さらに4月末には国によって計画的避難区域に指定された。村人たちは仕事と暮らしをすべて手放すという悲壮な決断を迫られたのだ。

 農作物の出荷停止。汚染状況の判明。村民に広がる被曝の恐れ。「自然と共存した村作り」を目指してきた菅野典雄村長も、村民の命や健康を守るため決意が揺らぐ。村を出るか、それとも残るか、村民は村の消滅のという極限の状況下で、何を考え、どう行動するのか。番組では震災発生から4か月間、飯舘村を定点観測し、「見えない敵」放射能との闘いを強いられた人々の姿を記録した。(番組の紹介より)

見終わって、「悪い奴ほどよく眠る」の映画のタイトルを思い出した。そして「人の命は鴻毛より軽い」という言葉が生きているのに驚くというより昔から変わっていないのに驚く。国や官僚、企業の利益優先がここにも生きているのかと思わされる。村民の苦悩と葛藤が伝わってくるが東電や国の姿が見えてこない。人は行くところまで行かないと立ち返ることが出来ないことを教えてくれる。誰がどこで真の謝罪をするのだろうか。もし、しなかったら、また同じことを繰り返すだろう。

2011年7月24日日曜日

NHK ヒューマンドキュメント

NHK が20、21、22日の夜の10時に三夜連続で「ヒューマンドキュメント」特集を放映された。

{ 「重度の脳性まひを抱えながら、当たり前の幸せを求めて“行政の壁”を壊してきた小山内美智子さん。今から26年前、小山内さんの陳情を受け止めた相手が厚生省から北海道庁に出向したばかりの浅野史郎さん(元宮城県知事)だった。時に熱く議論し、信頼関係を築いた2人が今、命に関わる病と闘っている。番組では互いの身を案じながら必死に生きる2人の交流をたどり、痛みを抱える人がよく生きられる社会とは何かを見つめていく。」

2011年に最高裁で、連続リンチ殺人事件を起こした3人の元少年の死刑が確定した。事件から17年。犠牲者のうちの1人、江崎正史さん(享年19歳)の両親、恭平さん、テルミさんはその後の人生のすべてを「死刑」に注ぎ込んできた。しかし、それは、無残に殺された息子への思いと、死をもって加害者に罪を償わせる死刑との狭間で揺れ続けた歳月だった。番組では、17年間に及ぶ、江崎さん夫婦の死刑を巡る葛藤の日々を描く。

「これ以上延命治療はしない」と選択し、2010年に亡くなった田嶋華子さん。幼い頃から重い病気に苦しみながらも、最先端の医療に支えられて命をつないできた。「いのちは長さじゃないよ。どう生きるかだよ」、そう語る華子さんを取材した「クローズアップ現代」は、大きな反響を呼んだ。身近な人々との700通にのぼるメール「いのちの対話」をひも解き、華子さんが「いのち」とどう向き合ったのか、その心の足跡をたどる。} 以上NHK の番組紹介より。

20日放映の小山内さんを見て強いなと思った。以前に重度の障害を持っている知人をたずねた時、ちょうどヘルパーさんが来ていて、彼があれこれとヘルパーさんに注文をつけていた。内心お世話になっているのにとその時は思った。後で考えてみて、これは多寡はさておいて対価としての仕事をしているのだから当然か、譬えボランティアであってもやってあげているとかやってもらっているという今までの発想は、今日成り立たない。自分も過去の発想を引きずっていることに気づかされて反省したことがあった。彼も強さを持っていて、自分の置かれている状況に卑屈になることはなかった。お互いに欠けているものを持っているので話が合ったのかもしれないと思う。自分はつい周りを見てしまったり、これは無理だろうなとあきらめてしまうが小山内さんは主張すべきものは主張し、そして行動している。浅野さんの最近テレビで見かけないなと思ったら白血病で治療中だったがようやく大学の講壇に立てられた。これからの活躍を期待したい。

21日は、息子を殺された夫婦の苦悩を垣間見せられた。主犯格の加害者が謝罪の手紙をくれるようになり、その内容も変化していることにご主人は戸惑っているようだった。ご夫婦にとって、死刑は当然としていても心は揺れ動いている様を見る。死も色々あるが最もつらい死ではないだろうか。死について深く考えさせられた死だった。加害者はキリスト教の信仰を持ったようで、それで変わったのだろうか、それが悪い意味でなくご夫婦に戸惑いを与えたのかもしれない。判決は死刑だったからご夫婦は当然として受け止めたであろうが、これからもご夫婦の葛藤は続くのだろう。答えは見い出せないが考えさせられた。

最後の田嶋華子さんは心臓移植をドイツで受けて、10年持てばといわれた。痰をとるためだろうかのどに穴をあけているから会話は筆記である。透析が必要となったのだが、あいてそれを受けることをしないで18歳でなくなった。彼女の達観した姿と、その生き方に意を添うようにしているご両親を見ていて清々しい。しかしその分ご両親の苦悩は大きいだろうなと思った。

死、生きる。あるいは生きることの重みを感じさせてくれた番組だった。

2011年7月22日金曜日

深く考えないで

前に隠居屋のもみじの木を切ったことを書いた。先日葬式があって、そのとき義姉が隣の畑の持ち主から木を切ってと言われたらしい。根が張り、葉が落ちるからだろう。それで昨日一本を切りに行った。畑添えに三本直径15センチと30センチの杉の木と12,3センチのもみじがある。大きい杉は手に負いないので、小さいほうを切っていった。切込みを庭のほうにして切っていったら、そのうちメリメリといって屋根のほうに倒れていった。切込みを入れたのにと思ったが考えたら庭側は枯れて葉が少ない。重心は重いほうに倒れるのが当たり前なのに単純に切り込み側にと思っていた。それと倒れる側に紐で引っ張るようにしたがその紐が紅白のビニール紐、持つ訳がない。

幸い屋根に落ちたから良かったが、畑に落ちたら大変だった。それでも小枝といっても直径5,6センチはある。その一本が切ったとき落ちて3,4本の豆の木をつぶしてしまった。もみじの時は葉が軽かったが杉は重い。これも誤算というより知識がないのであるからしょうがない。たかが直径15センチの木であるがびくともしない。運動不足と年の所為で心臓はゆとりがない。思案しながらお茶を一口のみ、とりあえず軽くするため、手の届く枝を切ることにした。5、6本切っただろうか大分先のほうがすっきりした。それでもゆすっても微動するのみ、無意味と思いながらもビニール紐を掛けて帰ってきた。帰り際、畑の持ち主に謝りに行ったら、「イーイー」と言ってくれてなすときゅうりをくれて、今日、ロープを買ってきて、倒れないように張ってきた。日曜日に梯子を借りて切ってくる。それで引っ張れば庭先に落ちてくると思う。もみじは細いので出来そうだから後日、大きい木のはシルバーに頼もうとしたら、年寄りだから出来るかどうかわからないから見積もりをと言われ頼むつもりである。

いつも思うことだか物事を深く考えない。そしてことの大きさにパニックになる。いい加減なのか深く考えられないのか両方か定かではないが、何とかなる主義で今まで来ていたのがこういうところに出てしまう。そしていつも頭に浮かぶのはサムソンの失敗である。自分から力が抜けているのにそれを知らないで、また人暴れと思って出掛けるが捕まり、目をえぐられてしまう。思慮のない姿がダブル。そんな者が逆に、ギリギリのところで守られていることである。もしかしたら大変のことに、畑に落ちるのみならず木の落ち方によっては体がどうなったか分からない。それがなんでもない、守られているなぁといつも思う。こんなことがあるとつい物事を甘く考えてしまう。失敗から学ぶのはわたしだけではないだろう。

2011年7月16日土曜日

信仰・希望・愛

知人に子供さんの名前を「信」、「望」、「愛」とつけている方がいる。別に計算したわけでもないだろうが男、男、女だからうまくつけられたと感心している。そして親の信仰の姿勢が窺える。わたしは?三人とも社会人で結婚されて、集会にも集い、しっかりやっている。わが息子たちと同じ年代で、うちの上の子とは互いに良く知っているのだろうと思うが「この違いは何だ!親だ」といつも思っている余り反省はないが。

先日、その真ん中の子が、毎月来てくださるM 伝道者ファミリーとご夫婦で来てくださった。小金井に住んでいて、ダイエットのために自転車通勤とか、勤務地が三鷹だから30分くらいと言っていた。どちらかというと痩せているのに感心するというか、証の中でも言っていたが「自分は理系」での言葉の中にそれなりの拘りがあるのを感じた。東京では挨拶くらいでほとんど会話らしきものがなかったし、奥さんはさらにである。こちらではゆっくり話が出来、証しもしてくれるからさらに持っているものが分かるからうれしい。初めての話のようでお世辞にもうまいとは言えないが言わんとしていることが伝わってくる。理系と言われるように、他の人とまた違った視点を持っているのかなと思わされた。
訓練し、磨けば光る器である。大勢のいる所でそんなチャンスはあるのかなぁ。小さい集会で磨いて欲しい。今はメーカーが新しく出す車の審査をしているとか、公務員だから転勤は付きもの、どうなるか。これからが楽しみでもある。

書き出しでこんなことを書いてしまった。本当は「信仰・希望・愛」を書こうと思ったのである。聖書の中にも出てくるし、クリスチャンの中ではよく使われるからキリスト教用語のように思われているのかなぁと思っている。しかし考えてみればこの言葉は普遍的な言葉である。

生きていくには、意識するしないは別にして、信仰がなければならないし、希望がなければならない。そして愛するものがないと、この一つでも欠けたら生きていけない。みんな何らかの形で持っているから生きている。無かったら絶望するしかない。

聖書のことばは、普段それ程意識していないが考えてみればすごいなぁと思う時がある。この言葉なんかそのひとつである。「いつまでも必要なもの、そしてその中で最も大いなるものは何んであるか」を知ることができる。愛というのもこれがないと光のない闇の世界で生きているのようなものだから全く希望がない。生きるとは、何かを信じ、何かに望みを託し、何かを愛している。その何かが問題なのであるが。「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい」(john:14: 1)。この言葉は分かっていても、心騒がし、信仰はどこに、希望はどこに、愛は手持ちが無いからイエス様から頂かないといけないのに遠慮深いから今は手元にないのが現実である。どういう形にしろ、信仰・希望・愛がなければ生きていけないが、「しかし、きょうは野にあって、あすは炉に投げ込まれる草をさえ、神はこのように装ってくださるのです。ましてあなたがたには、どんなによくしてくださることでしょう。ああ、信仰の薄い人たち」(luke:12:28)のひとりである。真の信仰・希望・愛はとても難しいなぁと思っている。

2011年7月15日金曜日

菅首相

歯の治療に行ったとき、待合室のテーブルに置いてあった週刊誌を手にとってパラパラとめくっていたら菅首相はなぜやめないのかという活字が目が留まった。基本的に週刊誌は読まないがこんな時に時間つぶしに読む、薄っぺらい人間が薄っぺらい雑誌を読んでどうするのとの思いがあるからだ。といいながら50代後半まで、時々ビックコミックを読んでいたし、漫画タイム?作者も題名も忘れたがとぼけた味わいのある漫画を立ち読みをしていた。高尚ではなくて超低俗なのである。

どこの週刊誌かも忘れ、内容も覚束ないが、ただ面白いなぁと思ったのは、鳩山さんも麻生さんも福田さんも安部さんもだったかな?首相を辞めても経済的に困らないが菅さんは即困るようなことが書いてあった。立派な家に住んでいても特別金に困るわけでもないのに、お母さんから毎月庶民が手にすることもないような大金を頂いている人もいた。それもサラリーマンの小遣い感覚以下の感覚だからすごい。そのような人と比較するつもりはないが個人的に議員活動するにはそれ程でもないだろうがグループを持つとなればそれなりにお金を必要とするだろう。それに権力を握ったものがそれを手放すということは難しいようなことが書いてあった。そうだろうなと思う。

一国の首相が何の説明もなく、コロコロ変わる一貫性のなさは、驚くばかりである。自分のそんなところがあるから批判できないけれど感心している。浜岡を停止にするからには脱原発かと思っていたら、これからも原発を推進すると言う。でも最近は脱原発を発言して、身内からも顰蹙をかっている。リーダーがビジョンを語らずして、どうするのと思う。初心者のドライバーは目の前を見るのが精一杯である。少し慣れてくれば目の前を見、遠くを見て車の流れを確認するものである。ドライバーでもこれくらいは必要である。この国の行方は?

菅さんがどういう事情で辞めないのか辞めれないのか分からない。しかし一介のスポークスマンだったら、自分の意見もポリシーもなくてもいいから何となく分かる。これは酷かなぁ?最近はそんなことを考えながらそれをキーワードに発言や行動を当てはめている。別に何処かに司令塔があるのだろうかと考えてしまう。あの人が何を発言し、どのように行動しても日本という国は沈まない。自分が生まれてこの方大きな変化の中にありながら日本は沈まなかった。そこには優れたリーダーがいたからである。そして今日、行き詰った日本がある。脱原発でもそうでなくても利権が絡んでくるのだろう。別に意図しなくてもそうなってしまう。それに目が行く人はいくらでもいる。巨大プロジェクトでなく、利権が絡むことのない裾野の広い、エネルギーの開発に取り組んで欲しいものだ。菅さんがこんなになってしまった。いつものパターンか。

2011年7月9日土曜日

パターン化した信仰

いつもアクセスしているブログ(ブラザレンについての諸断章)がある。ブラザレンに関することを書かれて、難しい時もあるがそんな時は斜め読みになるが色々示唆に富んだことを書かれていてとても参考になる。

最近は「集会の問題点を指摘した北米の集会の姉妹からその集会で学んだ人に対する手紙」を翻訳して載せている。わたしはブラサレンでも割とオープンなところで育った(いまだに育ってない)が指摘されていることが良く分かる。わたしも同じような疑問を持ちながら過してきたから共感するとともに自分の中にある信仰がまさに彼女が指摘している信仰であることに気づかされた。パターン化した信仰はハウツー的で余り考えないで済むから楽でいい。思考が硬直化しているのが良く分かる。本来の「いのち」がないのかなと思ってしまう。個人も集会も教会も「いのち」を中心に動いているかどうかにかかっているのかな。大勢の中にいると分からないが数人の集まりの中にいるとそれがよくわかる。読みながら過去形であり、また現在進行形の出来事でもあるので考えさせられる。欲を言えば、「いのち」も汲みとめるといいのだが?それはお前の問題と言われそー。

2011年7月1日金曜日

棄民

放射能汚染で避難する地域が増えたニュースを見ていて、この人たちは本当に帰れるのだろうかと思った。帰れても土壌は汚染されているから農業は出来ないだろう。国や一企業の過ちで、ふるさとを捨てなければならない人たちの心情を考え、政府や東電は時間がたてば何事もなかったように振舞うだろうと思うと怒りがこみ上げてくる。そんなことを思っていて、ふっと思ったことは、明治の時代に起きた足尾鉱毒事件である。似ているなと思った。

足尾銅山の鉱毒で渡良瀬川流域は、川は勿論、肥沃な土地も洪水のたびごとに鉱毒で汚染されていく、ついに谷中村は廃村になって、渡良瀬遊水地となる。他にも二つばかりの村が廃村になった。富国強兵と突き進んでいく政府とそれに乗っかっていく企業、国や企業優先のやり方は、そこから何の益も受けることもなく、逆に公害を受けて、いのちの危険に、死活の問題にさらされる。

戦後はそのようなことはなくなったのかなと思ったらしっかり生きていた。サラリーマンと違って、土に生きている人は土地があればどこでもいいというものでもないだろう。それでも土地があればと思うがどこにあるのだろうか。谷中村は北海道に土地を与えられたそうだが定着する人は少なかったようである。

人は政治が混乱していると強いリーダーシップを求めてくるだろう。これは滅びに向かう序章になる可能性が大だと思うが穿った見方であろうか。見えないところで確かな動きがあるような気もする。そんなところにも目を向けて行きたいものだ。