2009年4月29日水曜日

腰痛

 タイヤ交換時に書いたが腰を痛めてしまって、たいしたこともなかったが気をつけているうちに治った。それが日曜日の朝に変な姿勢でくしゃみをしたら腰をまた痛めてしまった。すぐ治る兆候はなく、月曜には温泉に行き、昨日は少し歩いて、プールの平泳ぎの講習に行ってきた。一時間ばかり水に浸かっていたが気持ちなしか良くなったかなと思うがある角度になると痛い。横になっていればなんともないし、腰痛といっても軽いものかもしれない。動きを制限されるがこれもまた必要なことかもしれない。動いてなんぼではく動かされてなんぼ、この認識が大切、これを学ばされる思いである。感謝、アーメン。

2009年4月28日火曜日

信じるということ

 東京にいるときには色々なことを当然のように受け取ってきた。そして大勢の中にいると自分というものが見えるようで見えない事をこちらに来て教えられた。それと私はいい意味でも悪い意味でも現実直視だからそれで判断する。これだと長期展望が出来ない。それと現実の出来事で、多くは心の中でのことだが右往左往してしまうきらいがある。そんな時にはイエス様が画餅のように頭で理解で来ても自分の内に働いてこない。今の悩みはそんなことだ。最初にここの題を「ギヤチェンジ」としてみた。変えるという意味では確かにそうなのだがそれは行為であって、信仰ではない。信仰から来るものであるかもしれないが。主を信じる。みことばの約束を信じる。難しいことであるが最終的にはここに来るものかなと思っている。桃屋の佃煮のりに「何はなくとも江戸むらさき」というコマーシャルがある。捩って「何はなくとも主を信じる」。ほんとに何にも無いんだよなぁ。

2009年4月24日金曜日

メッセージ

 今インターネットで牧師のメッセージが聞ける。何時も聞いているのが一つ、昨日は別のを2つ聞いてみた。聞いていると講解説教ばかりだがそれもチョッとしか話さなくて、色々は話題を組み込んでいる。さすが話すのが商売?と感心する。それと時間を見たら30分前後だった。思ったより短いのに驚くがこのくらいがいいのかもしれない。それと罪だ救いだとストレートに語っていないような気もする。信者が主の所為なのだろうか。

 集会はメッセージは45分は最低で1時間が普通、メッセージも罪と救いはきっちり話されるような気がする。福音主義ではあるがしかしと批判される方もいる。わかるような気もしないでもない。話が長いのと内容が堅いのが少し気になるが今は大分工夫しているようにも思う。聖書の使信を損なわれることなく、尚且つ柔軟な姿勢が必要なのだろう。集会はそのような可能性を持っているように思う。と書きながら話すのは…。

2009年4月23日木曜日

車検

 普段は車を運転していると故障もしないし、ガソリン代だけかせいぜい半年に一回くらいのエンジンオイルを交換するだけでいい。しかし5月には自動車税、9月には任意の保険の支払いがある。それと2年に一回の車検、これも自賠責や重量税などは車の点検よりも高い。車検も含めて再考してもらいたいものだ。

 昨日、車検に出したらエンジンの冷却ポンプから水漏れしているからポンプを換えないとの連絡を受ける。9年目になるからそろそろがたついてくることなのだろう。もう1回の車検は難しいかな。頑張ってくれプレマシー。

2009年4月21日火曜日

おはがき

 M兄姉から聖書宣教会を終えて集会で奉仕する案内を頂いた。最初に出会ったのは軽井沢のキャンプ場で、みんなが遊んでいるのに食堂で黙々と洗濯物をたたんでいた。そこで少し話したのがきっかけで交わるようになり、大学生になって、同じ集会に集うようになったので、さらに親しく交わるようになった。キャンプの奉仕のやり方で息子とある姉妹との板ばさみになって困ったことなどを笑いながら話してくれたことを懐かしく思う。集会に対しては多少違うものがあったようだがおとなしくて、あまり自分の意見を言わなかった。卒業して、割と速い時期に結婚したので驚いたが宣教会に行くことを知らせてくれた時は、聖書の勉強することを知って、うれしかった。以前から自分の集会でメッセージをされていることを聞き、あなたのメッセージを早く聞きたいと云っていたことが現実になった。彼には驚かされることが多いがこれからを期待したい。私にとって楽しみはこれからの集会を背負って立つ若い人が起こされていくことだ。来年の学び会に会えるといいが。

2009年4月17日金曜日

あんずの里

 先日テレビで千曲市にある「あんずの里」の開花状況のことが流れていた。「あんずまつり」が17日までとあったので昨日行ってきたが花はもう散っていて、見るものがなかった。混むのが嫌いだからずらして行くとこうなる。咲いたらどうなるかわからないがそれ程広いとは思わなかった。

 8キロばかり先の松代まで足を延ばして、松代城址の桜を見て、真田邸に行ったら工事中で周りを見ただけで終わり。入らなかったが池田満寿夫記念館が老舗の和菓子の棟続きに建っていた。信州は記念館がたくさんある。町も駅も小さく、でも風情があるなぁと思った。桜は城址より隣の中学校のグランドのほうが多かった。勿論それも眺めてそれなりに満足した。

 帰りは上田から和田峠を通って帰るつもりだったから、上田城址の桜も見ていくことにした。もう葉桜になりかけていたがまだ人出もあり、何とか駐車出来て見物する。お店も出ており、結構賑わっていた。もう満開は崖の上にあるしだれ桜だけ、でも思ったよりは広く、それなりに良かった。

 最後を帰りの途中にある「旧宣教師館」の建物を見て、市の施設の温泉に入り、いい気分で帰ってくる。200キロの運転でした。帰ってきて、定額給付をもらったら食べようと云っていたうなぎを食べる。お店で食べるのは何年ぶりだろう。岡谷はうなぎの街らしくうなぎ屋が多い。もう年の所為で、それ程疲れなかったが翌日は何もしなくてただのんびりして過ごさざるを得ない。

 豊科の聖書店に行くがその時は川島芳子記念館により、帰り道に松本か塩尻のどこかで温泉に入ってくるつもりである。自然の豊かな信州を満喫とは行かないがそれでもその良さを体験したいものである。勿論温泉に入りながら、そこから神様の素晴らしさを覚えたい。主が与えてくださったチャンスと思っている。 チョッとオーバーか。

 あんずの里に行く前に豊科のインターで下りて、わさび田に寄った。時間的に早かったか時期的なのかそれ程人も来ていなくて、広いわさび田をゆっくり廻ることが出来た。自然とわさび田の美しさを堪能するはオーバーか。でも絵になる風景だと思う。家内が興味がないので寄らなかったが10分くらいの所に井口基源治記念館がある。普通の家の建物だが内村鑑三の資料などがある。信濃教育の一人でもある。そこから多分10分位で伝道者のN兄の家がある。碌山美術館があり、安曇野はいい所だ。

水泳教室

 市民プールで水泳教室が2ヶ月サイクルで行なっている。昨年暮れに「かんたん平泳ぎ」の講習を受け、何とか25メートルを泳げるようになったが、この間久し振りに泳いだら25メートルは泳げなかった。4月から始まった「かんたん平泳ぎ」をまた習うことにした。既に始まっていて、2回目だったが1回目は誰も来ていなくて、今回は私一人、準備体操をしていたら前に一緒だった年配の女性が来てホッとする。
 
 今回も初めから教わって、お互い既に教わっているのだが相変わらずは同じでここでも何処かホッとする。でも私より彼女の方がうまそうな気もする。呼吸と浮くことと前に進むこと基本の基だがすべて難しい。前回よりも基本的なことを入念に教えてくれているから解り易い。あるいは一回聴いているからかもしれないが。今回で何とかターンして泳げるようにしたい。そうでないとプールには入れないような気がする。

 私は何事も自己流で水泳も浮くくらいならできるがそれ以上は出来なかった。雪国育ちだがスキーも正にすベれるだけでターンとかはあまりうまくない。今は滑れることすら疑問である。わが道を行くタイプなのであらゆるものが自己流である。信仰も然り、ある時から?が良くつくようになり、まさにトマス的信仰である。そうなさしめた一つに、聖書から明確に語られていくなかで、知識、信仰は素晴らしくても、その人が変えられていないのではと思わされていることである。聖霊の働きにはそのことを含んでいないかのように見える。

 私たちのうちにある闇を不信仰や罪として片付けていないだろうか、そういう形ではないような形で直視する必要があるような気がする。偶像崇拝とか罪に関しても然りだ。パリサイ人が汚れると避けていたことをイエス様は平気でやっていて、勿論汚れることはなかった。キリスト者もその危険性を持っているような気がする。偶像はいづこに・・・。

2009年4月12日日曜日

伝えるということ

 私は言葉で相手に何かを伝えると言うことが苦手である。なぜだろうと考えた時、自分には知識がないという意識が強い。だから私が話すことはすでに聞き手にはわかっているという思いがあり、言葉をハショル癖があるような気がする。話をしていて、このことは分からないのだと気づかされて驚くことがある。考えてみればおかしいことなのだがそれだけ負の意識が強いのだろう。

 こちらに来て、話すという機会があるので、現実的な問題となっている。気づかされることはそれなりに感謝して、少しでも伝えるということに心していけたらと思う。

2009年4月9日木曜日

高遠の桜

 高遠については絵島幽閉の地として有名だが知識としてはそれくらいのものである。信州は戦国時代の歴史の面影を残していて、ここもその一つのような気がする。ここは桜が有名で、駐車場は他県ナンバーの車が地元ナンバーよりも多かった。平日なのにバス専用の駐車場も一杯で、それも他県ナンバーがほとんど、有名なことを確認させられる。高遠城の跡に全面とはいかないがそれに近い形で桜が植えられており、小高い城址は全山ピンクの山になるのだろう。11,12の土日が満開でピークと聞いていた。美術館前の桜は満開で背の高さくらいまで下がっていたから思わず歓声を上げるほど綺麗だった。桜の下で飲食をしていたが東京と少し雰囲気が違っていた。大勢来ていたといっても、東京の比ではない。

 帰りは近くの桜の湯という市の温泉かなそれに入って、少しくつろいでから高速ではなく一般道から杖突峠へ、峠のお店に入り諏訪市街、茅野市街を眼下に、その先にある八ヶ岳や蓼科山に、それに車山を前に美味しいコーヒーを飲みながら眺めることが出来た。八ヶ岳も市街も何時も見ている景色と違い、趣があってよかった。来週は千曲市のあんずの里へ、そして温泉にと今度の話の準備を脇に検索している。

2009年4月7日火曜日

タイヤ交換

 今年は雪が少ない冬だといわれていた。確かに雪かきをしたのは2度ばかりではなかったと思う。毎月通っていた時は12月から3月までの期間、雪が降らないようにと祈っていたものだった。ある時は帰ってからすぐ大雪になってホッとした経験もある。また途中で大雪になり、チェンをつけて走ったら昼過ぎになって集会が終わっていたこともあった。10年から前に12月の初めだったか、雪はまだ降りそうもない時機に、帰りの途中から大雪になり、高速の坂などに多くの車が立ち往生している中をチェンを持っていたためすいすいと抜けて行けた。少し得意になっていたのがいけなかった。その時は東京も雪で、暖かい所為か雪がぐしゃぐしゃでブレーキ踏んだらいかんと気をつけていたが何かの調子で踏んでしまった。40キロくらいなのにアーと思った瞬間、分離帯にぶつかり転倒するかなと思ったが向きが変っただけで大丈夫だった。車もほとんど走っていなくて何事もなくすんでホッとした記憶がある。あの時は車がこんなに良くすべるものだと感心もし、新車だったが買え替えが頭のなかでひらめいてしまった。それから家内の信用をなくし、たいしたスピードも出ていないのに落として、カーブだとゆっくり行ってとうるさくいわれる。

 以前だったら雪が降っても一二回位だからチェンで良かった。しかしこちらではそうもいかずスノータイヤを取り付けたがほとんど必要がなかった。雪が降っても車が走っている道路は雪はすぐ溶ける。でも雪は降りだすとあっという間に積もっていくから怖い。タイヤ交換も面倒だから頼もうと思ったが時間もあったのでゆっくりやればと思って始めたが中腰でタイヤを持って腰を痛めてしまった。若くないことを実感させられた。こういうことをして年を実感させられていく、これも感謝なことかもしれない。神経が侵されたライの方は血が流れるほどの大怪我をしても痛くないという。痛み苦しみがあるのは正常である証拠、大切なことかもしれない。しかし神に対して、人に対してどれだけ痛みを感じれるだろうか。

2009年4月5日日曜日

雑感

 創世記を読んで、11章までの出来事を思い巡らしている。エデンの園での女が「賢くするという」言葉、カインがささげ物で「ひどく怒った」こと、バベルの塔では「名をあげよう」としたことをイエス様とダブらせてみた。「自分を卑しくし」は「賢さ」と「ののしられても、ののしり返さず」は「怒る」に「御自分を無にして」は「名」を当ててみた。イエス様と彼らの姿は対極にあるような気がする。それは自分もそうだということだ。

2009年4月2日木曜日

東京から

 先日、以前集っていた集会のN兄から訪ねたいとお電話があり、少し先にお兄さんも居り、春の行楽シーズンだからついでに寄るのだろうと思って、いいですよと言って電話を切った。そして今日昼過ぎに来てくださった。それも私たちを訪ねるだけで、何でと思うが頭が下がる。

 家を9時に出られ、家は板橋だから都心の首都高を抜けて来るので大変だったのではないだろうか。2回ばかり休憩して、ゆっくり来ましたと言われたが覆面パトカーも走っていたと言われていたので、それなりのスピードで走ってきたなと思った。チョッとお茶を飲んで失礼すると言っていたが、首都高がラッシュになる前にと、ほんとに小一時間位で帰って行かれた。うれしいけれどもなんか申し訳ない気持ちが強い。

 兄弟は祈りのときにみことばのみで祈る。若い時に年配の兄弟が良くこのような祈りをされるので何処か懐かしさを覚える。聖句を暗唱するのが苦手な者としては驚異の何ものでもない。ただ読めばいいというものではなく、みことばを味わいながら主をさらに身近に覚えられると言われ、自分は対極にあるなぁと自覚させられた。私より三つ上、色々な意味で対極にある。頑張るには年を取り過ぎたし、このキャラで主に信頼していけたらと思う。兄弟は糖尿を患いながら食事療法で大分健康が回復したが姉妹は脳梗塞を患っているので歩くのがチョッと不安定みたい。これからも主のお守りを祈る。恐縮が先にきたが静かに主に感謝する。