2009年3月31日火曜日

ギルガメシュ叙事詩

 ノアの洪水と同じようなことが書かれていると言われているので、何時か読んでみたいと思っていた。しかし本は高く、手にすることはなかったが図書館から借りることができた。ギルガメシュという言葉は知っていたが内容とか当時の歴史とかは全く知らないから色々な意味で難しそう。

 本は諏訪の3市2町1村の図書館から自由に借りられる。長野県は県立図書館からもインターネットで借りられる。インターネットで検索すると諏訪広域の図書館の所蔵や予約、貸し出し状況ががすぐわかるから便利だ。諏訪市に「信州風樹文庫」という図書館がある。岩波書店の創業者の岩波茂雄は諏訪出身で、戦後間もなくから岩波の出版されている本を寄贈されている。それを所蔵している図書館なのだ。だから岩波書店の聖書関係の本もたくさんある。インターネットで予約できないのに手にしたらその名前だった。この本は岩波書店から月本昭男訳で出版されている。

 訳者が学生の時に集会が一時一緒で、お母さんは北関東のM集会に集っている。一月の群馬の学び会にお会いしたら、今年91になると言われ、元気そのもの「昭男さんはいろいろ活躍されていますね。本も出されていますが高くて難しいので読めません」と言ったら、細かいことは忘れたが、あまり興味がないようなことを言っていたような気がする。旧約学では大家と言われる人だがお母さんにかかっては形無しだなと思わず苦笑いしてしまったことだけは覚えている。

 結婚した時には無教会関係の集会に集っていたが結婚式には来てくれて、八木重吉の「神を呼ぼう」という詩集をプレゼントしてくれた。この本で八木重吉を知り、好きになって、今もたまに読んでいる。多分私が好きになるだろうと思ってくれたのだと思っている。若い時に軽井沢のキャンプで交わったりしたのが懐かしい。あのような人が集える集会であればブラザレンも今とは大分変った集会になっているだろうなと思ったりする。無理とは思いながらも…。数年前、降りる駅で偶然会って、やぁやぁで終わって失礼した。顔と髪型はちっとも変わっていなかったが髪が真っ白になっていたのが印象的だった。

2009年3月27日金曜日

奇跡のリンゴ

 お気に入りに入れている小渕さんと関根さんのブログに紹介されていた本を図書館に予約して、昨日ようやく入ったので早速借りてきて読む。一気に読むが夜中の2時までかかった。お二人は色々書かれていたが私はそれ程書けない。

 農家に育った者としては、農薬の功罪を知っている。昔父が手紙の中に、今は楽になった農薬で草取りをしなくていいと書かれて良かったと思ったが、それから大分経ってから田舎に帰った時、魚取りをした用水用の小さな川が植物も魚もいなくて生物のいない川を見て、複雑な気持ちになったことを思い出した。木村さんと回りの農家の気持ちも分かるような気がする。どうも木村さんのリンゴは不ぞろいで、傷もあるようだ。それでも美味しいからと買ってくれる人たちがいる。スーパーで形のそろったきゅうりなんかが並んでいると、明らかに農家で細工をしているなと思うことがある。消費者は外形にこだわる。工場で作るのではなくて自然相手であるから不ぞろいが当たり前、それを拒否する姿勢に憤りさい感じる。

 レイチェル・カールソンは沈黙の春にDDTが人体に危険であることを指摘している。それも戦前ではないだろうか。小学生の時、女の子の頭を真っ白にしたあのDDTである。フレオンガスは私たちに快適な生活をもたらしたがオゾンを破壊している。公害の原点である水俣病は企業の営利を優先した結果だ。沈黙の春にも企業と役所が同じようなことをやっていることを見る。利便性を求めれば、弱いところの人が犠牲になる。

 農薬のことでこんなことを書いたが逞しくなったリンゴの木を見て、過保護ということばを思い出した。現代は何から何まで過保護だなぁと思う。キリスト者も然り、私なんかもその最右翼だ。それを知ったからといって逞しくなれるとは限らない。

2009年3月26日木曜日

柔軟性

 福音書を読んでいるとイエス様の柔軟さと律法学者などの硬直さが際立っている。律法学者の硬直さは、自分は勿論、組織となった集まりはそう簡単に変換することは難しいからよくわかる。この違いはどこから来るのだろうか。神理解?視点の違い?あるいは守るべきものがあるか否か?みんなそうかもしれない。柔軟性を持つにはどうすればいいのだろう。これから少しづつ整理してみたい。

2009年3月25日水曜日

読み終えて

 大塚野百合さんの本を読み終えて、断片的なものだが改めて賛美のことを考えることができた。読んでいる中で教会での賛美は会衆が聴くという立場ではないだろうかと思った。集会では聴くことよりも共に賛美することが多いから歌えないといけない。

 昨年のクリスマスに千葉にある集会のI兄姉が来てくださった。姉妹は音楽の専門家なので、姉妹の指導で月に一回賛美歌の練習を集会でやっている。みんなで賛美しているときに、ご主人である兄弟の音程はしっかりしているように思えた。集会で歌の指導をしてくれる人がいないと歌うことがどうしてもしりつぼみ的になってしまう。

 以前いた集会は賛美が好きな兄姉が多く、一人の姉妹は聖句に曲をつけて、集会で歌集にしようとしている。聖句歌と言うとムーラン兄を思い出すが雰囲気が大分違うのでとてもいい感じがしている。それでも新しい歌は苦手だが。

 礼拝賛美歌を1991年から賛美した番号を控えているのを昨年整理して、賛美していない曲が割と多いのと、200番は61回、10番は42回、28番は41回、7番が37回、212番が31回も賛美していた。パラパラとめくってみるとあぁこれもいいという賛美歌は多い。はるか昔にクリフト兄と大谷兄が作ってくれた賛美歌の伴奏のテープがまだ手元にあったので聴いていたら結構知っているがあったのには驚いた。

 礼拝賛美歌は集会関係だけだが聖歌は福音的な教会で使われている所為か範囲が広いような気がする。黒人霊歌の400番などは歌詞ともに好きで歌の世界に入ってしまう。心の思いを賛美の言葉で代弁してくれるし、自分もそのことばの世界に入っていけるのがいい。祈りであり、メッセージであり、主との交わりでもある。賛美歌を作られた人たちの思いを知ると自分も主の思いの中に入っていけたらと思う。

 なおもみめぐみをなおもみすくいを
 なおもわがためにみうせし主をしらん
 なおふかく主をなおふかく主を
 なおもわがためにみうせし主をしらん
                        聖歌594

to doの前にto be

 新渡戸稲造が一高の校長に就任したときに学生に、人間形成を求める[ヒューマニズムの精神]と世界平和のための国際協調を訴える[インターナショナリズム」、また「to doの前にto be」を、「何かをなす前に何でなければならないか」と説いたそうだ。

 数年前に「do」でなく「be」であることが良く云われていたような気がする。工藤信夫さんが言われていたのだろうか。英語の分からない私でもこのくらいは説明してくれればわかる。以前いた集会の責任者の一人にこのことを話をしたら何の反応も無いのにがっかりしたことが鮮明に覚えている。「あなたは高価で尊い」と語りながら、どこか「be」である前に「do」を求めているような気がする。私の偏見か。

 新潟にある敬和学園の初代校長である太田俊雄さんが生徒の言葉として、「労働者といって働かない先生と労働者じゃないといって働く先生がいる」とこのように先生を評価していることを書いていた。「いる」ことが大切と言って、ただ「いる」だけの私としては耳が痛いが、まず何をするかではなく「いる」ことの大切さを絶えず覚えていく必要があると思う。何か出来る人は自信過剰に、出来ない人は自信喪失になっていく傾向はそのことを示しているのではないだろうか。そしてキリスト者としてどうあるべきか、その根底が問われているような気もする。

 「お前は自分をどう思おうと勝手だがお前のために私はいのちをかけた」とそんな声が聞こえるようだ。この方に何時も応答できるようになりたい。

2009年3月24日火曜日

賛美歌・聖歌ものがたり

 先日図書館のキリスト教コーナーで、大塚野百合さんの書かれたタイトルの本を見つけて借りてきて読んでいる。ヘンリー・ナウエンの本も書いているし、彼の講演も直接聴いているようで、賛美歌のことに関すると同様に詳しいようだ。賛美は40年から歌い慣れている聖歌とか礼拝賛美歌はいいが、新しいのは苦手だ。音符が読めない、音痴である。この二つが歌うことを敬遠し、主を賛美したいという衝動との狭間で煩悶している。少し大袈裟だが最近若い時のように心から賛美したいという思いが少なくなったような気もする。年の所為で静かに主を覚えることの方が好きになっているのかもしれない。

 賛美歌に興味ありというより、著者に興味があって、どのようなことを書いているかそれを知りかったかというのが本音である。ナウエンの本もそうだがこれも著者の信仰の真摯さを伺え知ることができた。所々飛ばして読んでいるがルター以降のキリスト教の歴史を少し知ることができたことは収穫である。ネルソン・ダ-ビーの名前が出てきたのには驚いた。といってもブラザレンの初期に活躍した人くらいにしか知らないが。
 聖書を読み、キリスト教関係でも興味のある本しか読まない私にとってそれがすべてだが宗教改革以降も社会の状況でキリスト教も変遷があるのだなぁと改めて教えられた。賛美歌はそういう意味ではキリスト教の側面史であるのかもしれない。

2009年3月21日土曜日

小泉山(こずみやま)

 茅野市にある1千メートル強の小泉山にⅠさんの誘いで、彼ら夫婦と登ってきた。と書くと格好いいが実は茅野市の平坦部は海抜770メートル、引き算すると230メートルチョッと小高い山なのである。そこを30分あまりでゆっくり登ったというわけだ。
 高速で一番高い1千メートルチョッともすぐ近くだし、高さだけで内容を言わなければ感心される。美ヶ原高原美術館は2千メートルに少しかける。建物のテラスは多分2千メートルと書いてあったと思った。信州は山にしろ、峠にしろ、1500メートル位のところまでは車で行けるところはいくつもあるようだ。信州では別にどうってことないが東京や他では感心されるかもしれない。5月の連休には守屋山にと誘ってくれた。1600メートル、1時間半は掛かるそうだがここも結構高いところまで道路があるから高さは何百メートルかもしれない。それでも今日のようにいかない。

 何時だったかメールをくれた北関東のT兄がU先生のブログを見ているらしくて、「あそこに書いてあったのはもしかして・・・」と書いてあったので事情を説明したが、だから特別何というわけではない。いうなれば運転手みたいなものなのである。それだけのこと、先生の本質的な話は難しくて相当噛み砕いていただかないとわからない。それと集会のような福音の伝え方には疑問を持っているようだった。裁きが先に来ると人は身構えてしまうからわかるような気がするが。本質的には変らないのだろうが。表面的なことをどう取るか、内面まで掘り下げることができるか難しいことだ。

 以前いた集会だとどこか傍観者的でもよかったが小さいところだとそうも行かない。それと好きな本を読むにしろ、聖書を読むにしろ、自分の思考にそっていた。それとメッセンジャーの話が理解できるためにという意識があった。今はそういう意識は通じない。具体的な話の中でも、交わりの中であってもそれは許されないのかなと思う。わが道をいくものとしては寂しい。物が良く見えてもそれだけでは駄目で具体的なアクションをしないといけないのかなと最近教えられている。アクションできるかどうかはこれはまた別問題だが。

2009年3月17日火曜日

久し振りに

 このところ福音書の対照表を作るので書くのを休んでいた。昨日というより、今日の2時すぎまでかかってようやく出来上がった。以前に簡単のを作ったがあまりも大雑把すぎていたのでもう少し細かくと思った。しかしイザやるとなるとどうしても中途半端になるので細かくやったらA4、3枚になってしまった。逆にわかりにくくなったようだ。もう少し字体なりを考えて見やすいようにと思う。これから福音書、使徒の働きと気の長い作業になるな、初めの一歩は踏み出したがゴールできるかな。前にも書いたようにあまり人に役立つようには思いない。自分の中に聖書を少しでも整理できればそれだけでいい。

2009年3月13日金曜日

和解

 藤原咲子さんの「母への詫び状」の最後の最後にこのようなことが書かれている。
「人が人を許し、人に優しくする事を知ったとき、初めて、その人は心の鎮まりのなかに真実が見てくるのではないだろうか。ひとつ強張りが剥ぎ取られた時、人はすべてを受容する素直さの中に真実が見えてくるのではないだろうか。母が身を以って私に差し出した命題は、まぎれものなく真実を見ることである。…」

 12歳の時に母親が書いた本を読み、母親が兄たちの生よりも喜んでいないと曲解し、自ら命を絶とうとする。「何十年と続いた曲解が私の人格をすでに作り、実際に私を苦しめ、母への不信を生み、心細く不安に生きてきた私を変えることなどできない。」
 施設に入っている母と、ようやく母子として対峙できるようになった作者の姿を見て、和解の難しさを知る。以前に観た。「おくりびと」も親子、肉親の確執が消えるのは死を通してもたらされる。でも死んでしまったら、和解はできない。

すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。 2cor: 5:19

2009年3月12日木曜日

母への詫び状

 「新田次郎、藤原ていの娘に生まれて」、 藤原咲子。2005年に出版されてものだが、このタイトルに引かれて、図書館から借りて一気に読んだ。時々TVで見かける藤原正彦さんが実兄であることを知る。お顔を拝見して何処か納得するは失礼か。ご両親が諏訪の出身であること、作家であることはは知っていたが、それ以上は知らない。しかし、新田次郎の「アラスカ物語」を読んで、そのあとがきを読むと彼の人となりを知ることができ、好感をもっていた。これも「ジャパニーズ・モーセ」と言われたフランク安田の物語だが「ジャパニーズ・モーセ」に惹かれて読んだのだが。

 両親が有名な作家であり、優秀な二人のお兄さんと余り出来のよくない妹(優秀な方だと思うが)、お父さんには可愛がられたが、お母さんとの確執が彼女を屈折したものにしているようだった。今は素直にお母さんと接することができるなかで、このようなタイトルになったのかなと思った。

 昔、S兄となんかの話をしている時に[俺は屈折しているかなぁ]と云ったら、「云わなくてもわかっていますよ」とすかさず言われて、次の言葉が出なかったことを思い出した。自分がこういう性格だから、こういう人に出会う?と何処かホッとして共感を持つ。
素直になれず意地を張ったり、自ら苦しむのを常とする。疲れる生き方である。素直に生きている人を見ると、この人はいい環境で育ったのだなぁと思う。

 自分も父との確執でというより、独り相撲的であったが、しかしこのことは父を大分苦しめたことを後に従姉妹から教えられた。物心がついたころ父は戦争から帰ってきた。父は絶対であったから、私は村上春樹ではないが壁に向かっている卵のような存在だった。兄は跡取りとして逃げられなかったが、私は逃げるように東京に出てくる。父は私たちに暴力を振ったわけでもないし、周りでは人望のある人だった。20代になり、許せない自分に苦しむがどうすることも出来なかった。その前に経験していたことがもしかしたら伏線になっているかもしれない。それを含めて、著者の姿が手に取るようにわかるのである。このことがキリスト教に触れ、聖書に触れるきっかけになったのかもしれない。ついぞ兄は父と和解できなかったようである。もちろん責めるつもりはない。幼い時の経験が人生を大きく左右するものであることを教えられる。そういう意味で人の話を聞く時にはその人のバックボーンを推し量りながら聞く必要がある。肯定的に聞くことの大切さと難しさを覚える。そして、神との和解がすべての始まりでもある。
 
 「その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行ないの中にあったのですが、
今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。」 col 1:2022

2009年3月11日水曜日

鉢植え

 部屋のなかに幾つかの植木鉢をおいている。東京から持って来たもの、貰ったもの、買ったものとある。東京は温かいからベランダに置きっぱなしでもよかった。こちらでは寒くなった途端に枯れてしまったものがある。駄目かなと思っていたら芽が出て、葉が生えてきて、以前と同じようになって来た物もあるし、同じ種類のものでも、全く芽が出ないで駄目になったものもある。また全くほっといていても大丈夫なものも一つあった。

 こちらで買った小さな鉢植えは、すでに小さい花の蕾を持っていたので、小さいままかなと思っていたら、すくすくと伸びて、大きめの鉢に移し替えたが今も延びている。知らない植物が生えてきて小さなを花を咲かせているのもある。水をやらないとすぐしおれるものやホッといても平気なものと色々である。

 これらの物を見ていると命の儚さと逞しさを見る思いがする。寒くなってあっという間に枯れてしまった物、枯れても回復していく物、人間の生命もまさにこのようなものであることはよくわかる。この分かれ目はどこにあるのだろう。生命の神秘は、生きものを相手にしていないと分からない。日常の煩わしさによって見失っているのかもしれない。春を創られた神様をまだ歌えない。

2009年3月9日月曜日

がん哲学

 樋野興夫さんの書かれた「がん哲学」のなかに「がん細胞の大きな特徴の一つに、置かれた環境に応じ、自由に表面(顔つき)を変化させてしまうということがある。それゆえ転移が可能になる。正常細胞には、そのような融通性はない。たとえば肝臓を構成している正常細胞は、他の臓器で生きることなど通常できない。
 一方、がん細胞は、自らの形に固執しない。与えられた環境(異文化)に合わせて自分を変化させ、そこでたくましく生きる(「郷に入っては郷に従え」)。…自らのあり方にこだわらず、自らを臨機応変に、自由自在に変化させ、たくましく生きるがん細胞の知恵、私たちは学ばねばと切実に思う今日この頃である。」と。

 「がんに学ぶ」と著者がどこかで語っていたように思う。細かく書くつもりはないがキリスト者にも何か生き方を示しているような気がする。「大酒のみの食いしん坊」、どう見てもラビの姿を連想できない。これがイエス様の姿である。こんなことを書くのは最後にしたい。

2009年3月5日木曜日

集会

以前の集会にはただ集うだけだでよかったから、自分の信仰について云々すればよかった。というより興味あるものに深化できた。実際はしてないが。しかし、小さな集会に集うようになるとそれは脇に置かないといけないかなと思っている。具体的にと問われると答えられないが。

集会の信仰というのがあるのかなと思ったりしている。前のところで見ていたからわかっていたはずだが実際携わっていないから、客観的か責任者がそういう行き方ならそれはそれでととチョッと人ごと的だったから実感できなかった。今、聖書は何を語っているか、基本の基を改めて考えさせられている。示されること学ばされることがあることは感謝である。今頃は禁句、教えられる時がその時、年も信仰生活も関係なし、そしてその分、吹っ切れるものもあるし、少し謙虚にさせられたとこも有りである。

2009年3月4日水曜日

久し振りに

寒いわけではないが、途切れていた勉強会を今日から始めた。と言っても日曜日のあのことこのことと話が脱線して、結局交わり会になってしまった。久し振りだし、忙しくしている主婦たちだからこれもまた必要かと思う。次回からやることにして、話を聞きながら少しポイントが絞れたような気がする。共に益になるように祈りながらやっていけるようにと思う。

春雪

昨日の午後から降っていた雪は、夕方には結構積もっていたので、明日は雪かきをしないといけないかなと思っていたら、夜には止んでいた。今朝、外を見たらもう溶け掛かっていたのでそのままで過ごすことにした。当たり前のことなのだが雪の溶け具合は気温によってこうも違うのかなと改めて思い知らされる。午後からまた雪のマークがついている。当分お天気は良くないようだが、降ってもすぐに溶ける春の雪だと何処か安心できる。真冬の雪は除雪しないと凍結があるからその心配もない。神様が創られた春が近づいてきた。

2009年3月3日火曜日

タイプ

前にも書いたが在庫切れ(多分絶版)の本をパソコンに打っていて、後50ページ、ゴールが見えてきた。1時間/頁という遅々としたものだ。どれだけ役に立つかわからないが用いられるといいがどうなるだろう。どうも私がやるのは自己満足的で、人に役立つとはあまり縁がない。それと途中で終わっているが、新約概観も聖書を読まなくても新約の流れがわかるというつもりだったが難しそう。メリル・C・テニイの「新約概観」を要約していたに過ぎないが。これが終わったら、これをもっと要約して読みやすくし、仕上げるつもりだ。初代教会の流れもわかるからいいと思うが…。

タイプと書いて、思い出した。私の最初の仕事は、博物館にもない和製タイプライターの組み立てをしていた。組み立てといってもドリルで穴あけしたり、タップでねじを切ったり、鑢で削ったりで3日くらいかけて仕上げる。10数人の新人の中で一番成績が悪かったから工場長の雑用係りをさせられる。仕事が遅いと文句を言われて、出来ないものはしょうがないと内心思ったりしていた。ある時ひょんな事からイラク早くできるようになった。工場長が不思議そうに部品をチェックして、このことがきっかけで、やってみるかと言われて、大枠の組み立てをさせられる。同期がそれをやるころには、次の全体の組み立てをするようになった。何が幸いするかわからない。それに普通より早くできちゃうので、研修に来ている地方の代理店の子に教えたりといっても、ほとんど組み立ててあげていた。懐いていたので、辞める時に泣きつかれたのを今でも思い出す。 

和製のタイプライターはワープロが出来てからも大分経つまで、公文書には必要ではなかったかと思う。文字盤があって、活字を拾うのはやさしいが画数によってタイプを打つ力を加減しないと印字が濃くなったり薄くなったりする。タイピストはそこを上手にやる。中古をリメイクして、廉く(といっても高かったように思うが)商業高校に販売していた。今でいうとパソコンみたいなものである。これは人気があったみたい。

それと三越だったかキーパンチされている顧客カードに宛名の印字をしていた。これは封筒に何度も宛名を印字ができる。もしかしたらこういうもののハシリではないかなと思う。半世紀近く、製品は博物館にもないとなると私も以下同文、生かされていること自体、め・ぐ・み・である。感謝であるがナイナイ尽くしの人生も時にはシンドイ。

2009年3月2日月曜日

「幸せ」とは何か

私は本が好きだと言えば聞こえはいいが、活字人間なのである。昔の4コマ漫画に、虫干しで畳を上げた時に、敷いてある新聞を見つけて仕事そっちのけで一年前の新聞を読みふけっているお父さんの姿があった。見たのは若い時だったが、まさに私の姿である。だからと言う訳ではないが家内がウンと言わないし、私も時間がもったいないので新聞は取ってない。だから気が向いたときにコンビニなどで買ってきて読む。全国紙でも地方版はあるが、地方紙の信濃毎日を読んでいる。長野日報もあるがページ数が少ない。そんな中で、今日買った信毎にコンパスというコラム欄があって、そこに数学者の秋山仁さんが上記の題でコラムを書いていた。もしかしたら彼のコーナーなのかもしれないが。そこにこんなことが書いてあった。

「金融危機に入る前だったが、日本にあこがれて来日したインド人が『確かに日本は(物質的には)豊かでキレイな国だけれど、いい国だと思えない。なぜなら街で会う人たちが、誰も幸せそうな顔をしていないから』と語ったという」。そして最近ニューデリーに行った印象は、貧しいけれど元気で溌剌としていると書いてあり、翻って日本はどうか、大学生の大麻事件やインターネットの中にあふれる中傷や脅しの書き込み。いじめや引きこもりの問題、個々の問題ではなく、本質的な原因に目を向けなければならないはずだ。と書いておられた。

そう言えばマザーテレサも日本に来られたとき、同じような感想を述べられていたと思った。心を大切にしてきた日本人は、それを何処かに捨てたのかなぁ。何か大切なものが無くなっているという感覚はある。それが何であるかはわからない。キリスト者も内面が変えられてないと、この流れに乗っているのではないだろうか。霊性というと難しいが内面的なものが満たせるものが必要な気がする。それには価値観の転換というか「わが道を行く的」自己の価値観が必要だろう。具体的には難しいが。

あるギャップ

日曜日に月に一回くらいの割で話をする。今回は「善悪の知識の木」から話をした。本当は「いのちの木」と二つ話そうと思って準備していた。でも準備していると、明らかに長くなるので「いのち」の前に「善悪…」を話すことにした。食べた結果について、人間の善悪の基準のあいまいさを戦争の人を殺すことを例にとって話をした。本当はヒューマニズムについても話したかった。ある面で素晴らしいが「人間主義」である。罪がここに隠されていると思っている。わたしの話は知識のある人はこういうこと言いたいのかと憶測してくれるが、そうでないと皆目わからないというのが昔からのような気がする。自慢することではないが。

聞くほうは神の善悪とは?とか質問されて困った。神の善悪って?これは人間に適用されるもので、神には悪がないからと考えたこともなかった。確かに神の前に正しいか間違っているかという点ではある。「善悪」とあると人間の側の善悪と直結するからおかしくなるのではないだろうか。「善悪」は人間の側にあるのではなく、全知、全能である神であるからこそ神の側にあるように思える。だから被造物である人間は、せいぜい裸であることがわかるくらいではないだろうか。その結果の悲惨さは人間の歴史が証明している。神から断絶は、イエス様を通して、本質的に「愛」であることを教えられる。感謝である。