2012年12月28日金曜日

「海嶺」を読んで

出版されて30年も経っている「海嶺」という三浦綾子さんの本を図書館で借りて読んでいる。81年に朝日新聞から出版され、89年に新装版として主婦の友社から出版されているのを借りている。古いのと本が厚い(550ページ)所為か装丁はヨレヨレである。

和訳聖書を最初に出版されたギュツラフ、その手助けをした三人の日本人に興味を持ったので読み始めたがそれには少ししかふれられていない。これに関しては「にっぽん音吉漂流記」なるものがあることを知ったので年明けに借りて読んでみようと思っている。

ノンフィクションといっても史実に忠実とは云えない。フィクションの部分もあることを作者は後記で書いている。作者の情感が伝わってくるとその分読みやすいがフィクションが出るから何となく殺がれる。小説としてではなく史実として読みたいと思うとつまらなくなる。三浦綾子はプロテスタントのクリスチャン、読んでいて信仰が逆にそれを殺いでいるのかなと思った。カトリック信者の遠藤周作が「銃と十字架」でのペテロ岐部を取り上げているのをみても同じことを感じた。そしてサル自身もキリスト者であることがそう感じさせるのかもしれない。

2012年12月23日日曜日

ホワイト・クリスマス

今朝起きたら天気予報の通り白一色である。雪が降ったときは雪かきの音で目が覚めるが今朝はその音も無く雪は降らなかったのだなとゆっくりと起きたら一面の雪、そして既に雪かきがされていた。年だから必要最小限のところだけやって終わりにする。通りに出るまでの雪かきは去年はやったが今年は迷うことなくパス。後でどなたかが端の方を除雪していた。ほんの一部しかしなかったが今冬初めての雪かきになった。霧雨のような雨が降っていたので雪はどんどん融けてくる。こんな雪はいいが寒い時は融けたような部分が凍ってくるから考えただけでも身震いする。

クリスマスが近いので雪が降ったらホワイトクリスマスである。若い時、勿論ノンクリスチャンの時であるが何時もクリスマスが近づいてくるとビングクロスビーのホワイトクリスマスが恒例のようにラジオから流れていた。英語は解らなかったがクロスビーの甘い声とメロディーが今でも思い出す。あの当時は米軍放送なんかはエンドレスのようにクリスマス曲を一日中流していたように記憶している。日本のラジオ局でもクリスマスが近づいてくるとクリスマス局がよく流れていた。歌詞がわからなかったがどの曲も好きだった。

クリスチャンになってクリスマスソングは聞かなくなった。音楽は歌謡曲より、軽音楽が好きでクラシックはセミクラシックと言われるものくらいでジャズはデキーランが好きだった。映画やこのような娯楽は世的なものとしてご法度的雰囲気があって聴いたり観たりはしなくなった。あの当時若い姉妹がスラックスを履いて来たら宣教師の奥さんに注意されてそれからはスカートをはいて来るようになった。もし天皇に会うとすればきちっとした格好をするでしょう。まして主に合うならきちんとした格好をと言われたそうだ。今でもその名残があるのかなぁ?このことについては神は遍在している方だから多少抵抗はある。

それと、礼拝の時に礼拝讃美歌を使っている。新しくなってから曲は増えたが降誕の曲が2曲しかない。曲が「きよしこの夜」でも歌詞が降誕の曲ではない。降誕の曲が極端に少ないのは世の中にホワイトクリスマスなどのクリスマスソングが多いから意図的に避けているのかなと思ったりしているがどうなのかな。これは偶像崇拝だとして世の中のものと差別化をする傾向がある。その一つにお焼香や線香を上げることである。宗教行事の一つかもしれないが香を焚くというのはそういう意味があるのだろうか。仏教も神道も個々のやり方をみていると意味よりも形に拘っているのかなと思うことがある。そこに偶像すらも無いのではないだろうか。些細なことに目を光らせ、真の偶像を見逃しているような気がしてならないまさにサタンの思う壺である。信仰生活を忠実に歩んでいるようで実は「神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている。」ようなところがある。

差別化といえば霊肉も然りかもしれない。ある宗派の人たちは肉を食べない。そこにいた人の証を聞いたことがある。表向きはそうであっても肉を食べている人がいてそういう人を肉的クリスチャンと言いい、本当に肉を食べない人を霊的クリスチャンというとそんなことを聞いたことがある。勿論批判としてではなく。霊肉の差別化もあるような気がする。肉は穢れたものと聖書にも書いてあるからかもしれないがここにも差別があるような気がする。だからイエス様は肉体をとってこられたということも言えるのではないだろうか。その辺のところはパウロ書簡と福音書微妙なずれがあるような気がする。勿論神学のシの字も知らない者であり、ただ単純に聖書を読んで感じるだけである。「福音宣教と忠実に教会生活を歩む」ことが優先してパウロの書簡を曲解していないだろうかと思うことがある。

2012年12月22日土曜日

本質的には 冷めた目で

昔、風変わりな牧師の書いた本の中にこんなことが載っていた。

 『むかし、かの有名なる河上肇博士が京大教授として講義をしておられる当時、近衛公や有馬子などがその門下に集まった。
 彼らのあるものは休暇を利用して炭鉱に入り、抗夫たちと起居をともにして体験したいと思った。
 そのとき抗夫の一人が、「あなたがたはもうやめてお帰りなさい。なるほど肉体的体験はできますが、精神的な体験はできません。僕ら抗夫は寂しさやその心細さは、心の不安にあるのです。一朝ケガをした場合、もしくは不況のため首をきられ、職を失い。生活の道に迷うとき、妻子を連れて、この山を下り流浪の旅を続けなければならぬのです。
 こういった不安が僕らの悲劇の中心なのです。あなた方のように、疲れても、病気しても、帰れば若殿さまがお帰りになったのだと、将軍の凱旋のように迎えられるのとは雲泥の差なのだから、体験などとは思いもよらないのだ」と忠告されて山を下ったという話を聞いて、首肯されたのである。」

今度首相になる方は色々と頑張っておられるようだ。高揚感がテレビの画面から伝わってくる。お陰でちょっと勇み足的なことも散見される。現政権のような無様なことはなさらないと肝に銘じて頑張ろうとしておられるのだろう。現政権もそれなりの意義はあったと思うがなんかままごと内閣みたいで理想と現実の乖離が大きすぎた。

今度首相になる方も元首相で引退せざるをえなかった方も超お坊ちゃまである。元さんは下々のことは分からなかったようである。今度の方もそこまではと思うがでも近いかなと思ったりもしている。下々の為にとは言わないが底辺を徘徊している者としてはそんな方が政ができるのかなぁと思ってしまう。地元のテレビで水戸黄門を見ている所為か黄門様が代官や殿様に庶民の暮らしを分からなくては政はできないそんな台詞を思い出す。順調に物事が進んでくれればいいのだが(本心から)でもお坊ちゃまは墓穴を掘りそう(別に期待しているわけではない)。隣の国の新しい大統領になる方のコメントは短いが重みがあるし地についているように見受けるがどうだろう。

戦争をしたい方も出てきたが自分は痛い目にあうわけじゃないから好きなことが云える。人を一銭五厘の価値しかないと思っているのだろう。小国を相手に何度も裏切られながら武力をもってではなく忍耐をもって対処している大国の姿をみていると爪の垢を煎じて飲ませた上げたい。何よりも息子の当選が気になっておられる方だろうから「この国を」なんて言うことは説得力は無い。

2012年12月13日木曜日

冷蔵からチルドへ

三寒四温と言う言葉がある。今、信州の地は四寒三温である。否温ナシかな?
今朝起きたら温度計は4度だった。多分窓際だとモット低く、玄関はさらに低いだろう。
これから気温は低くなる一方、窓際の結露は凍っているがそのうち洗濯機の排水溝の水も凍るかもしれない。まさに冷蔵の世界からチルドの世界に入って行く、田舎の同級生が千葉県の柏市に住んでいたが今北海道の旭川に引っ越して農業をやっている。もう4年目になるのかな、冬の北海道に旅行するだけでも尊敬してしまうのに移住するなんてただ驚きである。


先日は雪が降って近所の子供達は喜んで少ない雪を集めて雪だるまを作っていた。嬉々として遊んでいる子供達を見ると炬燵派としては直寒さがしみる思いがする。遠い昔にそんなこともあったのだが今はもうその片鱗さいもない。春が待ち遠しいには日がありすぎるし精々寒さと友達になるように努力しよう。と言っても今のところ窓際で太陽を背にしているくらいであるがこの暖かさは格別である。

2012年12月12日水曜日

チャペルでクリスマス

9日の日曜日に結婚式場のチャペルを借りてクリスマス会を行った。今も結婚式の案内をしているが法事などの葬祭関係の集まりにもとの案内があるから少ないのだろう。チャペルはアップピアノだがグランドピアノもあるのでコンサートをやることもあるらしい。

今年で三回目であるが昨年は本館の方でやり、一昨年と今年はチャペルで行われた。正直に言えばチャペルしか空いてなかったということでもある。しかし割りと天井が高く人数的にも丁度いいスペースでもあってコンサートにはグーである。

巷で祝うクリスマスは本人不在のクリスマスだからチャペルでキリストの誕生を祝うなんてことは的を得ており、結婚式場のチャペルが本来の目的を果たすことが出来たと自負している。貸主は空いているチャペルを使ってくれて、お金も貰いるとなればそんな趣旨はどうでも良いのだろうがそれでもキリスト様に何か寄与したとでも思ってくれているだろうか。

東京から千葉からと奉仕してくださった。「小さな群れよ。恐れることはない」の言葉が思い浮かぶ小さな群れである。キリストの愛を皆さんを通して実感する。そういう意味で恵まれた集会でもある。それに、笹子トンネルの事故で電車での日帰り、オンブにダッコのクリスマス会であった。そして感謝のうちに終えることが出来た。目に見えないところで確かな働きがなされているようである。主は、欠けているところ、弱さを通して働かれる方であることを実感する。アーメン


2012年12月5日水曜日

何かダブる

9日早々にクリスマス会を行う。月に一回東京からM伝道者が家族と共に来てくださるその日に合わせてのことなので早い。最近子供たち対象だったりすると12月早々にやっているところもあるようだ。ファミリーと讃美してくださるT姉ともう一組の家族も来てくださるとのことで楽しみにしている。千葉からはピアノの演奏してくれるI姉とご主人と息子さん共にクリスチャンである。姉妹のご両親と親しくし、お客さんでもあったが仕事をやめてから疎遠になり、亡くなられたことを知る。これでおしまいかと時代の流れを実感していた。それがM伝道者が千葉に奉仕に行ったきっかけでまた繋がりを持つことができた。今回で3回目である。どういう形であれ、また繋がれたことに感謝している。

そんな中で笹子トンネルの崩落事故が起きた。上りは勿論、下りも開通するまで間に合わないような気がする。終わってからとは思わない。暮れに近づいたら更に色々なところに弊害が起るだろう。事故の進捗状況を知りたいのにTVは原因究明や解説だけである。事故に関係ない人たちの興味はそんなものであり、現実に影響受ける人たちにはいつ復旧するか或いはバイバス路を確保しているかが問題なのである。原因究明は専門家に任せ、TVで色々やっているのを観ると、使徒の働きの中で「アテネ人も、そこに住む外国人もみな、何か耳新しいことを話したり、聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。」(acts:17:21の言葉を思い出す。今の報道は少し違うような気がしてならない。どういう風にと問われると答えられないが実害を受けて初めて感じたことである。

事故やアクシデントが起きると信州は遠いなぁと実感する。通行量どうこういうのではなくバイバス路なることも考えておかなければいけないなぁと思った。中央道も東名が駄目になったときのバイパスをかねていると聞いたことがあるが然りだと思う。それに夜間走っていると良く関西ナンバーのトラックを見かける。東名に比べたら車の数は少ないし、早朝の東京に合わせているのか各サービスエリアは大型トラックでいっぱいである。そういう意味で佐久から小淵沢の縦断道が出来ていたら関越へのバイバス路になる。政治とはこんなことをも考えていいのではないかなと思うが如何なものだろう。

原発と同じように最悪のことを考えないで、大丈夫というみなしで過ごしてしまう恐ろしさを目の当たりにした。自分の中にもある。怖いものには目をつぶって見ないようにする。企業や政治の世界ではこれは許されないだろう。許しているような日本であれば危険なことである。だから軍隊を持とうとそれが国を守る唯一のものだと錯覚してしまう。その前にやることをやらないで・・・。

2012年12月4日火曜日

国のゆくえ

選挙が始まった。どんな結果が出るのか気になるところであるがどちらにしてもあまり期待できない。しかし、良し悪しは別にしてもこの国がどこに向かおうとしているかのターニングポイントになるような気がする。

今、エレミヤ書を思い出している。当時のイスラエルと日本をダブらせるつもりは無いがどこか似ている。大国に挟まれた小国、威勢のいい偽預言者たちの言葉、真実の言葉はバビロンの軍門に下り、捕囚となることが生きる唯一の道、到底受け入れられることのできない言葉である。しかし、それが現実となった。

どんなに繁栄していても神ナシの世界はいつかは滅びる。滅びたようでしっかりと生きているのが神の世界である。神ナシの世界で生きようとする為政者は日本の国をどこへ導こうとしているのだろう。

2012年12月3日月曜日

冬本番

今日から12月、誕生日もあと○日である。大体当日になると忘れてしまうことが多いということはそれほど意識していないと言うことである。

月が変わったらお天気が急変し、布団を干していたら隣の奥さんが怒鳴っているので何事かと思ったら雪が降ってきたと知らせてくれた。よく見たら雪が舞っているあわてて布団を取り込む、大したことは無かったが地面の一部白くなるほどだった。それだけ気温が低くなっているようである。少し降っていたがそのうち日が差してきたのを見て、冬の天気だなぁと思わされた。今冬はじめの雪である。

今週一杯が日の入りが最も早く、一ヵ月後の一週間が日の出が最も遅い、それから徐々に日が伸びてくる。まだ6時は暗い、そしてこの時間が最も気温の低い、部屋の明かりをつけながら外が明るくなってもカーテンはそのまま、カーテンを開けると外気温が低いので室内が下がってしまうから日が明け始めたら開けるようにしている。3月まで血圧が上がらないように、心が萎えないように気をつけよう。

2012年11月29日木曜日

「神への告発」を読んで

重度の身障者が書かれたと言われ、題が気になってアマゾンの古本で購入した。1977年に出版されているから35年も前の本である。古本はアマゾンでしか買えない。東京にいた頃はキリスト教関係を主に扱っていた古本屋が杉並や神田にあったので近くに行ったときは寄ったりしていた。新刊は勿論、古本も扱うアマゾンは便利である。特に地方にいると送料もかからず(古本はかかるが)助かる。タイトルは「神への告発」であるがキリスト教関係の本ではなかった。

本名かどうかは分からないが箙田鶴子(えびらたづこ)さんという方が書かれた私小説風の本である。
「難産であった。
二日目にようやく全身がこの世に生まれ出た時には、産ぶ声さえあげなかった。仮死であった。
身体の半分もある頭、横一文字に結んだ嬰児らしくない唇許、自分に似て男の子にも見えそうな赤児を、父は何としてもそのまま死なせるのが惜しかった。」で始まる。そして次のページには、
「症状……脊髄性小児麻痺と異なり、硬直性四肢マヒ。突発的瞬間的に、己の意思とは反対のことをしてしまう手足のケイレン的反射運動。発生不明瞭。発声時における、アテトーゼ様(舞踏病様)ケイレン。歩行不能。治療法なし。」の彼女なのである。

サルより7つか8つ年上のようだ。健在なら70代後半の方である。手が利かず歩くこともできない。足は腰からルの字型のようになっているとかそれでも左足が利くようで、字を書いたり絵も描く、この足で炊事も出来るようである。それでも一人で動くことはできない。食事もトイレも人の助けが必要である。お手伝いさんがいて家系的には恵まれた家のようであるが唯一の理解者であるお父さんを9歳で亡くされてから母親から蔑ろにされていく、世間体を気にすれば分からないでもない。ここから彼女の生きる厳しさを体験していく、そして何度も自殺を企てるが未遂に終わる。ここから彼女の生き様が現れてくるような気がした。

学校に行くこともなかったがお父さんのお陰で読み書きが出来、沢山の本を読むことが出来た。身内に酷い扱いを受けながら「生きなければならない」現実の中で生きていく、その逞しさに驚く、そして女性としての性にも触れている。恋愛もあり、表向きには善意であっても本心は利用されているような男と女の関係でありながらそのような中に性の喜びをほのめかすような文章もある。事実妊娠し子供を生もうとするがそれはかなわなかった。障害者であるが故の女性としての性、性の悲しさを垣間見、そして純子という女性のことが書かれている。自分も自分を取り巻いている人々のあからさまな姿を書いているがそこに嫌味がない。人間が持つ見えないところをあぶりだしてもサル自身も持っているものだからだろう。「生きる」ということは大変だろうと思いながらもある種のうらやましさを感じた。それは自分に無い逞しさ強さを彼女の生き様から感じるからである。

2012年11月28日水曜日

おひさまファーム

今月中に野菜を収穫しなければならないので半分近く残っていた野沢菜を収穫する。
久しぶりに農園に行ったら我が家と入り口近くの2箇所だけが残っているだけであとはきれいに整地された畝畝で実に綺麗である。キュウリやトマトがあるときは変に傾いだり、部分的に枯れていたりと見た目的には良くなかった。それに何となく雑然としていたがそれもない。4月から夢中でやってきた所為かこれが最後かと思うとさびしい。自転車で走っていると個人的に作っている菜園をよく見かける。思わず立ち止まって見てしまう。同じようなものを作っており、思わず自分の作ったものと比較してしまう。でも大体向こうの方が立派、しかし何となく雑然とした感じが多いのはなぜだろう。講師付で借りているから意識して片付けている違いかな。以前、すぐ近くにある市の貸し農園を見たら手入れはしているのかと思うほど雑然としていた。やめて雑草だけになっていたのもあったからだろう。そういうのを見ていると雑草一つない整然とした畝を見ていると春になったら是非私たちを使ってくださいと来年の受講者に語りかけているような気がした。

来年は農園を借りないけれど何か機会があればこれから野菜つくりをしてみたい。農薬ナシの有機野菜、これを食べているとスーパーで買ってくる野菜は味がないような気がする。それと野菜を作っていると野菜を買わないで済むからこれが結構家計に寄与してくれるこれも大きい。農家に生まれて、田植えと稲刈りと付随的なことしか舌ことがなかったからいい勉強になった。たかが野菜されど野菜である。暑い日差しに簡単に枯れてしまう野菜、平気な野菜、霜に弱い野菜、平気な野菜、手のかかる野菜、ホッといても育つ野菜色々である。まるで人間と同じようである。奥の深い講習でした。

2012年11月20日火曜日

「深い河」を読んで

十数年前に買った遠藤周作の「深い河」を再度読んで「重かった」と先日ある方と話をしていたら言われたので興味をもって図書館で借りて読んでみた。文学をどうこう言う薀蓄はもっていないが何冊か読んだ遠藤周作の小説の中にあるものがここにもあるような気がした。

キリスト者としての視点で読んでいるのかもしれないが幾つかのことが気になった。神学生崩れ?の大津の姿を見ているとキリストの愛を仏教の慈悲にすり替えているのではないのかなと思える。或いは彼のキリスト理解の限界を見るような気がする。ある意味で日本的キリスト教なるものがあるかどうか分からないがあるとすれば彼のキリスト教はそのようなものではないかなと思った。

彼は「弱さ」というものの視点を持っている。彼自身の姿なのかもしれないけど弱さを持っている者に対する理解を示しているような気がする。それはそれでいいのだけれど逆にキリストの強さが消されているようにも思える。

インド人にガンジスとはどのような意味をもっているのかはよくわからないが舞台をあそこにしたことで言わんとした何かがあったのだろうがサルにはわからなくなっているような気がした。彼は日本人の罪意識の欠如を指摘していると何かで読んだことがあるがそれとキリスト理解は連動していない。

彼がカトリック信者だということではないであろう。同じカトリック信者でも犬養道子さんは(本は2~3冊しか読んでいないが)その信仰理解は良くわかる。しかし、彼のはよく分からない。文学者としては優れているのだろうがキリスト信仰者としては迷いlの中にあるように思った。

2012年11月17日土曜日

蕎麦と初雪?

日付は変わったが昨日松本市の隣の山形村にそばを食べに行ってきた。山形村の唐沢地区の集落が道路添えに何軒かの蕎麦屋さんがあることを2-3日前のTVで放映しているのを家内が観て食べに行きたいとのことで、塩尻、松本と用があったので足をのばして行って来た。ここ最近はガソリンが安い塩尻、松本方面に用事を作ってはガソリンを補充している。14/Lの違いは大きいから今回も然りである。といっても満タンにしても500円でお釣りがくるくらいだが。

松本市を横切るように走り、迷いながら唐沢集落に着く、TVでレポートしていた一番奥の店「水舎」を目指す。何軒かの蕎麦屋の看板を見ながら中には2時も過ぎていたので閉店の店もあった。行き過ぎたようなのでユーターンをして手書きのような小さな看板の案内を見つけ、それに従って脇道に入る。少し走って舗装路が切れる手前に店があった。第一、第二駐車場とあったから結構人が来るのかもしれない。入り口の近くの第一駐車場に車を止めるが数台止まっている車の3台ばかりが県外ナンバーだった。結構知られているのかな信州人としてはまだ新人だからこの辺のことは分からない。

少し遅かったので2つばかり切れてしまったと言われたがTVでこれがいいと言われていた長芋をきざんだ蕎麦を注文し、とろろ蕎麦とは違った歯ざわりで美味しかった。麺が細いのが気になったがあれで良かったのかもしれない。もりのようだがお皿に入って、たれをかけて食べる。蕎麦湯がほしかったがもりではなかったから無し、さっぱりした蕎麦に少ししょっぱい野沢菜のおシンコウが丁度良かった。それに出されたお茶は蕎麦茶?マッチしてグーである。もう一度来て他の蕎麦を食べてみたい。

そこを出て、広い道に戻って更に奥に進むともう山の中に入る。狭い道を走ること数キロ清水高原別荘地帯を越えて更に行くと、直進「スカイランドきよみず」、左折「清水(きよみず)寺」の矢印の案内板があって清水寺にと左折して走る。車が交差できないような狭くて崖の道を走るガードレールは極一部、対向車を気にしながら幸い行きも帰りも一台だけ、少し下るように走って1キロ弱かな小さなお堂の清水寺に着く、チラッと観て、展望台は急斜面に建っているから京都の清水寺の超小型版のようである。しかし、眼下は勿論塩尻、松本、安曇野の一部が一望に見渡せる。絶景である。入笠山から見る八ヶ岳山麓とまた違った趣がある。どちらかというと稜線があり、富士見町と原村、それに茅野の一部が見えるの平坦地の方が好きだ。広々とした畑は手前だけその先は塩尻や松本の市街地、ビルが見えても・・・の観がしないでもない。

塩尻の峠を越えるとき道の脇の日陰の部分が白くなっていたので雪かなと思ったらそうだった。清水寺でも日陰の部分が白く雪が積もっていた。踏むとその下が霜が浮き出ていて、さくさくと気持ちいい。二千メートルの麦草峠も15日に閉鎖になり、新聞に吹雪いている写真が載っており、既に10センチの積雪とか、1週間くらい前に行ったときはフリースでも平気だったのに冬は駆け足で来るのかな、そういえば今朝は室内10度を割っていた。慣れてきた所為か朝起きてもそれほど寒いとは思わなかった。冬はこれから、季節としてはまだ秋なのである。どこもかしこも寒くなる冬に向かっていくなかで、心と気持ちと信仰は熱くは無理だが暖かく位に頑張りたいものである。しかし、これも努力でなくて頂き物であるから心しなければ。

何時だったか安曇野の「アルプスあづみの公園」に行った帰り、アルプスサラダ街道なる山添えの道をを通ったことがあった。正直道に迷って走っているうちに塩尻の近くでようやくいつも走っている道に出てホッとしたことがあった。どうも今回の道の一部をあの時に通ったようだ。走っていて思い出した。定かではないが。松本を横切り、いつも通る「アルプスグリーン道路」なる農道?ではなく、「日本アルプスサラダ道路」なる道を少し走って、また地理を覚えることが出来たようだ。点が線になったかなと思っている。グリーン道路添えにある道の駅「いまい恵みの里」で長芋や野菜などを買って帰ってくる。ひたすら走って80キロの旅?である。

2012年11月12日月曜日

最後のおひさまファーム

今日がおひさまファームの最後の講習、と言っても残っている野菜を収穫し、その畝に藁と消石灰を撒いて管理機で耕して終わり。11月いっぱいまで残してもいいのだが野沢菜を残してすべて収穫する。ほかの人は全部収穫した人、野沢菜だけ、ネギと野沢菜、他に残している人もいる。先生に量が多いから全部収穫しなくてもと言われたが野沢菜だけ残して採りますといって採ったらおかげでダントツの最後になってしまった。いつも二人でやるのだがどういうわけか最後になる。どういうわけでもない単に遅いだけの話である。収穫といってもダイコン3本、白菜1個、キャベツ2個、しかし白菜とキャベツはずっしりと重い。スーパーで売っているより少し大きいだけであるが重みが違う。春菊はバケツに換算して2杯くらい、チンゲン菜は1杯くらいかな。日曜日に東京からMファミリーが来るのであげようと少し採ってあったからこれだけで済んだ。ネギはプランターに根の部分だけ土に入れておけば持つといわれ丁度プランターが二つあったのでそれにいっぱいになった。鍋の時など必要に応じて抜いて食べればよい。

農家に生まれながら田植えや稲刈りなどは手伝ったが他の事は一切やらなかったので初めての野菜作りは驚きの連続である。最初の頃や暑い時の種をまいた後の水撒きがいかに大切かを知ったし、最後の方はほとんど水も撒かず元気丸も使わなかった。それでも平気だったし、涼しくなってからは虫の活動も減ったみたいだ。トマトは涼しくなったらちっとも赤くならずそれに美味しくなくなってきた。暑い産地のものであることが良くわかる。キュウリも然りである。色々な種類を作らせて貰って、その種類によっての特徴が一つ一つが違う面白さがあり、それに対応していかなければ駄目になってしまう現実を見る。まさに生き物であることを知る。牧会者が一人ひとりに植物を育てるようにねんごろにしないと信者は死ぬなぁと思わされた。100人も礼拝者がいるところはどうなるのだろう。責任者は大変だ。

5X6メートル四方で8畝、たったこれだけで何がと最初は思ったがトマトを除いて、最盛期には飽きるほど出来る野菜に少々うんざりすることもあった。それに次々と作るのについていくのが精一杯、説明も右から左で忘れていく、ある年配の夫婦はモット酷かったらしい。サルはまだ若いということかと思ったがうれしさはこみ上げてこない。来年は50平米で2年間、市が用意してくれるそうだが全部自分でやるので難しいから応募しなかった。会を作って種とかを共有したり、定期的に集まって勉強会や親睦を図るとのこと、いいと思うがまだ中途半端なかかわりしかできないと思うからそこまでの自信はない。野菜作りは興味があるから一年遊んで来年チャレンジしたいと思っている。

まとめの講習や集まりは日曜日の午前中なので参加が出来ず、18日は終了式であるがそれも出席できない。午後にやってくれるといいのだが難しいのだろう。毎回先生は勿論、農林課の職員が来てサポートして下さった。より役所が身近に感じ愛市精神が少し芽生えたような気がする。ここで生活していれば何がしかのお金を落としているからめぐりめぐって役所の方にも行くことだろう。ただ勤めていた時はほとんど健康保健は使わなかったがリタイアしてからは毎日薬のご厄介になるので少々赤字に貢献しているのが心苦しい。何かでカバーしたいと思っています。あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・し・た。

2012年11月7日水曜日

無手勝流

どこをいじったのか久しぶりに聖書検索をやったら最初の20節分しか出なくなった。利用者キーにパスワードを入れないとこうなるのである。よく見たらパスワードが入っていない。いつも入れた状態で登録してあるのにそれが消えていた。パスワードを入れても駄目でこれはパスワードのbを間違ってdとしていた所為だったがそれが分かるのに二日かかり、いじってわかるわけでもないにパソコンとにらめっこをしていたら夜中の3時過ぎになってしまった。

駄目で元々でメールをしたらすぐ返事が来て、2版と3版のURLが出来ていて3版を入れる。今まで2版になっていて3版を見るには3版のところにチェックを入れないといけなかったので面倒だから2版のまま使っていた。これからは3版がそのままで使えるから助かる。あまり比較はしていないが幾つかのところで違いがある。しかし2版を使っている人が多いからどうかなと思うがといってもいつもの集っているのは6人から8人ではあるが。

送っていただいたパスワードをそのままにしてこちらで書いていたおいたパスワード入れて駄目でたまたまそのパスワードをコピーして貼り付けたら良くなったのでそれで確認したらbとdの間違いに気がついたのである。英語が苦手、パソコンも苦手であるがそれでもパソコンとにらめっこをしている時間を見たら「パソコンおじさん」と言いたいが年齢的にはもう「おじさん」ではない。その意識はないが年からいうとおじいさんなのである。

パソコンは分からないのでいじりだしたら更に悪くなり、そして堂々巡りをして時間ばかりたってしまうのというのが現実である。まぁなんとかできるようになってホッとしている。パソコンも無手勝流、無手勝流はパソコンだけでなく信仰も然りである。何事においてもセオリーを知らない。しかし懲りることなく無学を前面に出して顰蹙を買いながらやっている。この前も「聖書では神様と私たちの関係を親と子の関係に例えている」といいながら「日本人の神は父親のような存在で普段は煙ったがって避けているが困った時や願い事がある時にだけ頼みに来る」と、そして「聖書の神は母親のような者、絶えず子共と交わろうとし、関わろうとしている。父親のようにチョコット思い出してそれだけのような者ではなく(これはサルだけか)、絶えず心にかけていていてくださる」。ノーエンのコンパッションにはギリシャ語もヘブル語も哀れみは体の内臓を表しているようなことを書かれていたので、「母親がお腹の赤ちゃんを慈しみように私たちを慈しんでくださる」てなこと言っちゃった。自分の中にもあるが放蕩息子のたとえを語りながら実は放蕩息子の兄の姿を求めているのに気付かされる。一応形だけでもジェントルマンでなければいけないのである。本当に弱いのは一般社会の常識の中で生活できない人間を言うのであるがそれは否定される。イエス様だって当時は非常識人だったのだろうなと思いながら自分を肯定しようとしている。そこにはセオリーも信仰もない。あるのは無手勝流だけである。だからパソコンも信仰も進歩がないのはこんなところに原因があるのであろう。

2012年11月1日木曜日

11月になっても

今年も後二ヶ月となった。紅葉もちらほら、高いところはもう終わりかけているが今年は野暮用ででかけられないかもしれない。それよりも寒くなってきたがまだ秋なのである。これから段々寒くなってくる。来年の三月後半にならないと暖かさを実感できないであろうと思うと紅葉の美しさをと思う前に憂鬱になる。この思いは、今年ももう二月というよりもまた一つ老いたのだという実感をしているのかもしれない。ストーブを出し、電気毛布も今日から解禁、冬に備えて準備しつつあるが身体はすこぶる拒否反応が高い。

2012年10月31日水曜日

ガソリンの値段

10年か20年前だったろうか信州のガソリンの値段はどの位違っていたか忘れたが東京より安かった。だから信州に行った時には必ずガソリンを満タンにして帰ってきた。今は東京の方がはるかに安いから東京に行った時には満タンにして帰ってくる。

今、諏訪地区のガソリンの価格は平均154/L前後である。しか、峠ひとつ越えて塩尻に行くと140/L前後である。諏訪地区と14/Lも違う。どこが違うのだろうか?諏訪地区を見ると協定かなと思っているが塩尻は一軒安いと他もとなるのだろうか。卸値はそう違わないだろうにと思っている。買う立場としてはうれしいが実際内実はどうなっているのだろう。安いだけがいいとは限らないが東京と信州くらいの距離的な違いはあれば理解できるが峠を越えてすぐ隣である。あるいは20号線が木曽と松本方面の19号線に変わり、それに伊那、飯田方面の153号線がある。車の往来が諏訪地区と桁が違うのかな、それなら分かる。

そういえば諏訪大社の始まりは、
「高天原(たまかがはら)の天照大神(あまてらすおおみかみ)によるの豊葦原(とよあしはら)の大国主命(おおくにぬしのみこと)への国譲りを迫る三人目の使者である建御雷之男神(たけみかずちのかみ)に対して大国主命の子、事代主命(ことしろぬしのみこと)は国譲りを承諾しました。一方その弟である建御名方命(かけみなかたのみこと)は国譲りに反対し、建御雷之男神と力比べ、今で言う相撲をしました。結果は建御雷之男神が勝ち、建御名方命は信州の諏訪まで逃げ、国譲りに同意しました。二人の息子が国譲りに同意したことを受けて、大国主命も国譲りに同意しましたとされているものです。そして建御名方命はその後諏訪の地を離れない事を約して許され、信濃の国の国造りをしたと伝えられています。」(諏訪大社研究記ブログより)

それに加えて、
「出雲系の稲作民族を率いた建御名方命がこの盆地に進入した時、この地に以前から暮らしていた洩矢神(もりやのかみ)を長とする先住民族が、天竜川河口に陣取って迎えうちました。・・・結局洩矢神は負けてしまいました。その時の陣地の跡には今の藤島明神(道路拡張工事で道路の脇に小さな祠があるのみ)と洩矢大明神が天竜川をはさんで対岸に祭られており、・・・洩矢大明神の祠は、現在、守矢家の氏神様の祠ということになっています。」(神長官守矢資料館のしおりより)

勝ち負けはあっても負けた先住民である洩矢の人々は新しく来た出雲系の人々に虐げられたわけではなかった。建御名方命が諏訪大明神となり、その子孫である諏訪氏が大祝(おおほおり)という生き神の位に就き、洩矢神の子孫である守矢氏が神長(じんちょう)という筆頭神官(神長官)の位に就いた。敵と味方が仲良くするというこの諏訪大社の経緯はここの風土を表しているのだろうか・・・。

建御名方命が諏訪の地を離れないという約束をされて許されたということは、ここは盆地で山に囲まれているから他に攻めていけないこともあるからかなと、逆も言えるが。ぐるり山に囲まれて、ひらけている八ヶ岳山麓は標高千メートルで塩尻峠と同じ高さ、他所に行くには幾つかの峠を越えて行かなければならない。唯一天竜川添えだけが、しかし平地といえるかなぁ。700mを切るのは辰野町の先のようだ。何を云いたかったのか・・・。

2012年10月29日月曜日

上諏訪ぶらり

先日、上諏訪に用があって出掛けた。温泉街は素通りしているが野暮用で○○の湯に寄る。ロビーの広さに圧倒されるが良く見ると受付の脇の使用人の出入りは結構痛んで手入れなし。ホテル経営の厳しさを垣間見る思いがした。ホントかどうか分からないが? 此処の温泉街も色々な規模の旅館があって結構高いホテルもいくつかある。その一つなのかな。次に銀行に行って用を済まし、時間が早く終えたので近くの阿弥陀寺に行くことにした。20号線を茅野のように向かい元町の交差点を霧が峰方面に向かう。諏訪二葉高校の前の急カーブを曲がって少し行くと阿弥陀寺の看板があり、そこを右折して急な坂道を上がっていくとお寺の駐車場に着く、駐車場といっても4、5台が精一杯。

阿弥陀寺の入り口は、石垣風の獄門(たけもん)と云う変わった山門で、家の門よりも低い感じがした。そこをゆっくりと登っていくと少し平らな所があって、そこは第二駐車場となっている。軽だって容易に登れないような狭い道で第二駐車場もないものだと思った。そこから少し歩くと本堂があり、左側は大きな岩の絶壁である。第二駐車場も大きな岩の絶壁になっている。それより更に高い、その高いところに蜂の巣があって結構大きかったが大丈夫なのだろうか。その前を通って建物の裏側に回るように行くと更に高いところにお堂が建っている。絶壁の中腹のようなところである。Y字のようなところから諏訪湖が見える。狭いが他と違った味わいがある。諏訪湖が標高760m、直線距離で2km余り、急な坂道を上がるから標高は1000m、今でこそ住宅街から近いが昔はあそこまで行くのに大変だったのだろうなと思う。老杉、古松の大木があり、昔は深山幽谷といってもおかしくないところである。あそこで今もであるが修養道場として用いらている。その辺は余り興味はないが辺鄙な山の中にそういうものを建てる心理に興味が湧く。

宗教はこのようなスタイルを好むがイエス様は大衆の中に大衆と共に歩まれた。ここが宗教とイエス様の違いかなと思った。

昼も少し過ぎたので食事をすることになり、家内が以前義妹と息子さんとで食事をしたところに案内してくれて食べる。高島城、やぐらと石垣だけのと云っては失礼だがわが田舎もあやめ城といいながら石垣しかない。お笑いに人がYシャツにネクタイをしていながら背中は何もないようなそんな感じである。その脇を通ってすぐ城の名前の食堂がある。定食屋のようで好きなおかずを自分でとる。家では余り食べれないてんぷらと大学芋をそれに酢の物を取って、ご飯と味噌汁が最後に盛ってくれてお金を払う。うまいシステムである。色々な種類があるのでまた行く機会があったら寄って食べたい。その後、塩尻に行った時も食堂の看板で入った店も定食屋だった。看板も外装も綺麗だったが中は昔の定食や来る日と職人さんや外で働いている人のような人たちばかり、独身の時はこのような店があって良く寄っていたから懐かしかった。

食べた後は、湖岸に出て、湖添えにボート場、ハイツ、そして畑に水をやって帰ってくる。ホントは奥蓼科やその先に行って、紅葉を見たいのだが野暮用は当分続きそうなので今年はパスになりそう。近場で歴史散歩である。

2012年10月25日木曜日

冷めた目

いくつかのブログをお気に入りに入れている。ほとんどキリスト教関係の個人のブログである。それとメルマガのようなものも二つばかりある。その一つは、サルのメールを知っているのでそれで送ってくだっている。増やしたり減らしたりと心変わりをしながらである。それらを読んでいて、色々とその信仰のありようが違って面白い。同じ福音派の牧師でも聖書的?神学的では取り上げ方が違っていて面白い。神学的になるとわからないので聖書を「神のことば」として捉えて書かれているのが一番共感を受ける。

よく信仰告白したときに感動して泣いたとかそのような感情的な事は此処最近ない。どこか坦々としている。人生の2/3近くを聖書にふれて生きていると日本人であること以上にキリスト者であることが自然のようになっている。ある意味で日本人が分からなくなっていると言った方がいいかもしれない。これはキリスト者の中にいる時はすこぶるいいがそうでない時は戸惑うのである。日本人であることを忘れてしまった。まず日本人であることを再自覚しないといけないと思っている。思考、論理、ナドナド。そこから聖書にのっといてみることが大切なような気がする。福音の押し付けはそれが正しくとも相手に伝わらない。自己満足的、上から目線的になるような気がする。それとどこか福音が矮小化されているような気がしてならない。救いだけの福音ではないと思っているから今はまともではないかも、以前の信仰と今の信仰の葛藤の中にいる。今の信仰の方が正しいと思いながらそこにインパクトとなるものがない。

今日はドラフト会議だった。ニュースで知ったほどで余り興味が無い。巨人の原監督の甥とかいう人が二年越しで巨人に入れたとか念願かなって良かった。しかしドラフト制が良いとは思わないがどこかゴネ得のようで江川事件を思い出して気分が悪い。まぁセントラルの他球団に叩かれないように頑張ってほしいと思う。阪神が桐蔭の藤浪選手を引き当てた。駄目監督の唯一のヒット、今年のペケが帳消しになるほどの超ヒットである。藤浪選手の活躍を期待し、阪神よ彼を大物に育ててください。来年は期待しませんが再来年は優勝を期待しています。

2012年10月11日木曜日

変なことを考えている


善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」  1kgs 3: 9


これはソロモンがイエスラエルの民を治めるために神に求めた言葉である。それゆえ求めたものは与えられ、それに加えて富と誉をも与えると約束される。事実与えられた。しかし、彼は700人の妻と300人のそばめを持ち、彼女たちを愛したが故に神の怒りを買う。そして神は王国が分裂することを語る。イスラエルを偉大な国になしたソロモンであるが彼にはこれだけの女が必要だったとも云えないだろうか。バプテスマのヨハネが必要とした着る物はらくだの毛の着物で、食べ物はいなごと野蜜だけで良かった。主の働きをする時に人間の側から見ると面白い。



しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」  matt 15:27


カナン人の女が悪霊につかれた娘を救ってくれるようにと願ったがイエス様に断られたときの言葉である。彼女に必要な物は食卓から落ちたパンくずで良かった。彼女はそれ以上のものを求めていなかったと見ることもできる。神の業が現れるために偉大な行為もあれば人が顧みることもないような小さなこともある。神の業がなされるために人の側は何を求め、何を必要としたかを見ると面白い。

2012年10月3日水曜日

富士見町散策

先日シニアの方々と富士見町を散策した。といっても午前中座禅、午後に富士見公園の歌碑と近くの白林荘見学、そして八ヶ岳の麓にある鉢巻道路にまで行ってカントリーキッチンでお茶とケーキでくつろぎ、そこで解散だけのものであったがそれでも疲れた。

座禅は山梨県境に近い三光寺というお寺でやったが今年で二回目である。仏教のことは良くわからないが禅宗の曹洞宗で座禅堂?がある。田舎も曹洞宗で母親が農閑期かで近所のおばさんたちと永平寺に行ったことを覚えている。何で行ったかわからないが。伯父さんと伯母さんはは鶴見の総持寺にお墓がある。少し離れたところに石原裕次郎の墓があるそうだ。伯父さんの法事の時に裕次郎の何回忌かの記念の催しがあるそうでその準備で大勢の人が来ていたのを思い出した。

座禅はただ座っていればいいくらいに考えていたが色々シキタリがあるのに驚く、座布を三本の指で支え持つ、薬指と小指は汚れているからだめなのだそうだ。薬指がと思った。堂に入る時は左側の左足から、出る時は右足から出る。足を組むのも作法があり、手の位置も同じく、右手が指一本先において輪を作る。座る時はまず合唱、そして向きを変えて合唱、後ろ向きで草履をぬいて淵の木にお尻がかからないように座る。そこは食べ物を置く場所でもあるそうだ。そして向きを変えて壁に向かって座り、座布を敷く、足を組み、手を組み黙想する。丁度この時、時々頭の右側が縦にそって痛むことがある。その時だったので黙想よりも頭痛との闘いであって、ドラがなるまでの長かったこと頭はあと何分だろうのカウントダウンのみであった。今回は時間があったので立ち座禅?説明されたが良く聞こえなかった。足の半分づつを動かして歩く、そして堂内を回る。それと警策(きょうさく)も一人づつやってくれた。叩きやすく痛くないようにと頭を左に身体を前向きにの姿勢をとる。音も大きく痛かった。一つ一つの所作はそれなりに理にかなっているのかなと思ったがどうなのだろう。

その後本堂に移り、唱和しながらお経を読み、お坊さんの話しを聞く、俗に言う講話であろうか。お経は漢文?意味するところは素人にはちんぷんかんぷん、聞いた言葉はいくつかあったがハラミタとか勿論意味はわからない。仏教の講話は人生の生き方とかお経の説明をするのだろうか。お経の意味が分かるように読んだら親近感が湧くだろうにと思った。カトリックでラテン語を使うようなもの信者には分からない方が有り難味があるのかもしれない。形ややり方はどうであれ、座禅は黙想するのにいい方法だと思った。カトリックでは黙想の家があるそうで一般の方にも開放しているといわれているが興味がある。

その後、ここ食堂?と思わせるような素人の手作り感のあるお店に行って昼食をとる。名前もこるリ、おばあさんが面白い人だといわれていたが店には出ていなかった。その名前のるり子をひっくり返して付けた店名に遊び心があっていいなぁと思った。(聞いたときはふざけた付け方だと思いながら親近感が湧く)定食500円均一、サルは久しぶりにカキフライ定食を頼んだ。値段の割にはおいしかった。あの店の雰囲気といい、値段といいもう一度生きたい。狭い道を入ったところなのに他県ナンバーの車もあり、それなりに知られているようだ。

そこからすぐ近くの富士見公園小さな公園である。そこに伊藤左千夫、齋藤茂吉、島赤彦、森山汀川の歌碑がある。サルはあまり興味はないが丁度東京からこの碑を見るために来たという老夫婦に出会う。その道の人には知られているようである。それとなんかに碑に希典書というのがあった。乃木大将のものであろう。そちらの方が興味が湧いた。その後昼食を食べたお店の裏あたりになる白林荘に行く、これは犬養毅の別荘だったところだそうだ。白樺が多かったのでその名前がついたようだが贈られて移植したりしたもののあるとか、広い敷地と屋敷、それに二間だけの別亭?青年将校たちに殺されなければここで生涯を終えたであろうにと思う。昔の造りはどことなく質素に感じるがどこかゆとりも感じられる。東京の岩崎邸や飛騨の武家屋敷も同じような印象を受ける。

そこを終えて最後は大分走って八ヶ岳の麓に添って走る?鉢巻道路にあるカントリーキッチンでコーヒーとケーキを個々に頼んでくつろぐ、美味しかった。接客も都会風だったがどこか冷たい、こるりと対照的、接客は好きでないがもう一度行きたいなと思った。帰りナビ使ったら諏訪南インター案内されて少し遠回り、高速を使わないようにすればいつもの道を案内されたようだ一つ利口になる。

富士見は良く知らなかったが歴史のある町である。そういえば今中幸雄さんはドイツに住んでいたところに似ているといわれて此処に移住して、讃美の家を建てている。昔は高速がなくて国道を通っている時、冬の富士見の坂は難所だった。諏訪湖圏と違った良さがある。


2012年9月30日日曜日

何故なのだろう

原発事故が起きて放射能汚染の問題がTVで議論されている時、ある番組で京大の小出裕章先生が真剣に危険性を説いている脇で多分東大の若い先生だと思ったがその脇で冷ややかな顔をしてそれを否定していた。大したことではないようなことを言っていたので専門の先生が言うのだから大丈夫だろうと安心していた。ところがどっこいチェルノブイリと同じように棄村しなければならない人たちが出ているのに何これと思った。

尖閣の問題も石原都知事が東京都が買うと言い出してこんなことになった。中国の品格のなさは問題だが一概に批判できない。十四億円から集まったということはそれだけ関心があるということなのだろう。最初彼は良くTVに出ていたがことが大きくなってから出なくなった。本人が出たくないのか報道機関が取材しないのか分からないがどちらにしても無責任だと思う。

アメリカで牧師がコーランを誹謗してイスラム圏の反感を買ったりするのと同じなのかなぁと思う。かつてスペインがユダヤ教徒からキリスト教徒に改心した人たちを異端尋問して迫害したように自分と違うものを排除するだけでなく抹殺することが神の御心と信じる恐ろしさを覚えたが形は違っても同じことが繰り返される怖さを覚える。「過ちを二度と繰り返しません」この言葉は死語になろうとしている。

2012年9月28日金曜日

ペトロ岐部

遠藤周作著「銃と十字架」を読み、松永伍一著「ペトロ岐部」を今読み終えた。松永氏は最後にこのように記している。

[ヨハネ伝十二章に言う「誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにあらん。もし死なば、多くの果を結ぶべし」(24節)を、わが身の営みにしようと魂を浄化し、日本式十字架にかけられて死んだ時、キリスト教の側から見れば「イエズス会士の輝ける殉教」の一例に過ぎないとしても、わが国にとっては十七世紀に世界を歩いてユダヤ教徒、イスラム教徒などの生態をも知った最大の国際人を、鎖国の徹底化と引き換えに殺した不幸な事件ともなった。そればかりか、日本史は鎖国の要因をつくった人物たちの名誉を封じ込めてきたから、キリスト教信仰の自由が保障された後も、ペトロ岐部の流した殉教の血のなかに「一粒の麦」が宿っていることに誰も気づかずにきた。歴史はおのれの活性化のために無意味な血を流させれるものだが、そのことに無頓着であるならば、罪は歴史に負わせるのではなくわれわれが負うとしかるべきであろう。ペテロ岐部もその罪の自覚の上に立ちあらわれる「日本人の一典型」である。宗派の問題はそこで超えられるはずである。]

と結んでいる。

一人の殉教者の姿を通して時代の流れを見ていくと、純粋に信仰に生きていく者と単純ではないが布教を通して自己の利潤を得ようとする者の二つの姿を見る。そして関わってくる為政者の姿が浮き彫りにされる。同じキリスト者でもキリシタン、カトリックと距離を置いて見ていたが読みながら良し悪しは別にして同じ信仰者としての視点で見、また松永氏の言葉で日本人という視点からも見ることができた。それでもこの困難と受難の中で信仰を捨てることなく突き進んで行く姿は想像を超えている。何が彼を動かしているのだろうか。同胞とかキリストとかに対する「愛」と一言で言えない何かがありそうな気がする。キリストの死が裁いた人たちを逆に裁いているようにペトロ岐部の死は日本を日本人を裁いているような気がする。或いは為政者をか。

なたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。matt: 7: 2

曲がることのない一本の道を歩んでいくと人を右と左に分けていく、言葉は遊ぶことが出来るがこれは「いのち」がかかっている。ペトロ岐部はその道を歩まれた。お恥ずかしいがサルは歩めない。


2012年9月25日火曜日

最近思うこと

マタイの福音書十八章に「一万タラント借金して払いないので赦された人が百デナリ貸した人を許せなかった人」の事が書かれている。一タラントは六千デナリである。これでもすごいのに万とくると比較の対象ではない。

でも考えてみれば罪赦されているという事はこのようなことではないだろうか、しかし些細なことでも人を許せない自分がいる。夫婦二人で向き合っていると許していないものがお互いにあることに気付かされる。そんな時は一瞬気まづくなる。お互いどこか許せないものを相手に持っているからであろう。そんな時は大体お互いに持っているプライドに触れるからである。それを無くさないとだめだぁと思っている。これは百デナリに拘っているからである。そして一万タラント許されていることが意識の外にある。

マルコの福音書の一章にイエス様がツァラアトの人を「深くあわれ」んで癒していることが書かれている。夫婦が気まずくなるのは向き合って、相手が良く見える時である。深く憐れんでいる時は寄り添っている時である。痛みや苦しみを共有する時に気まずい思いはない。イエス様はツァラアトを病んでいる人とその苦しみ痛みを共有されていた。否、共有される方なのである。

福音宣教が金科玉条のようになると百デナリ許せなくても福音は語られる。許せなかったら語ってはいけないと言うのではないがどこか何かがスポイルされているような気がする。何かどこかでボタンのかけ違いをしているような気がしてならない。家内との関係も然りである。解決の方法も少し分かってきたと思っている。ただそれができるかどうかは別であるが。

2012年9月24日月曜日

長野市に

私たちの集会は午前中で終わる。松本や佐久にある集会は逆に午後から始めている。多分遠くから来られる方がいるからだろう。わが集会は逆で車で十分とか十五分で来られる。午後の時間は空けておくというか借りる単位が午前、午後、夜間となっているので昼までなのである。月に一回は午後まで借りているが。

午後は空いているので長野にある集会の特別セミナーなるものに行ってきた。「日本宣教の光と影」という題で、「キリシタンの時代の宣教」、「明治期のプロテスタントの宣教」、「昭和期のキリスト教(主に戦前)」、「日本のキリスト教徒と海外宣教」、「今日の日本の教会の現状と展望」、そして質疑応答とあった。最後の二つしか聞けなかったが前に話されているのも興味あるのでCDを注文してきた。これらの知識は断片的なのでサルも然りだが集会の人にも聞いてほしかったこともある。届くのが楽しみである。原稿を読むようによどみなく話されていたから、一回1時間半X5=7時間半か長いなぁ。

ここの集会のセミナーは他ではやらないことをやろうとしているのがモットーらしい。だから集会に関係なく、キリスト者でお医者さんとかキリスト教関係の専門家の方を呼んでいるようだ。今回の
講師は新潟聖書学院院長の中村敏先生、新発田市の生まれだというので興味もあって行ったことでもある。休憩で少し話せたが同じ市の出身といっても先生は旧市内出身、サルは町村合併で市になった。多分そうだろうなと思っていたことが当たっていた。この違いは大きい、高校生で信仰を持ち、聖書神学舎、トリニティーと勉強されている。著作も5冊、「マンガ日本のキリスト教史」が出版されるそうだがその監修もされている。キリスト教の教師であり、牧師でもあるからオールマイテイーであろうがどちらかというとキリスト教宣教史が専門なのかな。当然とはいえ豊かな知識に驚かされる。年齢は9歳違うがこの年では似たような者、出身の市も同じ、同じなのはここまでで、知識と信仰は・・・。ただ聞くだけの者だが(右から左と流れるが最近はかすっていくことが多々)知らないことを知れることは感謝である。先生、長野集会の愛兄姉様ありがとうございました。

新潟聖書学院と云われていたので新潟市にあるのかなと思っていたら柏崎聖書学院が改名したそうだ。車だったら長野から岡谷と同じくらいの距離である。またいつかメッセージや話す機会があったらいいなと思った。越前、越中、越後はキリスト教の信者が他県に比べて少ないそうだ。田舎ではキリスト教のキの字も知らなかった。それでも中学生の時、ラジオを組み立てるようになって、新潟市から流れる放送の中に「ルーテルアワー」があった。ドラマ形式で内容が余韻の残るいい印象を受けていたことだけは記憶にある。これがキリスト教かなというメージが残っていたのかもしれない。プレゼントの請求で毎回繰り返される「千代田区富士見町、富士の見える町、何丁目何番地、ルーテルアワー何係り」という台詞はよく覚えている。車で仕事をするようになって、都内を走っている中で、中央線の飯田橋駅の近くを通った時にルーテルの看板を見てここだったのかと田舎でのラジオ放送の出来事を思い出した記憶がある。サンタクロースもクリスマスも関係ない少年期であったからキリスト教は新鮮だったのかもしれない。しかし「あなたは罪人です」は否定しないが強烈だった。今覚えば聖書のメッセージはどこか否定的であるような気がする。今もそのトラウマに囚われている。



「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」mark 1:15 なのである。


長野市は月の初めにも行って、今月は二回目、百キロは遠い。軽井沢八十キロ、飯田もそのくらいである。どこかに行くには天竜川沿えを除いてすべて峠越え、信州は広くて高い。標高の高さは隣の隣の茅野市が日本一で岡谷市は二番目か三番目、寒いわけである。市の講演会で東京から来たある講師は「長野は山と高原だけ」と云われた。頷ける。信州人は新潟平野の広々とした稲田を見て驚かれる。サルに当たり前の光景であるが。

2012年9月19日水曜日

小説石狩平野に思う

若い時に読んだ船山馨の小説「石狩平野」を今思い出している。明治初期に開拓移民として、家族とともに北海道に渡った鶴代という女性の生涯を描いたものである。或いは作者は鶴代を通して明治から太平洋戦争の終結までの日本を、そして日本の選択の間違いを指摘するように描こうとしているのかもしれない。

鶴代は社会の底辺に生きながら世の中の流れに妥協することなく自分が正しいと信じる道をたくましく生きていく、たとえそれが自分に不利益になろうともそれを崩すことはなかった。戦争が終わり焦土と化した東京の焼け野原に子供を失いながらも残された二人の孫の手を取り「この子らが大きくなるまで頑張る(そのような台詞だったと思った)」とすくっと立っている姿を思い出す。もう老人となっているのにあの逞しさが印象に残っている。最後のシーンだと思った。

明治、大正、昭和(戦前)がどんなものであったか国民の多くが諸手を挙げて戦争に加担していく中で、毅然としていく鶴代の姿は本当に正しいものは何かを問いかけ、国民受けするような言動も、それは偽りに満ちていることを指摘しているような気がする。戦争中は息子の庇護の下にいれば「お母様」でいられたのに息子の生き方を善しとしないで厭いて社会の底辺に生き、貧しい生活を選択する。無学な鶴代が真の答えを出しているように見える。ちょっと読み込み過ぎかな・・・。

今、色々なことが起きている。今までほっといたツケがここに露呈したのかもしれない。民主党も酷いが半世紀も自民党は何をやってきたのだろうと思う。その反省もない姿は情けない。経済優先も貧しいときはいいかもしれないけど理念がないとエコノミックアニマルと云われても仕方がない。いまだにその片鱗があるような気がする。原発事故が子供たちに与える影響が深刻なのに経済界はそれに頬かむりしているようで悲しい。経済界も厳しい状況であるからわからないでもないが経済一辺倒もなんだぁと思ってしまう。マモンと言う神に拝祈している姿はどこもかしこも同じか。マスコミもサンケイと朝日のハザマで・・・と云ったら失礼か。「神の正義」はキリストの再臨を待つしかないのだろうか。チョット大袈裟かな。

「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」mark 1:15

2012年9月18日火曜日

おひさまファーム 8

昨日はおひさまファームの講習会であった。もう14回目の講習である。いつもながら丁寧に説明してくださるのだがそれが災いして逆に次々と忘れていく。それでもいくつかが残っているから少し経験が身についたのかなと思っている。野沢菜とチンゲン菜の種まきで、最後の種まきになった。今回は前に播いていた春菊とほうれん草の不織布をとった。暑かった所為か芽の出が悪くまばらで、人によっては新たに播いていたようである。私もその種を貰ったので様子を見ながら空いている所に播こうかなと思っている。

毎日のように水をやりに行っているが同じようにやっていても育ちの違いがでるので他の見て一喜一憂している。暑さでしなびていても水を播くと生気を戻すので水の威力を改めて教えられる。春菊やほうれん草の後から播いた大根は順調に芽を出し育っているを見て同じ植物でもこうも違うものだと感心させられる。子育てと同じでほっといても育つ子と細心の注意を払って(そんなことはないか)もだめな子といる。野菜作りも然りであると思った。それとどんどん実が付けていくものと遅々として育ちが遅いのもある。

もう終わりに近づいているナス、キュウリ、トマトがある。ナスはたくさん取れるが大きくなるのはゆっくりである。それでも2,3日ほっとくとイラク大きくなっていたりする。キュウリは一日で大きくなる。まだ小さいと思っていても翌日は大きくなり過ぎるくらいになっている。今はその勢いもなく、元が太くても先が細かったり、曲がったりしている。今も花が咲き実を生らしているがその中で小さな実が枯れてしまったのがあったりするからそれがどれだけ育つかわからない。

トマトも実がなっても大きくなるのが遅く、更に赤くなるのも遅々たるものである。折角の実が虫に食われたり、鳥につつかれたりしている。

オクラとピーマンとシシトウが収穫中。オクラは綺麗な花が咲き実をつける。これもすぐ大きくなる。
すぐ大きくはならないがびっしり生っているのがピーマンとシシトウ。近所に上げてもまだ食べきらない。今も元気で実を付けている。頑張らなくてもいいよと言ってあげたい。キュウリも最盛期はそうだった。もう見るもという感じだったが最近少なくなってきたのでちょっとさびしい。ナスもそんな感じを受ける。現金な者である。野菜も個々に違うのであるがワンパターンで水をやり、ぼかしを播いている。肥やしはどうも聞いていないようだが折角作ったので処分に困って播いている。デリケートな野菜に無神経な我なり申し訳ないが愛のないのがこんなところにも出るという次第である。それでも野菜つくりの難しさと楽しさを教えられる。たかが野菜つくり、されど野菜つくりである。農家の方に大袈裟なと言われそう。

2012年9月17日月曜日

ペドロ岐部

遠藤周作の「銃と十字架」を図書館から借りて読んでいる。ペドロ岐部にスポットを当てた物語である。作者がカトリックの信者であるという先入観があるのかそんな視点で見てしまう。

戦国から江戸幕府初期の歴史をカトリックの宣教を軸に丁寧に書いている。一人の少年が神学校に入学し、キリシタン禁制で多くの信者とともにマカオに追放される。さらにインドのゴアから陸路エルサレムに行き、ローマにたどり着く、陸路を通ってエルサレムに行ったのは彼が始めてだそうだ。アフリカの喜望峰を通っていくのも命がけだが距離的には短くても更にの感がする。今日でも命がけでもある。そこで神父となり、迫害の日本に赴く、ポルトガル、喜望峰、インドのゴア、マカオ、アユタヤ、マニラと移動して、そこからルバング島に行き、日本にへと向かう。難破しながらも日本の漁船に助けられて鹿児島に上陸することができた。追放されて16年目に再び日本の地を踏むことができた。しかし、それは殉教の死を意味することでもある。迫害の中に多くの困難を経て身を投ずる信仰の強さは計り知れない。フェレイラや千々石ミゲル、トマス荒木などの棄教者にも触れているがフェレイラは別にして棄教者に対する理解も示している。

史実に基づいているが小説であるから読みやすい。あとがきに「彼は今日まで私が書き続けた多くの弱い者ではなく、強き人に属する人間である」とあるが作者の人となりを見る思いがする。これを読みながら長與善郎の「青銅の基督」を思い出した。こちらはフィクションであるが人の機微を思い出させる。南蛮鋳物師が踏み絵用の青銅のキリスト像を制作したことから起きる悲喜劇?である。彼は鋳物師としての誇りを持って製作した。しかし、キリシタンであるかつての恋人は、あまりにもすばらしいキリスト像を見て、彼が信者でなければできないと誤解して喜んで殉教していく。役人もまた信者でなければこんなキリスト像は作れないとこれも誤解してキリシタンとして殺してしまう。それぞれの思惑で動くが真実ではない。彼と彼の作品を理解していたのは通っていた廓の遊女だけであるというのは作者の皮肉か。

皮肉といえばホーソンの「緋文字」も同じだなぁと思った。最後の方で母親の胸に抱かれている娘が母親の胸に縫い付けてある緋文字の「A」を自分がその結果であることを知らずに無邪気にいじっている。これは姦淫した印であり、一生涯付けていなければならない。この子が大きくなったときにこれをどのように捉えるのだろうと思った。立場場不利益であるだろうが人としてどこが違うのだろうかという問いがある。母親が毅然として緋文字「A」を付けているとしたら、姦淫という倫理上の事実はあっても真実の愛と偽りの愛を告発しているように見える。彼女が裁かれたのではなく、逆に彼女によって裁いた人たちが裁かれたのではないだろうかと思っている。キリスト者の偽善、結局人は見えるところからしか判断できない。聖書に基づいていたとしても自分の感覚で物事を判断し結論しているのではないだろうか。たとえそれが理にかなっていたとしてもそこに「いのち」はない。「いのち」は絶対者なる神に畏敬の念を持って拝するということがない限りないように思う。愛がない限り、人は自分の立場を守るということしかできない。

松永吾一著の「ペトロ岐部」がある。この方はノンクリスチャンだから、また別の角度で書かれていると思うから読んでみようと思う。ペトロ岐部の立体像が見えるかもしれない。カトリック、プロテスタントの枠を超えて、彼の信仰のありようを知ることは大切かもしれない。

あの頃はスペイン、ポルトガルは改宗したユダヤ人を日本でのキリシタン迫害のようなことをやっている。それをペトロ岐部は知っていたはずである。そしてアジアで彼らがやっていたことも、作者はそのことを控えめに触れている。すべてを知った上で、まさに、キリスト教信者ではなく、キリスト者としてキリストを見すえて歩まれたのではと思う。

2012年9月15日土曜日

シューマンプラン

「シューマン宣言(シューマンせんげん)とは、1950年5月9日にフランス外相ロベール・シューマンがフランスと西ドイツの石炭・鉄鋼産業を共同管理することをまとめた声明。ジャン・モネの提唱の影響を受け、この宣言の目的は、フランス、西ドイツ、ベネルクスの各国が戦略上の資源を共有し、相互での紛争の火種を除去し、ヨーロッパの永続的な安定をもたらすことである。シューマン宣言を基礎として、1951年に欧州諸共同体のなかの最初の共同体で、のちの欧州連合につながっていく欧州石炭鉄鋼共同体が創設された。」(ウィキペディアより)


伴武澄氏の萬晩報の「EUの基礎をつくったシューマン・プラン」より抜粋では、

シューマン外相の爆弾的提案

 一九五〇年五月九日、西ヨーロッパ連邦議会の外相会議の席上で、シューマン外相は次のように提議した。「フランスはドイツにおけるその勢力圏の石炭と鉄との管理を、すべて投げ出して、超国家機関に託し、ドイツと握手し、ザールの石炭、ローレンの鉄を共同経営に移す用意がある――」と。このシューマン提案は世界を驚かした。一ばん驚いたのはフランスそのものであった。ドイツの復興を最も警戒しつゞけて来たフランスが、他国にさきがけてドイツと仲直りをし、その復興を助けようというのだから、驚くのが当然である。イギリスも驚いた。石炭は国有となし、鉄も国家管理に移すことに議決しているイギリスとしては、ドイツが、鉄と石炭とを手に入れて、イギリスの競争相手となることは由々しい一大事だからである。

今、尖閣、竹島、そして北方領土と話題になっている。国同士の争いに発展しなければと誰もが憂慮していることであるがサルも然りである。各国のナショナリズムがどのように展開していくか不安である。世界が一つとなっていく中で自国の営利を強引に追求することは赦されないであろう。エゴに近いナショナリズムが台頭してくるのか退けられていくのか各国民のナショナリズムと国の指導者の資質が問われていくような気がする。低俗なナショナリズムが戦争へと駆り立てて行ったのではないだろうか。

そういう意味でシューマン外相はすごいなと思う。利害ではなく理念がなければできないことだろうと思う。キリスト者として色々批判する人もいるが賀川豊彦のような国際人を今必要とされているのではないだろうか。低俗なナショナリズムが台頭しそうな今日、共に利益を受けるグローバルな発想が必要とされているような気がする。

2012年9月6日木曜日

最善のものを

こちらに来てから何度か東京に行ってひとつ教えられたことがあった。以前住んでいた所に息子がひとりで暮らしている。最初行った時は散らかっていたが行く度に片付いているようになった。わたしたちが行くと家内は料理と洗濯、わたしは片付けと諸々の直しをやる。6月に行った時は来るとわかっていたのか掃除もしてあり片付いてもいた。わたしがやったのは前回時間がなくてできなかった3.11の地震で壊れたコンセントの交換と細長いボックスが倒れてガラスの部分が割れて紙でカバーしてあったのをプラスチックの板に入れ替え、本棚もぐらついていたので補強したくらいである。

家内はいつものように洗濯をし料理を作っていた。お天気も良いので二日に掛けて布団も干す。一回干せばいいだろうと思っていたら家内がわたしたちが来た時しか干せないからと息子のベッドの布団をもう一回干してといわれて2回も干す。料理も帰った後でも食べられるようにとおかずを少し作っていた。

家内は息子のことを思って色々やっているの見て、私はコンセントを替えたり、プラスチックの板をはめたり、本棚を直したりして、それ自体は悪いことではないがそれによって息子が利便性を得たかというと何もない。コンセントには延長コードがついているから延長コードをはずさない限り全く関係ない。ボックスも紙がプラスチックになっただけでこれも然りである。直さなくてもいいというわけでもないが直さなくても生活に支障があるわけではない。わたしも壊れているから直すという感じで、これによって息子が助かるからという思いはない。

一方家内のやっていることは、直接助かることばかりである。洗濯はしなくてもよいし、カーテンも洗ってもらった。料理も作ってあるから帰ってきてから何か作るということもしなくても良い。それに布団も2回も干してもらっている。わたしと家内の目線の違いを教えられた。目線がわたし自身か息子かの違いがある。わたしは自分の側に立って事をやっていたが家内は息子の側に立ってやっている。布団も一回干せばいいじゃないというわたしともう一回という家内、ここに父親と母親の違いを教えられる。ここに息子にいいようにと思う母親の姿がある。

神様はわたしたちに必要なもの、最も大切なものを備えてくださっている。そのために私たちに必要なものだからと御子イエス様を犯罪者の一人のように十字架に掛けることも厭わない。イエス様は十字架に架かられたのではない、神によって架けられたのである。恥辱の神として。自分の罪からではなくイエス様の十字架が臨むことによってわかるわが罪である。たとえどのようであっても人が主体ではなく神が主体なのである。そのことを真に知れるのは再臨のイエス様に出会ったときかなと思っている。


2012年9月1日土曜日

9月になって

9月になってもどうってことないのだがなんとなく暑い夏が過ぎたのかと思うとホッとする。歳をとると寒い冬も暑い夏も苦手になった。身体が元気で活動的なときは良いのだがそうでもなくなると凌ぎやすい時が一番、気候的にも精神的にもさらに肉体的にもである。

上沼先生がニュッサのグレゴリウスの言葉として「箴言と伝道者の書と雅歌の三つの書を、人生における青年期、壮年期、老年期として読んでいる。倫理的な生き方から、哲学的な経験を通して、霊的な世界に至るプロセスとしてみている。」と本で紹介している。最初に読んだ時面白い捉え方だなと思った。本来の意味はかわからないが自分なりに何となく納得できる。老年期になった所為だと思う。そして何となく慰められている。

同じようなことを書いているが歳をとるとあらゆるものが衰えてくる。若さは色々ものが隠してくれるが若さがなくなると隠されているものが露わにされていくそれは見て美しいものではない。否むしろ醜いものだったりするからあまり見たくないものである。でも目をつぶるわけにはいかない。正視しないといけない。それは真実と向き合うことである。

箴言は箴言であり、わたしたちに何かを求めてくる。伝道者の書は人生の悲哀を味わわせてくれる。雅歌は恋の歌である。「あの方のすべてがいとしい」、ここに何かを求められることもない。或いは神との関係で失恋ということもない。わたしのすべてが受け入れられているのである。否その更に上のレベルで受け入れられている。自分も他者も受け入れ難い姿であるのにと思うと神と私の関係がそのようなものであることを教えられる。信仰者の歩みはどこか能力主義的であるように思えてならない。神との関係はそうではない筈だ。福音書の中でのイエス様の姿や言動がそうである。放蕩息子を取り扱う父の姿はそうである。しかし信仰者は放蕩息子に目もくれることもなく兄の姿を颯爽と示している。自分の中にもあるからどこかで自分を受け入れることができないでいる。

2012年8月31日金曜日

8月も

暑い8月も今日で終わりである。といっても明日から涼しくなるわけではない。
それと、いつも来てくださっている伝道者のM兄が奉仕等でパスされたので、さらに長くも感じた。
関東地方の暑さをニュースで見ていると暑いなんていわれないかもしれないがそれでも暑つかった(現在進行形ではあるが)。
釧路在住の牧師のブログをお気に入りにいれて読んでいるが時々暑い日のことを書いている。あの北海道で?どこか悲鳴に近い感じで書いているから今年の夏はただものではなかったようだ。

暑くて寝つかれないということはないが今夏は夜中に目が覚めてしまう。下手すると3時過ぎに目が覚める。少しづつ延びているが今朝?3時半、昨日は4時半かな、最近はそのまま起きて本を読んだり、今日はブログを書いている。そして眠くなったら又寝て7時頃起きるこんなパターンがこのところの毎日である。

このところ朝晩は凌ぎやすくなったので夕方小一時間ばかり歩いている。運動不足の故か中性脂肪が高い。血圧も高いのだがこれは年の所為もある。もう一週間になるから三日坊主はクリアーしたがいつまで続くか疑問である。。ただ歩くだけであるが運動不足の所為か胸が痛くなったり、ふくらはぎが痙攣しそうになる。それでも体が少し軽くなったような気がする。それにお腹が空腹時でも満腹のような体形であるからこれを空腹時は空腹時の体形にしたいとの気持ちもあるので頑張りたい。食欲の秋になったら戦いがあるのかなぁ努力は必要である。

2012年8月24日金曜日

渇くことのない水




「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」john 4:13-14

昔、母方の伯母の葬式に伯父が近づいてきて、「お前、パンも大切だよ」と言われたことがあった。ただそれだけの会話で終わったが田舎でクリスチャンになったことを知ったのだろう。商売というかそういうのに機敏な伯父らしいなと思った。ご忠告を聞き流したので今もって「日ごとの糧」のみで荒野の生活の中にいる。イスラエルの民が荒野で「あぁ肉が食べたい・・・」という気持ちが良くわかる。

パンよりも大切かはわからないが「水」も生きていく上で大切である。山で遭難した人が助かった要因に沢の水を飲めたとか水を飲めて助かったことを良く聞く。今年は熱中症の話題が多かったように思う。それだけ猛暑だったのだろう。水の補給の欠如が要因である。パンがなくとも水があればいのちの保持につながるのだろう。

教会では偶像崇拝という言葉をよく使う。一言で言えば「神ならぬものを神とする」。イスラエルの歴史を見るとまさにその歴史である。だから具体的な例としてメッセージにもよく出てくる。しかし、現代の偶像の一つである「富み」についてはあまり触れないのが多少不満を感ずるところである。

聖書の中に偶像ということばが出てくるから良く使われるのだろう。でも一般社会でも使われるが教会ほどの認識はないように思うがどうだろうか。偶像というより宗教といったほうが通りはいいかなと思っている。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。」と言われたイエス様の言葉は現代の宗教の姿を映しているように思うがどうだろう。今日の宗教が信仰より金儲けに重きを成している感がする。批判するつもりはないがそうせざるを得ないところに宗教の問題点があるような気がする。そしてお互いに納得しながらまた渇く行為をしているのである。

教会も人の集まりである以上この問題は避けて通れない。現に金銭が絡んでごたごたしている教会を身近に見ているとそうだなと思う。一応表向きはいいこと言っているが以前にもあったし、キリストの名の下に人を裁かないでほしいなと思うがそうでもないらしい。信仰共同体であるから信仰の一致ができなければ出るか出されるかはしょうがないのだろう。そこに人々が集まるからキリストの名の下に実は指導者の顔があるのかもしれない。真にキリストの名の下に集まるなら誰でもいいわけだけどそうは行かない。そこに人の集まりの難しさがある。というより「いける水」を飲んでいたつもりが「渇く水」を飲んでいるのかもしれない。

「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません」。ここにはプロテスタントもカトリックも教会も集会もない。そうでないのは真に「渇くことのない水」を飲んでいない所為かもしれない。ちょっと短絡的か。


2012年8月18日土曜日

いのちのパン

ヨハネの福音書6章48節に「わたしはいのちパンです」とイエス様が言われたことが書いてある。このことばは何か分水嶺のように思えた。

五千人あまりにパンを与えて満腹させたことは、弟子を含めて民衆が自分たちを守り、日々の糧を備えてくれる方としてのメシア待望であることが推察される。14,15節でダビデの再来を願っていることをうかがわせるようにヨハネは書いている。これは日本の神々が拝跪する者の願いを聞いてくださる神であるのと変わらない。

そして追い討ちを掛けるように23節で「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。」と断言している。そしてこのことばで多くの弟子が去ったことも記されている。

ここに「日々の糧を与えてくれる神」か「いのちを与えてくれる主権を持った神」かの選択が求められる。ロマ書11章22節には「見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。」とある。口語訳では「神の慈愛と峻厳を見よ。」となっている。どちらかというとこちらの方が好きである。

キリスト者でも「日々の糧を与えてくれる神様」が良い、なぜなら「わたしが主権者」だから、いのちのパンを与えてくださる方であるなら「わたしが主権者」ではあり得ない。いのちのパンを与えてくださる方が「主権者」なのである。

イエス様が霊の世界を語っているのに弟子を含め民衆は肉の世界のことしか頭になかったことでもあるのかも知れない。ここで、同じ言葉でも基盤が違っていたら交わることはできない。この宣言を通して「いつくしみ」に留まるか「厳しさの中」に置かれるかその選択を聞く者に問うているように聞こえる。

2012年8月17日金曜日

花火大会

夏の風物詩である花火大会が始まっている。東京にいた頃は隅田川の花火が有名であるがこれはニュースでしか見たことがない。身近に見ていたのはせいせき多摩川、現在はやっていないようだ。その下流にある調布の花火大会を多摩川べりが道路になっているのでそこを通るときに身近に見たり、家の近くだと高いところから見たりしたくらいである。

こちらに来て諏訪湖の花火の大きさと身近に見ると音の大きさに驚かされる。お腹に響くのである。いつだったか湖畔端で見たので火の粉が降りかかってきたこともあった。まさに圧巻である。8月になると上諏訪の湖上で観光目的で毎日花火が打ち上げられる。15日がクライマックスの花火大会、旅行会社がバスをチャーターして来ているそれだけ規模が大きいのかもしれない。毎年少しづつ趣向を凝らしてやっているようだ。最後にやるスターマインはすごい。遠くから見ているのに皆さん思わず拍手していた。9月はじめに新作花火の大会がある。15日ほどではないがこれも規模が大きい。

身近に見ても帰りが電車も車も混むので最近は対岸から見るようにしている。それでも湖岸の周りは人でいっぱいである。東京の雑踏は平気というより好きな方なのだが観光などでの混雑は嫌い。だからそういう所にはあまり行きたいと思わない。花火も然りである。それと花火は華やかだがパッと咲いてパッと散る。この短さが人生の儚さとダブルようであまり好きではない。逆に家内はこのようなのが好きだから促されて付き合うように行くだけである。

15日が上諏訪、16日は対岸に当たる釜口水門まえでの灯篭流しと岡谷の花火大会。義姉夫婦と見物に行く、規模は全然だけれど目の前に上がるので圧巻である。帰りはお茶をご馳走になって11時過ぎに帰ってきた。その頃にはあの大きな駐車場はほとんど車はなし、それに走っている車も少ない。花火を見るよりどちらかというと駄弁りングが好きである。

2012年8月10日金曜日

おひさまファーム 7

今週の月曜日が研修日であったが雨のため水曜日に変更になった。今回はダイコンの間引きと追肥だったから楽だった。オクラも大きくなって実をつけ始め、実をと採ったら脇の葉を切るとると言われ、気がつかなかったので大きくなり過ぎたのが一本あったので収穫し、その脇の葉を切り取る。細かく刻んで納豆で食べたら皮は硬く感じなかった。

野菜を幾つか作っていて面白いなぁと思ったことは、キュウリ、ナスの成長の早さとトマトがちっとも赤くならないことで、当たり前なのだが種類によってこうも違うものかと感心する。特にトマトは成長が遅く、赤くなれば鳥に突っつかれ、トマト同士がくっついているからそこから腐ったりと手間の割には実入りのないような気がする。庭のミニトマトのほうがほっといても実をつけ赤くなってくる。それでもこの間3個ばかり採れて食べたらおいしいというほどではないが味が青臭くてトマトらしかった。

キュウリは4本だけだが食べきれなくなるほどよく取れる。最初にそのように言われたがたった4本でと疑っていた。しかし、言葉通りだった。キュウリのことさい疑ったのにイエス様のこと信じることは桁が違うと思った。だから信じられることに感謝している。ナスとキュウリ、それにたまにネギを採ってくるだけだが最近はスーパーで野菜を買わない。買っても高いものではないが家計が助かる。それと特別おいしいというものではないけれどスーパーで買うのは味がないことに気づかされる。どこか気のせいもあってか贔屓目かコクがあるように思うのは親ばか的心情か。

2012年8月8日水曜日

終戦記念日

8月は広島、長崎、そして終戦記念日と続く、田舎に生まれ育ったから戦争の悲惨さはあまり経験がない。私より少し若い友人は東京の戦火をお母さんの背に負われて、火の粉をかぶりながら逃げ惑ったことを今でも鮮明に覚えているといっていた。それでも5歳で戦争が終わったがこの短い期間に現在の自分があることを思うと戦争のひとりの被害者かなと思っている。この年代は同じような経験をしているようだ。それで病気になっている人を思えばたいしたことではないのかもしれない。

8月になると太平洋戦争、原爆投下の問題が話題になる。客観的に見れば愚かなことであるが非常事態の中ではそんなことはまかり通らないであろうなと思う。「あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も・・・」と行かなくても打たれるままにしていれば争いは起きないだろう。国の面子やプライドが為せる業かなと思っている。

人々の罵声の中で何も弁解せずに十字架に向かって行ったイエス様、解決の道はこの道しかないが「かれらは平和の道を知らない」だから戦争はなくならないだろう。批判するつもりはないが記念式典を見ている(あまり見ないが)とどこか空しさを覚えるのはサルひとりだろうか。物事を斜に構える性格もあるのかな。

「これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てくださいrev:22:20

2012年8月6日月曜日

干天の慈雨

このところ晴天と暑い日ざしが朝から射していたのに今日は朝からドンよりの曇り、天気予報は午後の中ごろより雨の予報だったが朝から雨が降ったりやんだりしていた。今日は農園の講習会だったが中止、長袖のシャツでもいいような気温で日差しもなく絶好の講習会と思っていたのに残念。8日の水曜に変更、もう気温は元に戻りそう、かさねて残念。

暑い日が続いていたので老体には助かる。図書館は休みで、家の外に一歩も出ることなく過ごしてしまった。午前中の講習がなくなったので読みかけの本を読むことが出来てよかった。お陰で晴耕雨読を経験する。それほど難しい本ではないのに、読むうちからどんどん忘れていく、大分前からで、一時はノートにメモしていたがあまり変わらないので、それもやめた。しかし、読み過ごしていたり、勘違いしていることが指摘されるようなところもあるので、あっそうかと頷くこともあるので、それが楽しみである。落穂拾いのごとく少しでも得ることがあれば後は残らなくとも可である。

2012年8月2日木曜日

準備するなかで

今度の日曜日に30-40分ばかりの話をするのでその準備をしている。準備する中でふっと思った。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」john 3:16

キリスト者にとって当然のように理解されている聖書の神はすべてを創られた方である。しかし、日本人にとっての神は極端な言い方をすれば欲求を満たしてくれる神であり、たたりをなだめる神でもある。そのような神認識をもっている人たちに聖書の神をどのように伝えればいいのだろうと思う。ましてや三位一体の神となるとさらに難しさを思う。

商売繁盛の神様、学問の神様、安産の神様、実に分かりやすいがそこには人とのいのちの交流はないように思う。創造されたということは創られた者への責任がある。だから三位一体の一格が崩れても?その責任を負おうとされている。それは三位一体の神でなくなる危険性を持っていると思われないだろうか。神々にはないが三位一体の神にはその根底にあるのは「愛」であることが分かる。

永遠のいのちや新天新地が約束されているが罪からの救いを強調するとこのすばらしさが判らなくならないだろうかと思ったりしている。サルも朽ちないいのちとか労苦や悲しみのない世界くらいにしか捉えていなかったのではないだろうかと反省している。永遠のいのちのすばらしさ、やがて来る新天新地のすばらしさをモット知りたいと思う。あまりにも肉に束縛されているが故に見えない、知り得ない。

2012年7月31日火曜日

丁度4年に

去年はどうだったか忘れたが今年の夏は年の所為もあってか暑く感じる。それでも都会の蒸し暑さはないから助かる。しかし、風があれば問題ないが風無しだとカラッとした暑さもきついものである。それでもクーラーをオンにしていないだけまだいいのかな。

こちらに来て丁度4年になった。何かと問われれば何もない。サルの場合は幾つかの要素が重なって、一つの結果なり行動がなされる。それは弱さの一つなのかなと最近教えられている。柱となるビジョンがないのである。或いは後で整えられるということもある。こちらに来たのも同じくである。

最近自分の弱さを教えられている。今までの生き方の中の根底にこれが流れていることを知った。父を嫌って東京に出て来たがある時父から田舎から逃げている自分を教えられる。年の所為もあるのだろうがここに来て逃げ場が少なくなってきていることを実感するがそれでも逃げるかもしれない弱さを抱えている。それでも主が最善のことをなしてくることを信じている。しかし、これが曲者で肉には何の心地よさも与えてくれない。不安や恐れだけである。でも後に平安が訪れてくれるから感謝である。まだ来てはいないが。

本間俊平は留岡幸助の影響でか免囚事業のような働きを秋吉台で大理石を掘っていた。「本間俊平の生涯」の中に日記が紹介されて、「事業は失敗する。人は逃げてしまう。神は見えなくなり、希望はほとんど絶え、信仰の山より、ずるずる引き落とされるような気がする時がある。こんな時に、自分のつかまって行くところは聖書のことばだけだった。」と記されている。同列に置くのは申し訳ないが同じ気持ちを抱かされることがある。今もそんな気持がないでもない。色々なことがあっても帰るべきところがあることは感謝だ。こういう時も大切なのだろう。ターニングポイントになればいいが・・・。


2012年7月27日金曜日

暑い

梅雨があけた途端に暑くなった。寒いのもしんどいが暑いのもしんどい。この暑さを真冬に、この寒さを真夏にといつも思うが自己中の極みである。まぁ熱帯夜はないから関東地区に比べたら贅沢かもしれない。昨夜は夕立があってほっとする。よく見たら三日月が出ているではないか、こんなことは初めて、これこそ恵みの雨である。暑さ寒さも彼岸まで、まだまだ先の話ではあるが。

2012年7月20日金曜日

同じことばでも

キリスト者が「神」と言えばすべてのものを創られた方「創造主」を思い浮かべえる。しかし、多くの日本人は「神」と言えば聖書でいう「神々」である。同じことばでも人によって大分違う。日本人にとって「すべてのものを創られた神」はイメージできるだろうか、むしろ否であろう。それは難しいのではと思っている。分業的な「商売の神様」、「学問の神様」は単純で分かりやすい。進化論の影響か人の誕生も偶然として見、必然なるものは有り得ないような捉え方が一般的かなと思っている。偶然の中に愛はない。必然の中にのみ愛がある。

罪を語り、裁きを語り、救いを語ってもどこか空振りしているような気がする時がある。神々の神ではなく、すべてを創られた神をどのように伝えることができるか難しいことである。「福音」ということばも然りである。グッドニュースがグッドニュースになっていないときがある。一面的な聖書の使信を伝えてもことばだけであれば伝えたことにはならない。神の愛をどのように語ればよいか分からなくなる時がある。無限に広がるものをある枠の中にはめ込んでしまって、神の愛を矮小化していないだろうかと思うことがある。

2012年7月11日水曜日

おひさまファーム 6

今回は7回目なのだが前回はその日に東京に行って金曜日に帰ってきたので書き込みはパスしてしまった。前回はチンゲン菜、ほうれん草を植えていた畝にダイコンの種を蒔く、それを不織布で蔽う。他には今植えられている野菜の追肥、ネギの土寄せ、それにトマト、ナス、キュウリの「わき芽かき」、これが良く分からなかったが今回もう一度やってわかった。幹と葉の間から出ている芽をとる。これをほっとくと成長して花が咲き実を実らす。その分本来実を実らす実が成長しないのだそうだ。各々切る程度が違うので慎重にやる。キュウリなどは花どころか実も成っていたがばっさり切った。勇気がいる。これを見ているとあれもこれもと首を突っ込み実の成らないわが信仰を思う。少し痛みを経験して切るべきものはばっさり切る勇気と力が必要。ブロッコリは、切った後に雨水がたまらないように斜めに切る。知恵だけでなく痛みを覚悟して・・・。


毎度、丁寧に説明してくれるのだがその時は分かってもいざ実技?となると分かっているのは最初の一つだけ(時にはわからないこともあり)、後は他の人のを見ながらやっていたり、先生や職員が来た時に又教わる。みんな一緒にやっているから見よう見まねができるからいい。一人だとギブアップである。

たった4本のキュウリだが食べきれなくなるほど続けて出来たりする。トマトも実がなってきた。色づくのはまだ先のようだ。キュウリ、ナス、シシトウなども実が成りだすと次々と大きくなっていき、成長の早さに驚く。二人でやっていてまだまだ、否最後までこんな調子なのだろう。

2012年7月7日土曜日

痛みを知る

今、大津市での中学生の自殺が話題になっている。学校や教委の対応はいつも聞くパターンである。法律的なことは分からないが警察も対応してくれなかったようだ。子供さんを亡くされたご両親の苦悩を思うと心が痛む。

こんな事件を見ているとイソップ物語の「少年と蛙」?だったかを思い出す。少年が池に投げている行為は他意はなくとも池の中にいる蛙にとっては死の恐怖にさらされていることである。やる方は他意がなくともやられる方はまさに死活問題なのである。もし意図的であったら?それはもう萬屋錦の助の「破れ傘刀舟」ではないが彼が最後に発する言葉「許せねぇ、てめえら人間じゃねぇ!叩っきてやる」という台詞を思い出す。

パスカルはパンセ「347」にこのように書いている。
「人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中でもっとも弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとえ宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。
だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。(前田陽一・由木康訳、中公クラシックス)


ある意味で何も考えていないのかもしれない。原発の問題と同じように考えているのは自己保身か?親であっても子供に対して最善を考えても最善をなすことは不可能ではあるが。


痛みや弱さは生きるうえでは障害になるかもしれないがこれを知らないで生きることはある面で悲劇であるような気がする。イエス様は「泣く者とともに泣き、笑う者とともに笑う」その人に寄り添えながら忍耐を持って人間復興(神とともみ歩む)を願っていたのではないかなと思ったりもしている。パリサイ人や律法学者はこれをやらなかったというか出来なかった。考えさせられる。

2012年7月3日火曜日

幻がなければ、民はほしいままにふるまう

題は聖書の箴言 29章18節前半のことばである。
政治にそれほど関心があるわけではないが昨今の政治の動きを見ていると冒頭の箴言の言葉を思い出しす。時とともにその要請は変わってくるからマニフェスト云々は問うつもりはない。変わっていく中でそこに丁寧な説明が必要ではないだろうか。消費税が上がることは生活に即響くから大変であるが多くの国民は理解を示していると思う。借金を作り続けた自民党はそのことに沈黙しているがこのことについてどういう考えを持っているのだろうか言い訳も聞かないように思うが。そして、昔の民主党のように揚げ足ばかりを取っている。自分たちの政策をなぜ提示していかないのか。一連の出来事を見ているとこの国をどのように導いていくのかそのビジョンを持っているのか疑問に思う。ビジョンを持った政治家や官僚が必ずいると思っている。いつか表に出てくることを期待したい。

アメリカの政治家は演説がうまい。若い時から自分の意見を発表する機会があり、またそのためにどうしたら聞く人たちにアッピールできるかを訓練させられているようである。日本では「阿吽の呼吸」が大切で、そんな機会も少なく、そのような土壌も無いのかもしれない。しかし、いつか党首討論なんかで自説を賛成反対は別にしても相手も聴衆もうなるようなそんな討論を聞きたいものである。

「大事の前の小事」とか「小事は大事」と言う言葉もあるように小さいことの大切にしてその積み重ねで大きなことをしてほしい。どうも大局云々で小事がスポイルされているような気がする。このことはある意味で政治家なり官僚は国民を国民として見ていない証左ではなかろうかと思っている。国益だけ、或いは自分たちの利益だけを求めていると国は滅びていく、ビジョンを持ってこの国を思うと同時に近隣諸国に思いを向けて行動してほしいものだ。国の正義は国益だけを求めて滅びに向かう。既に滅んだり滅びつつある国があるようだが。

2012年7月2日月曜日

ケセン語訳聖書

月一回の礼拝後の話しを昨日する。
最近読んでいる「イエスの言葉」 ケセン語訳 山浦玄嗣著 (文春新書)から少し話すが相変わらず説明が抜けていたかなと反省している。毎回のことである。まさにサルは猿並みなのである。別に自虐的ではない。

ケセン語訳聖書を東京新聞の1月7日付の土曜訪問と文春新書の帯びに標準語の聖書より分かりやすいと書いてあったがあれには異論がある。たまたま何かで入れた山上の垂訓と放蕩息子のたとえ話を聞くと殆ど分からない。新潟でも北の方に生まれ育っているから東北地方の言葉も混ざっているので他の人より少しは分かるのかなと思っているがそれでも分からない。と言っても田舎に帰って本物の方言を聞くと殆ど分からないからあまり説得力はないが。

思考は硬直的傾向なので読んでいてなんでこんな言葉がと驚く、否定的ではなく肯定的に捕らえてのことであるが。本の中で「本当の幸せへ」の項を紹介した。ヨハネの福音書14章6節からで、
「わたしは道であり、真理であり、命でる。」新共同訳。
これを
「俺は、人を本当の幸せに導く!」
「俺は、人が本当に幸せになるなり方を教える!」
「俺は、人を幸せに活き活き生かす!」

何回も聞いてきた言葉でそれなりに頷いて聞けた言だがこのように訳されるとまたそれなりに味わいがあっていい。「道」本当の幸せに導くもの、「真理」そのなり方、「いのち」生きている躍動感を与える。どちらかというと聖書解釈に目が行ってしまうが実生活の中に如何に聖書のことばが生かされるかといったらケセン語聖書の方かもしれない。原語からより忠実にもすばらしいが実生活で生かされる聖書のことばは身近な言葉でなされたらなおすばらしいのではないだろうか。それと「悔い改める」を「心をスッパリ切り換える」と訳されて、悔い改めも分からないことはないがこちらの方が具体的でとてもいい。今まで「悔い改める」は時には罪を認めるくらいの認識しかなかったのではないだろうかと「天国行きの切符を手にするもの」と揶揄される所以ではなかろうかと思わされている。

2012年6月30日土曜日

久しぶりの東京

郵送でも良いのだが書類の書き換えのために久しぶりに上京する。夜中に行く予定だったが当日の夜がいいとのことで夕方家を出る。高井戸まで行き、環八を走る。思ったより混んでいなくて、途中から団地の中を走り目的地に向かったが少し迷ってしまった。何年ぶりかの路地?の道である。しかし、大体の道は頭に入っているのであわてることはなかった。しかし目的地のすぐ近くまで行くがわからず車を止めて来てもらう。焼肉店で食事をとのことで行くが通る道は懐かしい。焼肉も久しぶりでおいしかった。しかし、どちらかというと魚派であり、野菜を好む世代だからタマであるのがいい。その後、ファミレスで少し話をするが日が変わってしまった。

下の息子が住んでいる前の住まいは古い団地の一角だから木が鬱蒼としている。それに街路樹があって、歩いても車でも日陰となるからそれだけでもほっとする。少し離れた図書館近辺はモット木が多い。そしてその隣に都の公園があって、まさに緑に囲まれた街である。しかし、ちょっと離れると変わることのない家並みがあるから限られた区域かもしれない。エキナカではないが駅のガード下のお店などが変わっていて賑やかになっていた。以前賑やかなところが寂れていたりで時代の移り変わりを思う。

最後の日に会社の近くで食事をというので気が進まなかったが車で都心に向かう。しかし、多摩川を渡り、調布に入ると調布作業所が新しくなっているのを見ながら多摩川べりを狛江、桐朋学園、そして仙川から甲州街道に出る。給田、烏山、環八を過ぎて明大前、幡ヶ谷、初台、新宿駅の南口の前を通り、新宿御苑を回り込むように外苑、青山墓地を脇を通り、六本木、溜池、議事堂を背にし桜田門、警視庁を脇に日比谷、そして銀座、工事中の歌舞伎座の脇が目的地なのだが時間が早いのでそのまま月島お台場と埠頭近くまで行く。お台場、レインボーブリッジ、ビックサイト、東京ゲイトブリッジ、そして物流倉庫群を見て、昔、有明コロシアムが唯一の建物であった時に一回車で通ったきりでその様変わりに驚いてしまった。少し暗くなってきたので途中で引き上げたがもう一度ゆっくりと車で回って見たい。

築地の本願寺や市場の前を通り、月島の名前を見て、いつかここでもんじゃ焼きを食べたいものだと思った。目的地の歌舞伎座の脇のシチュウの店でご馳走になる。シチュウもおいしかったが本のちょっとの煮物漬物?が実においしかった。50キロ近くある都心を走るのかと思ったがいざ走ってみると懐かしさと新鮮さが交差して、ダブルでグーである。時間があったらあそこにここにと気が向きそうになりそうな気分でもあった。家に着いたのは1時半、それでもまた行きたい思いは、東京も旅人のようにそこに住んでいない気楽さもあったのかもしれない。

2012年6月20日水曜日

リッター20キロ

今週の月、火と田舎に行って初めて長距離を運転する。一人ということもあったのか割りと運転はしやすかった。行きは北陸道まで下りになるからそれほど感じなかったが帰りは長い登り坂になるので少しパワー不足を感じる。しかし、アクセルを踏むとそれに合わせて加速がつくのでそれほどでもないのかもしれない。絶えずリッター何キロの表示が出るので運転は慎重になる。ゆっくりと発進し、ゆっくりと加速する。何時まで続くかは分からないが今のところは、燃費のことを考えなくなったら以前のような運転になるかもしれない。

燃費を計算したらリッター20キロを少し出るくらいだった。ほとんど高速だったからもう少し出るかなと思ったが残念、もう少し気おつければ1,2キロは出るかもしれない。発進時は3キロ、とか数キロの数字が出る。ゆっくり発進すればすぐ10キロの後半の数字は出るが町の中ではがっかりするほど落ちるかもしれない。満タンにして、メーターが半分くらいになったらガソリンを満タンにしてどれくらいになるかを見てみよう。何かがっかりするような数字が出そう、そうなると運転は雑になりそうな気がする。



2012年6月16日土曜日

制御できないもの





もう半世紀も前に読んだ本の中に書いてあったことを今も覚えている。細かいことは忘れたがオートバイに関する本であった。「人力で動かすものは事故になってもそれほど大きいものでもないが動力を他のものでやると事故は大きくなる。その動力が大きければ大きいほど大きい」こんな文ではなかったがでもこんな感じだった。

自転車に乗って事故っても怪我くらいで済む、(最近は自転車の事故で人が亡くなるニュースを読むが)、しかしオートバイの事故は死につながる。あの頃は若者のオートバイ事故がニュースになって、知人の高校生の息子さんのいる方は、息子の友達がオートバイに乗って事故にあって亡くなったとか半身不随になったとか息子さんの周りには事故のことがある意味で日常茶飯事だった。ある母親はオートバイで出かけた息子が帰ってくるまで心配で帰ってきた時はほっとすると言っていた。
オートバイは怪我すれば本人、自己責任みたいなもの自動車と違う感覚である。これより自動車、鉄道、飛行機と起きた時が大事故につながる。

これらは制御できるものである。制御できなくて痛ましい事故につながることがある。しかし、事故そのものはそれで終わりである。聖書の中に制御できないものがあるといっている。

しかし、舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。jas: 3: 8

まぁ自他共に認めることである。舌が悪なのか制御できないのが悪なのか分からないが「ことば」の一面を何時の時代でも経験させられてきた。その制御できないものがもう一つ加わった。事故が起きて初めて知った原発である。電事連が安全だ安心だと太鼓を叩いて唱えていたのにこれだったのかの感がした。人はある目的のために手段を選ばない。危険な結果を伴うものでも誰かが利益を生み出すものであればそれをやる。しかし、その付けは・・・



2012年6月13日水曜日

車を換えて

何時頃だったか忘れたが貰った車が壊れたので、店が近くにあったのと安いのでマツダのファミリアを買った。それ以来マツダである。二度ばかり買い換えてから、家族だけでなく、集会の人を乗せることもありと7人乗りのプレマシーにする。故障もなく割りと乗りやすい車だった。10万キロに少し欠けるが12年乗って、色々思い出がある。信仰と同じで、どの車でもギリギリのところで守られていることを経験させられた。若いときにはオートバイにも乗っていたがこのときは紙一重の経験を何度かしている。信仰を持ってから「守られていた」ということを実感させられた。そんなきっかけもあって信仰に導かれた面もある。これらのことを通して「万事を益」(ロマ8:28 口語訳)とされることを思う。

来年車検だったので買え替えはこの9月か車検時にはと思っていた。12ヶ月点検のときにエコカー減税の話をされて、7月くらいで切れそうだと云われたので買い替ることにした。そのときまでエコカー減税のことは考えていなかった。勧められた訳ではなかったがどうせ買うなら減税を利用した方が徳かと思ってのことである。スノータイヤも御代田に同じ車に乗っている知人がいるので4シーズン乗っている割には減っていないので、その旨話したらほしいと言うのであげて処分する手間が省けて感謝である。

二人で乗ることが殆どで人を乗せることも滅多にないので燃費が良くて値段も安いデミオに、正直CX-5のジーゼル車に興味はあったが値段が高くてちょっと手が出ない。運転をしていてハンドルの切れも良く軽い。アクセルペタルを戻してもスーとすべるように走るのがいい。それと停車してブレーキを踏むとエンジンが止まる。最初なれないと変な感じがしたが反対の信号が黄色になったらペタルを離すと丁度いい。それに今リッター何キロ走行かと出るのも面白い。町の中を走ると燃費は公称の数字より大分落ちそう。来週早々に新潟に行くから800キロ前後の距離だとどの位出るか楽しみである。 そのあと東京にも行かないといけないかなと思っているので行けたらそのときも楽しみである。昔の家電は「重厚長大」これが良かった。しかしあるとき「軽薄短小」に変わったように車も同じかなと思った。車が何年まで持つかより何歳まで運転できるかが問題、こちらに来て年寄りのマイペース振りには驚かされる。この間なんかも反対車線に止まって、しっかり右折の準備をされていた女性がいた。クラクション鳴らしても堂々としたものだった。回りを気にせず専用道路のように走ったりと、私にはあんな真似はできない。そのようになる前に免許を返上しないと、この車で最後になるであろう。せいぜい重宝させてもらおう。

2012年6月12日火曜日

おひさまファーム 5

昨日は残りの最後の畝に黒マルチを張り、オクラの播種とシシトウ、ピーマンの苗を植える。間隔を広く取るのを見て成長すると大きくなるのだなと思うがそこまでの余裕はない。まさに云われた通りにやるのが精一杯である。黒マルチに苗を植える細かい説明はなし、宿題とのこと。云われた時は何だっけと考えていたが作業を始めたら思い出した。忘れたと言えばキュウリの苗も伸びてきて、エボ棒に紐で結ぶときのこと完全に忘れていた。8の字で棒のほうを一回まわしてから結ぶ、指摘されたり、失敗して覚えていくものと割り切ってやっている。若い時からのパターンは変わらずさらにという感である。それでも牛歩のごとく少しづつ覚えているようでうれしい。

ジャガイモの芽つみ、種ジャガイモから出ている茎を2~3本残して、他は切るのだがそんなには着いていない。鋏みで切るときは上に茎があるとそこから芽が出すから土の中できるのだそうだ。結構奥がある。大きくなったレタス、キャベツ、ブロッコリーに追肥をして、小松菜、ほうれん草は収穫してそこに夏大根を植えるための畝つくりをする。

他を見ると同じように成長しているもの、明らかによく成長しているもの、あるいは滅多にないが自分とこより劣っているものと様々である。どこが違うのだろう、先生は水を上げているかいないかで大きく違うと言うがそれだけではないように思う。会を重ねるごとに面倒な部分もあるが充実していくような気がする。作業やっているときに興味があって聞きにくる人もいて、今回は数人いた。その中の一人の方は畑を借りて10年になるという。しかし、石が多くて今でよく出るそうだ。研修農園の土もあまりと思ったがこれくらいの土だといいと云われてそんなものかなと思った。その方は自己流でやっているそうで基本から教えてくれるからいいですねといっていた。確かに車の教習と同じで基本の基は大切。

しかし、肝心な聖書は自己流で基本の基をいつも逸脱している。年とともにひどくなり、修正不可能になりつつある。裁きと救いを強調するこの集まり、否定しないが福音が真に伝えられているのかなと思うと多少を首をかしげている・・・。もしこれだけであるならイエス様は神の国の到来を叫ぶだろうかといつも思う。そして新天新地も必要ではないのではなどと…。少し短絡的かな・・・。

2012年6月6日水曜日

隣人となるには

三日の日曜日にルカの福音書10章の「良きサマリヤ人」から話をししたが福音プラス学びのような内容になってしまった。聖書を「・・・人の私的解釈を施してはならない、・・・」(2pet: 1:20)ことをやっている。それにあのヨブでさい「知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。」(job:38: 2)といわれているのに、サルは足元などということ際はばかれるような者だからである。


この話の最後にイエス様は律法の専門家に「あなたも行って同じようにしなさい。」と言われたがやらないだろうし、やろうとしても出来ないだろうなと思った。なぜなら、これは律法の専門家自身が変わらなければできないことだからである。律法の専門家は自分の持っている律法の知識が彼を束縛し、神を知り、その御心を知っていると自負していたであろうがそれは改心前のサウロと同じであったと思う。サマリヤ人はフリーハンドのように行動することが出来たであろうと思う。キリスト者は律法学者のように成り得る最も近いところにいる者だ心しなければと思う。




「次に、偶像にささげた肉についてですが、私たちはみな知識を持っているということなら、わかっています。しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。」(1cor: 8: 1

2012年6月1日金曜日

二つの渡河

イスラエルの民がエジプトから脱出して約束の地カナンに入るのに紅海とヨルダン川を渡った。そのことを思い浮かべている。紅海を渡るとき背後にエジプト軍が迫っていた。前は海、背後にエジプト軍まさに彼らは絶体絶命の危機に陥っていた。しかしモーセの杖が海に触れると海は左右に分かれて乾いた地となって民は渡ることが出来た。映画の十戒のイメージではないが水は衝立のようになっていたのではないだろうかでも彼らはエジプト軍への恐れからただ逃げることで精一杯で水がどのようになっているのかわからなかったであろうと推察する。

一方、ヨルダン川の渡河は、シティムのはるか上流のアダムの町まで水はせき止められている。乾季の水の少ない時ではなく、岸まで満々と水があふれていた時である。東京でいったら新宿から甲州街道を府中まで20キロくらいはありそうな距離である。なぜなのだろうと思った。

一つは緊迫した場面であり、一つは穏やかな状況を思い浮かぶのである。振り返ったとき累々と漂っている兵士と戦車、戦慄が走るような出来事ではなかったろうか。片や振り返ってもさほど感動もなく渡ったような感じを受ける。約束地に入る緊張と期待はあったのだろうか。どちらにしても生きるか死ぬかの緊張感はなかったであろう。はるか彼方に水がせき止められていることを思うとそのことを感じる。

信仰に応じて神は守ってくれる度合いをこのことを通して教えられる思いがする。エジプト軍が迫ってこなかったら紅海の水ははるか彼方まで引いてないと彼らは渡らなかったであろう。緊急の場合は、渡河するためのスペースがあればいい。しかし、そのようなものがない場合は安心して渡れるようにはるか彼方に水のミさえ感じさせない距離が必要なのではなかろうかと思う。

私たちの信仰の歩みにはこのような二つの状況があってそれに対応した神の助け、守りがあるような気がする。今はどちら?

2012年5月31日木曜日

おひさまファーム 4

最初に撒いたほうれん草と小松は殆ど収穫して残りも今週中に収穫する。最初はたったこれだけと思ったが間引くようにとのことで少しづつ間引いておひたしにしていたがこれが結構あるのに驚いた。Nさんは毎日食べてもう飽きちゃったといっていたが畑を見るとまだ結構ある。あれで間引いているのかなと思っていたのに我が家は小松菜は殆ど収穫し、ほうれん草は数えるくらいしかない。どんどんとるので家内に小松菜はいいけどほうれん草はもう少し大きくなってからでよかったのにと云われてしまった。やることがいい加減なところがこんなところにも出てくる。

野菜には葉野菜、果野菜、根野菜がある(受け売り)。読んで字のごとくである。しかしネギやたまねぎは葉野菜であることを初めて知った。言われてみればそうかと納得。今まではジャガイモは別にして他は葉野菜であった。今回は二畝を使って果野菜、キュウリ、トマト、ナスを植える。ナスを一畝、もう一畝にキュウリとトマト、黒マルチで畝を蔽い、そこに苗を前にやったレタス、キャベツ、ブロッコリの要領でやればいい。前回と違うのはネギを植えたときにあまったネギをねぎ畝の脇に植えて置いた。これを各苗に3-4本づつ一緒に植える。これはコンパニオン・プランツといって、相性のいい作物を一緒に植えて病害虫から守るそうだ。ネギやにらは色々な野菜に合うとか、逆に悪いのもあってこれは逆効果。

黒マルチに穴を開け土を掘ってとここまではよかったがそこにオルトランを入れるを忘れるところだった。細かいところはどんどん忘れていく、水撒きだけはきちんとやっているつもりだが他の人はモットきちんとやっているようだ。ナスが5本、キュウリは4本で畝の半分に4っつ植える。トマトは2本、これで実がたくさんなるから収穫と食べるのが大変らしい。実がなっても肥やしが少ないとおいしくないとかやれば肥料過多、これらは経験を積まねば無理、今は云われることをやっているのが精一杯、それでもチョコット抜けることがある。抽選にもれたのか途中から広報で知ったのか講義だけを聞いている方もいる。基本的なことを丁寧に教えているからとてもいい。丁寧過ぎてか量的に多いのか次々と忘れているが資料があるから助かる。付随して、虫除けの元気丸やぼかし肥の作り方を教わったが作るのを忘れてあわてて作り始めた。一月ずれてしまった。肥料はまだ必要ないが元気丸はジャガイモに必要なので借りて使っている。ジャガイモは葉は穴だらけ(大体みんな)、これで大丈夫かなと思うが先生は何も云わないのでいいのだろう。ただてんとう虫は取るようにといわれているので手で取って殺している。不思議なもので、家庭菜園的な畑を見るとつい見て、同じような者を植えているなぁ、ここはこんな風にしてやっているのかとつい目がいく、以前はそんな風景も全く無関心だったのに、人は興味を持つとこうなる。聖書にイエス様に関心をと思うがこの歳になると知られていることにウエートがかかっているような気がする。『わが恵み汝に足れリ』は・・・

2012年5月28日月曜日

シニアキャンプ

先週二日間だけであったが軽井沢でのシニアのキャンプに参加した。このキャンプは春と秋の二回行われる。リタイアした人が殆どだから時期的にはいつでもよいし、丁度季節的にもよい時期でもある。確かに軽井沢は新緑の候に相応しくうす緑色の葉は目を和ませてくれる。さすが軽井沢だと変なところで感心してしまった。

メッセンジャーは関西のK兄で、話し手の人となりを感じさせたのか特別面白い話をされたわけでもないのに笑いを誘うような雰囲気だった。コリント人への手紙第1の15章3節-4節からキリスト、聖書、罪、死と多分5回のメッセージであるから最後は復活であろう。最初と最後は聞けなかったがCDを注文してきたから楽しみである。

参加した日の午後は富弘美術館へ、数年前に行ったときは、新しい美術館の工事中だった。いつかと思っていたがあそこは群馬のはずれで日光に近い?所だから簡単に行けない。今回いけて長年の願いが叶ってよかった。それに新しい美術館は6年経つそうだが部屋が丸くなっていて、次の部屋にととても見やすくなっている。気がついたら元のところに戻るのだが最初に館内に入った時と感じが違うような感じがして面白いと思った。それに二箇所ばかり外の景色も見える部屋もあり、外は湖で景色もよかった。しかし、絵と文を読みながら巡っていくのであるがその印象は残らない。年の所為で記憶するということが難しくなってきている。それと交わっていて話を後で思い出すが話の内容を思い出しても誰と話したか思い出せなくなった。その話も二日も経つと段々思い出せなくなってきている。これを受け入れるのも人生、ホイベスの詩を思い出す。

シニア対象だからすべてがゆっくりである。多分他のキャンプだともう駄目だろうなといつも思う。それにキャンプの中で一番よく食べるそうだ。若者がと思うがこれが案外食べないとのことで驚いた。信州に来てよかったことが軽井沢に日帰りが出来ることである。朝7時半に出て、金曜日のスペシャルナイトにも残って、夜の9時半ごろキャンプ場を後にするのだが家に着いたのは12時半前だった。それでもシニアのキャンプのみではあるが。あそのこの難は建物が古い、キャンパーとしてそれほど感じないが初めての人にはどうだろう。それに合わせてH兄の建物の設備や保守管理は大変ではないだろうかといつも思うと同時に彼でなければとの感をして帰ってきた。

2012年5月21日月曜日

生き物に学ぶ

何時ごろだったか忘れたがTVでシャープの新しい扇風機をレポートしていた。従来の羽根と違ってこの扇風機は羽根に特徴がある。設計者の方がこの羽根のヒントを"アサギマダラ蝶"の羽の形状を模した羽根を採用している。ムラを抑えて広がりがあり、かつ滑らかな風を生み出すことができるよう改良されているのが特徴だそうだ。

同じシャープで発売している掃除機の「EC-WX300」も、ネコの舌をヒントにした細工が施されているそうだ。「ネコの舌はギザギザがたくさんついており,これが自分の体を舐めるときにブラシの変わりとなり、抜け毛を集めるようになっている。そういえばネコはよく自分の体を舐めているのを見かける。これをヒントに、ゴミを小さく圧縮することが出来き、ゴミを捨てたときもゴミが飛び散らないので、周りを汚す心配がない」。ということらしい。


自然の生き物をヒントに製品化しているものがモットあるようなので調べたら「ヤモリの指から不思議なテープ」という本を図書館から借りて読んでいる。


痛くない注射のヒントは蚊で、蚊の針が不思議な構造になっているのに驚く、これはどこかのTVでやっていた。ベンツが商品化はされなかったがバイオニックカー(生物に学んだ車)として試作車を作ったのはハコフグをヒントに作った。強度的にも空気の流れにおいてもいいそうだ。新幹線のパンダグラフはふくろうの羽からヒントを得て、電車の先頭部はカワセミのくちばしがヒントで、設計者の仲津英治さんのことばとして、


「このプロジェクトに取り組み始めた時、私は、『これは空気との戦いだ!』と奮起しました。けれど、フクロウの羽にヒントを貰ったり、カワセミの飛び込みに感心したりするうちに、その考えは変わりました。自然は勝負する相手ではなく、自然から学ばせてもらうことが解決につながることが分かってきたのです。」


自然を征服するのではなく学ぶ、人が失ってきたものではないのかなと思わされる。「長い時をかけて進化した」のことばに賛成できないが、しかし学ぶというのは謙虚でなければできない。人が失ったもののひとつでもあるような気がする。獰猛な動物でもお腹がいっぱいになればもうそれ以上に餌としての動物を追いかけないと聞く、動物はその辺のところを弁えているが人はその弁えがない。
前にも書いたが自主的、主体的に生きるということはいいように見えるがこれが曲者である。植物を相手にしていると主体的ではなく客体的に相手に合わせて生きなければならない。これも難しいことだ。



gen 1:11
神が、「地は植物、種を生じる草、種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ果樹を地の上に芽生えさせよ。」と仰せられると、そのようになった。


2012年5月16日水曜日

おひさまファーム 3

3回目の研修、今回はキャベツ、レタス、ブロッコリー、それにアフリカンマリーゴールドという花を7箇所に植えた。これは地中にあるセンチュウを殺す作用があるのでそれに影響を受ける野菜の畝の脇に植える。今回のはそうらしい。

今回は種から出なく、苗からである。化学肥料と、堆肥(これやったかな?)畝に撒き耕す。その上に黒マルチ(ビニールシート)を被せ、そこに穴を開けて水をやりながら苗を植えていく、レタスは短い間隔で二つは少し広げて植える。穴を掘ったとき土は手前で反対側に藁を敷く、最後に手前も藁を敷いてトンネル支柱を指してその上に防虫ネットを張る。なんとなく形になってくる感じである。

小松菜、ほうれん草の不織布をはずし少し間引く。これから水をやりながら隙間が出来るほどに間引いていくのだそうだ。その間引いたところに追肥、土寄せをする。ほうれん草は虫が食わないが小松菜は食われるので元気丸を水をやった後で吹き付ける。ジャガイモの葉も出てきたが穴だらけこれにも吹き付ける。今朝気持ちなしかきれいになっていた。

丁寧に教えてくれるが丁寧すぎて次々と忘れていく、実習がなかったら1/3も覚えられないだろうな。職員の方も回りながら教えたり、作業を手伝ってくれるからありがたい。云われたことをやることは簡単だが(それでも間違っている)これから虫がついたら元気丸(自分で作らないといけない)をどの程度に撒くかとか色々状況に応じて対応していかないといけないから結構面倒。段々やることも覚えることも増えていくから大変そうだが野菜が成長しているのを見ているのは楽しい。まだそれほど間引いていないがこれから間引いたのを食べるようになるとどんな味がするかな。まぁあまり変わらないだろうがそれでも楽しみである。これからきゅうり、トマトもある。しかし皆順調に育つとは限らない。駄目なら補充してくれるみたいだが自分でやるとなるとそれでおしまい。生き物相手はこういうことがある。そんなことを通して教えられるものがあったらそれはそれで感謝なことである。

2012年5月12日土曜日

時代の流れ?

世界のトップ企業として話題になっている韓国のサムスンや中国のハイアールが話題になっている。負けず劣らず日本のメーカーも話題になっている。しかし、片や成長、片や大赤字、時代の流れなのだろうか。日本の花形産業の家電メーカーの凋落ぶりは目を覆うばかりである。この時代の流れの中で回復する力を持っているのだろうか。

私が就職した頃は右肩上がりの経済成長期に入りかけた時期だった。2-30年前(?)の中国のようだったかもしれない。就職した会社は、社長が伊豆の出身なので殆どが伊豆の出身だった。それがサルが就職する2年位前から東北地方からもと採り出したのである。当時は「金の卵」ともてはやされたがそれはマスコミのことばだけの話。会社の下請けの会社は、連ドラの『梅子せんせい」の片岡鶴太郎親子とダブル(少しマシかな)、そんな時代だったのである。

ラジオやアンプを組むために秋葉原に良く通った。あそこに行けば何でもそろっていた。(それが高じてTVの修理をやるようになったのである) 又聞きだけど、その頃からPXで日本製のアンプなどが売られて、彼らがアメリカに持ち帰ったのが評判になって、日本に来た軍人?たちが秋葉原に買いに来た。その中に電音というメーカーがあって、英字で「DENON」日本流に読むと「デンオン」とと読むがアメリカ人は違う。秋葉原に来て「デノン」のアンプをくれと云ってきたそうだが店員はそんなメーカーはないと断ったとかそんなことを聞いたことがある。家電関係はこれからだったが音響関係は既にアメリカで評判になっていたようである。前後して、当時のスピーカーメーカーのパイオニア、無線のコイルのトリオ(ケンウッド)、トランスメーカーの山水が、それまでビクターやコロンビアの一体型のステレオからスピカーが分離した本格的なステレオを売り出すようになった。


前後するが東京通信工業が東通工となり、ソニーとなっていった。品川の御殿山の上にあって、当時の会社は今新幹線が走っている脇の高台だったから直線距離にして2キロ弱くらいだと思うが2階建ての(木造?)の上に会社の看板が見えた。あの小さな会社が世界のソニーになっていった。井深さんの本にトランジスターの製造をするようになったこと、それによってトランジスターラジオが生まれたこと、そのラジオがアメリカでそれほど評判にならずがっかりしてヨーロッパで評判になったこと、もう本は処分したのでアメリカとヨーロッパが逆になっているかもしれない。私が家電の関係するようになった頃はリール式のテープレコーダーが一番人気があった。当時の会社を辞めて数年たってから大崎駅界隈を歩いて、駅前の明電舎の工場がソニーの看板に変わっていた。

パナソニックもフィリップスと技術提携して大きくなったといわれている。今、シェバーはフィリップスを使っているがシェバーもナショナルのはフィリシェーブといって刃は同じものだったと思う。今も古いのを息子は使っている。これを使えなくなったのかブラウンのような横型になったので止めたのである。TV修理している時、ビクター共、フィリップスの真空管だったから他のメーカーと違っていて苦労したことがある。それは一本の真空管の中に二つの真空管が入っているようになっているので回路が複雑に見えた。基本的には変わらないのであるが。

20年から前だったか韓国の鉄鋼メーカーのポスコから来られた兄弟が日本勤務で同じ集会に集っていた時にポスコが粗鋼生産で世界一であることを知った。その頃は韓国製のTVは秋葉原の何でもショップのような安売り店でしか扱っていなかった。見向きもされなかったのである。今はサムスンなんか日本のメーカーを大きく凌いでいる。まさに隔世の感がある。

ps:49:20
人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。

2012年5月10日木曜日

アナクリノ

東京の郊外にあるA集会からいつも月報を送っていただいている。今回は厚い封筒なので何が入っているのだろう。キャンプの案内にしては厚いし、それにもうキャンプは終わったしと開封したらプリントが入っていた。「アナクリノ」第3号、兄弟たちが学んだ中から今回は「聖書」がテーマだった。何時も外部からふたりの兄弟も加わっている。アンチ神学?の群れであるから神学校を出ていたり、ギリシャ語からなんていうものは即アレルギーではないのかなと思っている。残念ながらその流れの中にいる者ではないのではっきりしたことは云えないがあるブログにこんな様なことが書かれていた。

他の教派・群れではともかく、(・・・)の周囲では、「これについて、学んでください」「これについて、学びます」とテーマを決めて、提示されることは少ない。
 そういうわけで、主に、時間と場所と語り手の情報のみで、連絡は回る。内容・主題については、そのときにならないとわからない

 ただそれは、「聖霊の導き」と「祈り」と、それによる「みことば(=聖書のことば)」を重んじているからであり、行き当たりばったりなのではない、と添えておく」 

これもキリスト者の一つの姿でもある。

「アナクリノ」は1号誌に説明されていたように記憶しているが残念ながらそれを紛失してしまった。しかし、アナ-繰り返し、クリーノ-探求する、研究するとある。それに巻頭言に、
「・・・私たちが、『キリストの日には純真で非難されるところがなく、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者』となっていくためには、教えられてきたことを前提にみことばを解釈するのではなく、前提なしでみことば読み、みことばの教える真理を確認していく必要があるのではないでしょうか。殆どの集会では当然と思われるているにもかかわらず、実際にはみことばの教える真理というより、集会の伝統として受け継がれていることが数多くあります。・・・みことばにたとえ根拠があるにしても、解釈によっては違う読み方も可能ではないか、或いはみことばに示されているというよりも伝統として受け継がれててきていることなどとに区別していくべきだと考えてきました。・・・」(前後略)。

「ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。」acts 17:11


ベレヤの信者のような姿勢が見えるからうれしい。しかし、巻頭言のことばは良くわかり、実際経験しているから指摘されていることにも頷ける。神学的なものもあるようでサルのような者には難しい部分もある。集会間には水と油ように交じり合うことのない部分もあることは承知している。どちらにしても人間のやっていること、完全であるはずがない。あると言ったら、それは神に代わるものであろう。そこまでいくと僭越である。対極にあるものを見るができればサルのような無学な者にでも良くわかるように説明されたら感謝である。それは無理か。霊的であることよりも、神学的であることよりも愛からくる謙遜が土台に、サルには分からなくともこれからの諸集会のために期待している。

2012年5月9日水曜日

朝ごとに

シロクマさんのブログにスポルジョンの「朝ごとに」からの引用が幾つかあったので懐かしくなり、本棚から茶色に変色した本を取り出してパラパラとめくって読み出したら、今でも心にジンワリと来るので最近は朝のデボーションに使っている。「夕ごとに」もあるのだが夜はぎりぎりまで起きているのであまり使っていない。

手にしているのは、昭和34年初版、44年の11版である。定価600円、あの当時高かったのかどうか忘れたが独身の時に買っている。何回使ったか、もう記憶にはないが、こちらに来る時に捨てれないで持ってきた本だった。今もいのちのことば社から出版されているようだから古典といってもいいのだろう。念のため捨てられないで持ってきた本が何冊かある。40年出版の「ケズィック選集」(350円~550円)、「祈りによる力」(250円)、それに図書刊行会からのでは39年、40年のでモルガンの「キリストの危機」、「コリント人への手紙」やテニイの「ガラテヤ人への手紙」、「ヨハネによる福音書」があり、ブルースの「使徒行伝」、これはカバーがボロボロになっている。でも注解書はあまり利用していなかった。これらも古典に入るのだろうか。

時代と共に廃れていく中で、廃れることなく今も生き生きとキリスト者に語りかけてくる。それに信仰生活が長いだけで聖書の知識もなく、信仰も足踏み状態のようなサルにでも語りかけてくる言葉が伝わってくるということは、如何に噛み砕かれたものであるかがわかる。それに学者でありながら信仰の真摯さが今日の読者にも訴えてくるのだろうなと思った。コメントナシ、ただ読ませて頂くだけの者でありますが黙2:5を教えられました。他の事でも然りです。シ・ロ・ク・マさんありがとうございます。

2012年5月4日金曜日

聖書の中のたとえ話

今度の日曜日は短いメッセージをする。準備する中で思ったことは、暗誦聖句は苦手だが信仰生活が長くなると聖書の言葉や信仰のありようがパターン化しているのを教えられる。神学とかそういう類に疎く、またそのようなものを避けているグループに属しているからなおのことである。だからこそ色々なものがパターン化しているのかなとも思ったりもする。だからKJGというブログを読ませていただいて、疑問に思っていたことに答えてくれているように思っているがその先が今一理解できない。多分パターン化した信仰なり聖書理解の所為だと思っている。

「わが故郷、天にあらず」を大分前に買って今読んでいる。以前ならすぐ読み終えるのに読み始めて大分経つのにまだ半分しか読んでいない。家内がタイトルを見て、大丈夫なのといってきた。サブタイトルが「この世で創造的に生きる」なんて読めば、世を愛するように捉えるのがわが集まりの悲しい性である。昔、ある集会(そこはちょっとカタイ)の姉妹が集会では地味な格好で行くけど普段はファッションを楽しむようなことを言っていたのを思い出す。あれから四半世紀以上経っているから大分変わったと思うが。でもその流れの中にいるのには変わらないだろう。世は世なのである。

本の中で著者は、「なぜ休めないのか」の章の中で放蕩息子のたとえ話(ルカ15:11-32)とぶどう園の主人と雇い人のたとえ話(マタイ20:1-16)のことを引用している。現実の問題として兄の立場や朝早くから働いた雇い人に理解を示しながらも、そのことによっては神に受け入れられないものであることを書いている。神の恵みは努力によってではなく神の恵みによって与えられるものであり、ある意味でグータラであることが神の恵みなり愛を知ることができるのかなと思った。勤勉であるということは、人に何かと要求するものがあるように思った。牧師制を取ってないから集会の責任者は忙しくしている。立場上忙しくせざるを得ないことは分かる。しかし、このような観点から見ると信仰に熱心であるように見えるが実は不信仰ではなかろうかなとふっと思った。もちろん批判としてではなく、委ねるということは神のみに非ず、他の信者に委ねるということを避けている。勤勉であることは兄の立場であり,朝から働いている人の立場である。そこから祝福はないはずだ。勤勉は信仰も集会も硬直させる危険性を持っているように見えた。原発の問題と同じで本質はスポイルされて現実に立って物事を処理しようとしているように見える。たとえ話は聖書の箇所として語れても現実を踏まえて何も語れないものであることを教えられた。


2012年5月2日水曜日

おひさまファーム 2

30日に2回目の講習を受けてきた。月曜日だったが祝日の所為か日曜日の方も参加していたようだった。それに子供さんもきていた家族もいて、黙々と、或いはしゃべりながら、それと他に・・・があって面白かった。一回目はジャガイモとほうれん草に小松菜、ほうれん草と小松菜は葉が出て、不織布で覆っているがそれを押し上げている。ジャガイモは地下15センチの中沈黙のままである。今回はニンジンとチンゲン菜にネギ、ニンジンとチンゲン菜は前回のほうれん草と小松菜と同じやり方で種を蒔いたが畝の恥を少し高めにするのが少し違っていた。今回は水を前回の物より必要としているので水撒きや雨が流れ出ないように畝を高くしている。微妙である。ネギはジャガイモより深く掘って、そこに寝かせて藁を敷くだけ、不安定なので少し土をかけて安定させる。藁むき出しであるがこのままほっといていいそうだ。微妙に違うのが面白い。

水をあげないと駄目になるがジャガイモは禁物、ジャガイモの中に全て必要なものがあるそうだ。そこでしっかり栄養を取って目は成長しているようである。ネギも然り、水を嫌うらしい。藁は通気性を良くするためとか微妙である。どちらにしても人はちょっと手を加えればいいこと、過剰と無関心は何事も駄目である。そのためには相手を良く知らないとと思いつつ、人に証しするときのぎこちなさは相手を知らない証拠、知っていても何が適切かが分かっていない。その点主は抜かりなく相手の必要なものが何かを知っていた。否、本人が自覚していないものを掘り起こして自覚させている。爪の垢を煎じて飲みたいものである。

2012年4月30日月曜日

やまびこスケートの森

岡谷で誇れる?一つに「やまびこスケートの森」がある。ここには国際公認のリンクが屋内と屋外の二つがあって(www.yamabiko.co.jp/)。屋外は国際スケートセンターといって、トレーニングセンターも併設されている。屋内は少し離れたところにあってアリーナと呼んでいる。ここは年末年始と整備の期間を除いては無休のようである。夏に営業しているのは少ないようで関西はもちろんのこと九州などから大学生や社会人の合宿で使われているようだ。

実は二年前にロッジを借りて,聖書の勉強会をやった。いつもは十人にひり欠けるような集まりだから、東京からも来られて総勢二十数名からになった。どこかの集会の集まりかなと思わせるような感じだった。それだけではなかったのであるが・・・。その時は丁度整備の時で空いていて、その前後だったら予約が入って駄目だったと云われたので、主の働きを覚えて感謝した。それからBはナシ。

スケートには縁がないがそんなことで思い出のあるところでもある。実はそのアリーナで「岡谷アイスショー&発表会」なるものが29日の午後行われた。ここにあの村主章枝さんが出演されるというので家内が応募して抽選に当たったので同行することになった。沼津からも子供たちが来て滑ってくれた。スケート教室の生徒から未来を夢見る?卵たちに招待選手たちの滑りを観賞させてもらった。小さい子供たちは何かピアノの発表会のような雰囲気でほほえましかった。氷上を自由に滑っているのを見て感心すると共に身近に見るとスピード感のあるのに驚く、初めてのことだったが楽しいひと時を過ごすことが出来た。

2012年4月29日日曜日

ある言葉に

ネットで検索していてこのような言葉を見つけた。

「行動なきビジョンは夢にすぎない
ビジョンなき行動は時間の無駄
行動を伴うビジョンこそ世界を変えることができる」
ジョェル・アーサー・パーカー

「行動なきビジョンは夢にすぎない」の言葉を読んで、自分にあてはなるような気がしてはっとした。
あれこれと思い巡らし、能書きは言うがいざ行動となると腰が重い。もう暖かくなったがまだコタツを使っているのだからというのではないが「猫はコタツで丸くなる」派なのである。そして何かあるとペテロ現象になってパニクル。(それから、ふたりがイエスと別れようとしたとき、ペテロがイエスに言った。「先生。ここにいることは、すばらしいことです。私たちが三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」ペテロは何を言うべきかを知らなかったのである。)luke 9:33。まさにビジョンなき行動を起こしてしまう。物事を変え、人を変えるには自ら変わらないと駄目だなぁと思いながらもズルズルといたずらに時を過ごしてしまう。


高橋三郎先生の「十字架のことば」誌の中でボンヘッファーの言葉としてこのようなことが書かれてあった。
キリスト者の交わりについて
「キリスト者の交わりについて自分の夢を愛するものは、個人的には、正直で真面目で、犠牲的に生きようとしているかも知れぬけれども、結局のところ、キリスト者の交わりの破壊者になる。

「幻想あるいは理想は人を高慢にし、要求がましくするからだ。彼はキリスト者の交わりの中へ、要求する者として入り、自分自身の律法を立て、それによって兄弟を裁く。

彼は厳しい叱責者のように、冷然と兄弟の群れの中で存在する。そして彼は兄弟を非難するものとなり、ついには自暴自棄的な自己批判者となる。」

2、30年も前のことだが自戒の言葉としてメモってある。

2012年4月22日日曜日

短いのが特徴です


岡谷には「塩嶺御野立記念祭」という全国的に有名な祭りがある。岡谷市と塩尻市の境にある塩嶺峠(1012m)の脇にある塩嶺御野立公園の中にある。ここは「小鳥の森」としても有名らしい。5月と6月には小鳥バスが運行されている。この祭りはどこかのTVで日本一(世界一?)短い祭りとして放映されたらしい。


岡谷市塩尻市の両市長、議会関係者などの参加者たちが、明治天皇が訪問した記念碑の前に整列し、午前10時ちょうどに「一同、礼」の掛け声に合わせ一礼するだけで終わりになる(30秒間)。終了後は、両市の議会関係者の懇親会が開かれたりする。なお、参加できるのは両市の議会関係者などに限られており、市民も含めて一般の人は参加できず観覧するだけとなる。
記念碑は有志が1915年(大正4年)に建立、その年から記念祭が始まった。その後、昭和天皇が訪れたことにより、1948年(昭和23年)からは年2回、春と秋に開催されていて、春は岡谷市、秋は塩尻市が主催する。」(ウィキペデアより)
わが集会の礼拝も短い。10時半に始まって、11時に終わる。その後、30分前後兄弟がメッセージをし、報告があって12時には部屋を出る。ただそれだけなのである。いつも来てくださるM兄にメールしたら返事のメールの最後にまだ集会ですとあった。その時間は午後の9時過ぎ、集会の責任を負っている兄弟のよくある出来事である。これも問題がないわけではないが短いのもなぁと考えている。何かやればいいというものではないが。


2012年4月20日金曜日

おひさまファーム 余話

野菜つくりに挑戦?するに最初の説明では望ましい作業スタイルと作業上の注意があり、その中でゴム長は土を固めるから余り良くない。地下足袋がいいと言われたので買ったけれど最初の講習では地下足袋をはいているのはサル一人だけだった。研修農園を全部やるくらいならそれもよしとするが少し大げさかなと、みんなスニーカーのようなものをはいて一人だけゴム長だった。管理人さんの顔を立てて地下足袋でいくかゴム長にするかこれからの作業次第で考えようと思っている。

地下足袋と手袋は買ったが他は買ってないので塩尻のカインズホームまで足を伸ばして家内の帽子や手甲と足甲を買った。ついでにと少し足を伸ばして松本にある道の駅の一つである「いまい恵みの里」で野菜などを買う。野菜は新鮮だし山芋も安いのだが、今は旬のものが少ない所為もあるのか前ほど魅力がないように感じた。それでもまた塩尻あたりまで行ったら足を伸ばすだろう。松本の中心部に行っても行くかもしれない。

こちらに来て感じたことは、植物が寒さに対して弱いものはいっぺんにやられてしまう脆さと寒さに対して平気な植物のたくましさを感じた。人も非常に弱い部分とたくましい部分がある。生き物に共通するものかもしれない。説明の中にも毎朝水をやることを言われ、これからも野菜が成長するにつれてそれぞれに対応していかなければならないことを云われると思う。早々のことであるが種を蒔いた翌日、午後から雨の予報だったから水をやるのをパスしたら雨は殆ど降らず翌日水をやりに行ったらひときわ土が乾いていた。どうなるか心配というか楽しみというかまぁ何事も失敗をして人は学んでいくものであるからそれも可なりと思っている。いのち持つものの弱さと強さ、それに合わせて人は動かないといけないことを教えられる。今までサルは自分の好きなような形で生きてきて相手に合わせることは少なかったように思う。人は主体的に生き過ぎるというか罪の結果の一つの形かもしれない。病人や罪人といわれている人たちの中に入っていったイエス様、ご自分に人々を合わせようとはなさらず父の御心に合わせて十字架へと歩まれたイエス様を想う。真似の出来ることではないが研修農園で野菜にあわせる訓練が出来れば感謝である。

2012年4月18日水曜日

おひさまファーム

月曜日に市の研修農園「おひさまファーム」の最初の講習を受けてきた。研修農園とあるとちょっと物々しいが家庭菜園的な30㎡の3mの畝が8つの小さなものである。それでも30種類からの野菜を作る予定とのこと、来年は応募できないので講習を受けた人たちに、2年契約で別な50㎡の土地を用意してくれている。

市の担当職員も来ていて、管理人さんの丁寧な説明があり、ジャガイモが一畝、ほうれん草と小松菜で一畝、教わった手順で15X15の深さと幅の穴を掘り、そこにジャガイモの種をおく、一個は半分に切ったのを陰干ししたものと後三個は切り口に草木灰をつけたものとを植える。といっても種芋を切り口を下にしておくだけであるが。芋と芋の間に肥料を置く、牛糞、鶏糞、化学肥料を混ぜたものだが種芋にかからないように置かないと芋が腐るといわれて慎重にやる。

隣の畝では、ほうれん草と小松の種を植える。畝の上にいぼ棒を押し当てて少し筋をつけて、そのへこんだところに種をまく、ほうれん草の種は大きいが小松菜は小さいので太い指ではやりづらいのでそこは家内がやる。土をかぶせて、かぶせた土を軽く押して中の空気を出すのがコツ、これが大切なことなのだそうだ。その上に不織布をかぶせて、両サイドの4箇所を留めて、如雨露で水をやって終わり。毎日朝、水をやらなければならない。これを怠ると芽が出ないか芽が出ても育ちが悪いとか。最後に次回のために施肥を施して終わり、これも土を酸性からアルカリ性にするためとか野菜によって色々である。

ジャガイモは半分に切って、切り口に草木灰や陰干しすることは知っていたがこれは春の植え付けで秋というか夏にやるのは1個そのままでやることを初めて知った。肥料の作り方とか虫除け剤の作り方、連作や野菜によって肥料のやり方が違うので結構面倒くさい。畑を起こし肥料をやって種をまく、単純な作業のように見えるが実際は奥が深い?それと自然との付き合いだから相手に合わせなくてはならない。これも忍耐がいるかもしれない。色々作る中で面白くなるか面倒になるかこれからが楽しみである。

畝が出来ており、種も材料もそろえてあるからやることはごく一部分である。自分で実際やるとなると一からやらないといけない。それに道具も用意しないといけないし、これから興味が湧いてくることを期待したい。シニアのキャンプで神戸からか来た兄弟がリタイヤして農業をやっているとお日様が出ても良い天気、雲ってもよい天気、雨が降っても良い天気といわれたことが印象に残っていて、それをこれから経験するかもしれない。昨日の朝は水をやらないといけなかったが予報は午後から雨とのことでパスしたらほんとのパラで終わってしまった。今朝行ったら渇いた土になっていて、如雨露でたっぷり水をやった。芽が出るまで楽しみである。

2012年4月14日土曜日

最近の日々

市の研修農園「おひさまファーム」に家内が応募したら受かって、11月まで色々な野菜の作ることになった。義姉やその友達も受かり、月二回で日曜と月曜の講習だが月曜の午前中に受けることになった。農家に生まれながら田植えや稲刈りはやったことはあっても作る方は子供だったから全く無い、それに興味も無かった。家内も腰を痛めているのに作りたいというし、私もまんざらでもない。炎天下は大変みたいだが楽しみでもある。早速地下足袋と手袋を買う。後は最初の講習を受けてからである。

隠居屋に隣接している畑の持ち主から杉の木を伐るように云われていたのを先日ようやく業者に伐ってもらった。昨年に頼んでいたのだが年が明けてからと云われてようやく伐ってもらった。光かケーブルTV用かのケーブルがスレスレまで延びていたので一安心である。その時、前に伐ってあった木を持っていってもらえたので、そこにさらに前に伐ってあった腐りかけた木を片付けて少しすっきりする。近所のオジサン?が来て、畑が作れるじゃないと云われたがそんな気はない。それでも新しい枝が山のようになっているのを少し整理する。イチョウの木は清掃工場にもっていくが杉は雑草が生えないようにひろげて置くことにした。イチョウの葉はすぐ枯れるが杉の葉は結構持つから膝辺りまで伸びる雑草にはてき面である。庭にふきのとうが生えていると思ったがどうも根が大きいので違うみたいだ。今度とって来て家内に見てもらおう。田舎にいたときは子供だったが山菜やきのことかを採るのが好きでよくやった。そのときは迷うことなく取れたのに今はどれが良いものか悪いものかがわからない。或いは昔は種類が少なかったのかもしれない。それでもきのこなどは迷わなかったなぁ。

東京ではいつも寝るのが12時を過ぎてからだったから、こちらに来て8時くらいになると真っ暗になるのに驚いた。それでもコンビニは勿論のこと近くの西友は24時間営業であるから明るい。こんな田舎にと思うがそれでもパラパラとお客が来ている。シニアなどのキャンプで軽井沢に行くと帰りは夜中だから途中にある望月の西友は食品売り場だけ明かりがついている。道路挟んでコンビニがあるから閉めたらと思うがこちらもお客はパラパラではあるがひっきりなしに来ている。そんな中でも早く寝ることは無く、相変わらず12時過ぎである。むしろ2時3時になるときが多々ある。3時だとパン屋で働いているO兄は起きる頃である。TVは午前中は観なくて、昼に朝ドラを観て、4時にはお茶タイムでコーヒーとお菓子をつまんで「水戸黄門」を観ている。それからニュースを観て、天気予報が終わって家内は夕食の準備に入り、サルはパソコンのブログを読んだり、本を読んだりして夕食、片付けは家内が親指の関節を痛めているのでサルがやる。それが終わるのは9時前後それから12時過ぎまでTV、〆は東京の12CH のWBSとその後のネオスポかフジのスポーツを観て就寝。家内はスポーツニュースを必ず観るがサルは阪神が勝っている試合は見るがそうでなければあまり興味が無い。それにアンチ○○だから負けたら観ていたが今年は阪神が強いので余りその意識はない。あそこは選手は好きなのだがどうも会社が好きになれない。

TVも観ていないようで結構観ている。5-6時間かなと思っていたが6-7時間観ている。最近は、BSの13時からの映画とかNHKの夜中の再放送とか観ているからさらにである。この間も隠居屋の枝の片付けにと作業着を着たのだが13時のBSでジョン・ウィンのをやっていたのでつい観てしまって片付けはパス。昨夜というか日が変わっているから今日か?ハリソン・フォードが出ているのでつい観てしまった。若いハリソンしか知らないから老けてしまったハリソンにはピンと来なかったが面白かった。

少し前にはNHKスペシャルの再放送を観てしまった。原発と震災で被害を被った浪江町を取材した番組なのでつい観てしまった。前にも書いたがある大臣が死の街発言で辞職したけど人の住めない町は死の街でなくてなんなのだよと思う。日本人は真実を見ないで言葉で誤魔化す。首相が不退転の決意や身体を賭してやると言っても何の説得力も無い。あなたは辞めても安泰であるが彼らは子々孫々まで苦しまなければならない。そこまで目も心も行きますかと尋ねたい。結果は国民が被るのである。そのような事で臨むなら、後世に残るような仕事をしてほしい。住民が苦しみ悩んでいるというのに何の解決策や行動をしていないのに原発再開には驚くというよりあきれてしまった。まぁ絡んだ糸のように物事はそう簡単にいかないことは分かっているがそれにしても誰でもわかるような利害のはっきりした行動をとるなぁと感心する。立川談志の師匠の小さんだったか政治家になるには黒を白と云えなければ駄目だと云っていたが彼らを見るとまさにそうだと思わされる。人が真似のできることではないからそういう意味で敬服する。大勢に目を向けて弱者に目をつぶる政治だったら誰でもできる。現代の田中正造は何処に・・・。

2012年4月12日木曜日

福音





――この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、
御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、
聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです(rom 1: 2-4)。

聖書に出てくる「罪」とか「福音」は素人では一言で表現できない。精々「罪」は「的をはず」とかすべての人が罪の下にある」(rom: 3: 9)ので、具体的には律法を通して「しかし、罪はこの戒めによって機会を捕え、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました(rom 7: 8)とあるように「私たちをとりこにする」くらいの知識しかない。しかし、イエス・キリストが罪を裁くためにこられたというときに、俗にいう原罪に関するものなのだろうに、どこか罪の結果に対して、十字架にかかられたような感じを受けることが多い。キリスト者でもサルのような者は違った捉え方をする危険性はあるなぁと思っている。

「福音」も然りである。「良い知らせ」と言われればよく分かる。しかし、じゃぁ何に対してよい知らせなのか?と問われれば、これも裁きに会わずに天国に行けるくらいの認識しかない。どこかご利益的である。神の栄光とか神の主権とか言葉で言ってもピンとこない。隔靴掻痒のごとくに聖書は分かったようで分からない。素人には難しいがそれでも信じて歩んでいく、他に道が無いから。

2012年4月7日土曜日

イースター

HPでイスラエル大使館のカレンダーを見たら7日から14日までペサハ(過越祭)である。正確にいうと6日の日没から14日の日没前までになるのかな?イースターは8日、イースターの決め方も「春分の日の後の最初の満月からの日曜日」だそうだ。念のため何時が満月か東京天文台のHPを見たら7日になっていた。

イエス・キリストの誕生を祝うクリスマスは、信仰を持つ前も後も何となく好きではなかった。それにはこんな理由もある。「クリスマスの起源として、ローマの農耕神サトゥルヌスのための祝祭(サートゥルナーリア)を挙げる説がある。また、ローマ帝国時代のミトラ教の信者は、冬至に太陽神の誕生を大々的に祝ったとされ、この習慣をキリスト教が吸収したともいわれる。エホバの証人は、クリスマスの起源がこのような古代の異教の祭りにあることを主な理由として、クリスマスを祝わない宗派として知られている。」(ウィキペディアより)イースターエッグとか子供たちへの伝道にはいいのかもしれないがどこか異教的なような気がする。逆手にとって宣教のためなら何でもかんでも利用するという手も無いことはないだろうなと思う。サルは骨がないから正統は難しい。やれば異教的か硬直化したものになるだろう。硬直化は今までの信仰そのものだから特別のものではない。異教的にやるほどの勇気もない。その反動でもある。エホバの証人がこんなことで祝わないなんて初めて知った。これに関しては正統的教会は異端的であるのかなぁなんて考えている。当然のように祝っているけどその起源までさかのぼるとどうなんだろうなと思う。逆に諸集会は「ブラザレンの諸断章」さんのブログを読むまでも無く、聖書に立脚していると自負する割には徹底していないのかなと思ったりもする。表面的知識で判断して申し訳ないが批判としてではなく。

その点、イースターはイエス様と弟子たちとの最後の食事は過ぎ越しの食事であり、その後弟子たちの足を洗い、ユダの裏切りで逮捕される。翌日尋問され、十字架を負わされて、十字架の死と埋葬がある。復活は週の初めとあるから日曜日である。イースターは大体ペサハの期間中にある(09年から13年をみて)。十字架の前での弟子たちの足を洗うことや、十字架上での短い言葉の中にいくつかのことが示唆している(どこかに泉が湧くように)。

これからのイエス様も素晴らしいけどすべての集大成?のような十字架と復活のほうが好きである。好みの問題ではないがより身近に感じる。『ピリポを見つけて「わたしに従って来なさい。」と言われた。』(john: 1:43)。キリスト者は主体的に生きているようで、実は主に見つけられ、従う者とされた。従うとは自己放棄なんだけど、自分がしっかり生きているのがサルなのである。こんな主に応答できるキリスト者でありたい。(無理だろうな)


1cor 15: 3-5
私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、
また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。










2012年3月31日土曜日

愛は隣人を作り、罪は敵を作る

アーネスト・ゴードンの「クワイ河収容所」を読んでいて、後半の方に彼らが日本の負傷兵に水筒から水をあげ、食料と傷口を拭いてあげたことが書いている。それを見た他の俘虜収容所から来た将校との会話を読みながらタイトルのことばを思いついた。

愛は隣人を作り、決して敵は作れない。その行動は非常識である。そして罪(人)は敵を作って、争わなければならない。それは、ごく常識的な行動なのである。 松鶴家千とせ流でいくと「わかんねぃーだろうな」

2012年3月26日月曜日

死後の備えあり、老後の備えなし

そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。matt 6:31-33

先日亡くなられたMさんも参加していたシニアの集まりに参加してきた。そのときにふっとこんなタイトルを思いつく、まさにタイトル通りなのである。聖書のことばもいつも頭にありながら大切なものを脇においている自覚があるので自戒をこめて、ただそれだけのことではあるが。

2012年3月19日月曜日

ある聖句に



あなたは、恵み深い者には、恵み深く、全き者には、全くあられ、
きよい者には、きよく、曲がった者には、ねじ曲げる方。詩18:25-26


このことばは、若い時にある伝道者の方がメッセージの中で引用されたことばであった。もう、うろ覚えであるがこのことばの通りのようなことを言われたと記憶している。余り性格が良くなかったので最後のことばが印象に残って今日に至っている。ある時サルが「俺は屈折しているからなぁ」と何かの話の中で言ったら大学生であったS兄がすかさず「言われなくても分かってますよ」と言いい、互いに笑いあったことがあった。年の差はあったが割りと率直に話合える兄弟だった。そういう意味で自他共に認める性格なのである。それ以来ではないが人の性格を判断する聖書のことばと冗談半分に適用している。聖書のことばをそこまでやるかといわれそうだがそれには余り気にしていない。サルにとって聖書のことばはそのまま聖書のことばなのである。ちなみに全く同じことばがサムエル記Ⅱ22:26-27にある。引照には載っていないが。



2012年3月18日日曜日

葬式で

こちらに来て二度目の葬式である。キリスト教関係の葬式がほとんどで一般のはリタイアしてからはなかった。それだけキリスト者以外の交流が少なかったかあるいは殆どなかったということだ。考えて見れば楽な選択をしていたような気がする。

小さいか大きいかは分からないが一つ一つのことで教えられたり考えさせられたりしている。今回の葬式は受付だけで本葬には出なかったがそれでも思い巡らすことがあった。キリスト教では死はこの地上の労苦を解かれて永遠へのスタートであるから未来がある。しかし時には伝道という意味合いが強くて遺族に対する配慮が欠けているようなことを感じる時がある。ある意味でキリスト教の価値観を押し付けている感もないではない。唯一であれば絶対であり、絶対は「他」はない。これが謙虚さから出てくればよいのだがどこか傲慢さが見え隠れする。勿論本人はそんな意識はないのだろうがルカ伝18章にあるパリサイ人の祈りの姿とダブルのである。どのような形にしろ悲しみは悲しみとして共有できなかったらと思う。

仏教の葬式を見ていると家族には大きな悲しみがあることはわかるがどこかセレモニー的である。別離は悲しいが極楽に生けるならその希望があるはずであるのにそれがない。極楽ってほんとにあると信じているのだろうか。お経を読んでどうなるのか説明がない。勿論仏教の批判でなく素朴な疑問だけである。つどいの会では二月に写経があったから参加してお坊さんの講和を聞けたら少しは仏教のことが分かったかもしれない。今は手紙もパソコンで書いているほどに字が下手なのである。自分の書いた字が読めないときが多々あるようなすごい字だから心落ち着けて写経なんで逆立ちしてもできない。



2012年3月12日月曜日

1月、2月、3月と

10日の土曜日につどいの会のOさんからMさんが亡くなられたことでお電話がった。実践塾で同じ1班でといっても腰痛で大分休んでいた時に二人入っていたひとりで二人は他の塾生とシニアでいっしょだったようだ。優しくユーモアのある方で、シニア卒でもなく、よそ者であるサルに何かと声をかけてくれた。声をかけるのはサルだけではなくそのような方のようである。乳がんで手術したことは人づてに聞いており、日赤で術後者たちの集まりに集っていたようだった。一時不安そうな顔されていたことをふっと思い出す。それでも一月に会ったときはお元気そうで、お互い声を掛け合っていたのに正直驚いた。少し前にあった方も「元気」と声をかけたときは「まぁまぁ」といっていたその二日後に入院されて間もなく亡くなられる。12日の日曜日に会として弔問に行かれるとの事だったが丁度集会もあり、それに司会でもあったので行けないことを告げた。ちょっと顔を出すだけでとの事だったので、司会を他の人に頼んで行こうと決めてその旨を再度電話をして伝える。

つどいの会とシニアの同じ班の方々総勢20名ばかりになったが平服で手ぶらでとの事だったのでそのようにしたら喪服の方も居り、なおかつ香典(お見舞え)持参の方が結構いる。持って行かなかった方はどうも本葬に呼ばれている方なのかなと後で思った。普段は目に見えるような化粧はしていなかったが亡き顔を見たら濃い口紅にアイシャドーには驚いた。これが死に化粧というのを帰ってきて家内に教えられる。でも普段の顔の方が素敵だと思ったし、ちょっと異常な感じを受けた。それにお経を会の一人の方が唱えたのには驚いた。誰かも唱和していた。仏教も色々である。彼女へのお礼を加えてご主人と少し話をする。

1月にN姉、2月にはIさんがN姉のときは老衰だったからついにとの思いがあり、Iさんのときには朝に電話があってその日の夜に亡くなられた。丁度日曜日でもあったのでまごまごしてしまったが何が優先すべきを考えさせられた出来事だった。身近に覚えている人が亡くなるので、3月には誰か亡くなるのではないかなと不安になっていたことを思い出して、それが的中してショックである。4月も?


2012年3月9日金曜日

紫式部

紫式部は冬には小さな実をたくさんつけて枯れ木のようになっている。冬になるとこの実を食べに雀や名前は分からないがカケスより小さな鳥が食べに来る。今年は餌が豊富なのか雀も他の鳥もあまり見かけることが少ない。この間の雪の時は、さすが餌が探せなかったのかひっきりなしに鳥たちが来ていた。今は枝の先のとりづらいところを残して殆どない。

鳥たちの餌のとり方を見ていると面白い。すぐ枝に来ないで近くの高めのところに止まる。さらに近くの地面に降りて、廻りを警戒している。そして枝に止まり、実をついばみ始めるが一個つまんでは周りをきょろきょろと見回している。何かあるとすぐ逃げていく。カラスのようにとりあえず危害が加えなさそうな屋根の上とかに止まる様なことはなく遠くへ逃げていく。ガラス越しでカーテンを動かしただけでも逃げる。図々しいカラスを少し見習ったらと思うほど臆病である。

それと2.3メートル離れたカーテンを動いただけで逃げるということはあんな小さな目でよく見えるということだ。昨年に病院で視力検査をした時、検査をしていた看護師?さんから運転している時も眼鏡かけた方がいいですよといわれた。勿論老眼である。パソコンでは一番弱い老眼を使っている。テレビはさらに弱い遠近で見るとはっきり見える。文庫本などはさらにどの強いのでないとダメである。パソコン、本を読むのに普通の活字と小さな活字の時にと使い分けて三つ使っている。それに拡大鏡とまことに不便である。そんな自分を見ていると彼らが実にうらやましい。眼鏡ナシで物を見、本を読めて、さらに遠くまで見える鳥がうらやましい。しかし、一個つまんではきょろきょろはしなければならない臆病さはちょっとかわいそうだが。今のままでも人の心を読めたら言うことないのだが。

2012年3月2日金曜日

共感をもって

上沼先生の「ウイクリー瞑想」で久しぶりにご自分の教会に集われた感想が書かれていた。牧師夫妻がサンフランシスコ近辺から毎週2時間もかけて来るという。(サルが集う集会にも月に一回東京から2時間かけてM伝道者が来て下さる)。

以前、小嶋牧師のブログをコピーして載せて、それに感じたことを書いたら小嶋牧師からコメントされたことがあった。(コメントしないことにというよりできないのでそのまんま失礼している)。上沼先生のも失礼して大半をコピーさせてもらう。


ウイクリー瞑想「うーん教会!!」


・・・

教会のある山のなかは、ある部分はサクラメントのベットタウン
で、そのような人たちが住んでいます。ある部分はヒッピーの生き
残りとか、ベトナム戦争の帰還兵が住んでいると言われます。いず
れサンフランシスコ湾に流れ込む二つの支流の分水嶺の上に隔離さ
れた感じの町です。皆それぞれ何か曰くがあってこの山の町に住ん
でいる感じです。人生の大きな傷が大きな自然のなかで静かに癒さ
れることをじっと待っているようです。その過去には触れないで、
時間が癒してくれることを待っているかのようです。

牧師夫婦はサンフランシスコ近辺に住んでいます。2時間は
かけて毎週説教に来ています。そういう状況であるという上でさら
に牧師として招聘したのです。それだけの意味があると、何度か説
教を聞くうちに教会員が気づいたのです。今日はガラテヤ書5
章から、肉の思いと御霊の思いの相克について語りました。これは
自分のことですと前置きして語り出しました。身近な親戚の人たち
に対しての肉の思いに支配されていると言うのです。教会内にも人
間関係でぎくしゃくすることがあるようなのですが、自分の葛藤と
して、自分に対する試練として率直に語るのです。

その説教だけで、後は牧師が地元に住んでいなくても、いつも声
をかけてくれなくても、教会員が充分満たされていることが分かり
ます。その説教だけで養われるだけの準備をし、それだけの情熱を
かけていることが分かります。出席者はその一言も漏らさないよう
に耳を傾けるのです。しっかりと訴えるものがあります。

そのような説教に人びとが少しずつ反応をしてきているようで
す。長い間隠されていた傷がどこかで触れられてきているのでしょ
うか。こちらも遠慮して話しかけないこともあって分からないので
すが、それぞれが何か曰くがあって長く隠れて生活してきた人たち
が足を向けてきているかのようです。どこかで内側に長くおおって
いたもの、膿のように抱えていたものに触れられてきて、礼拝に足
を運んでいるかのようです。何か出来上がったというか、整ってい
る教会には居心地が悪くて参加できないような人たちが、少しずつ
顔を出してきているかのようです。この教会でなければとてもでは
ないが礼拝に参加できないと思われる人が徐々に集ってきています。

そのような人たちを、実はあのチャック・スミスの大きな教会の
夕べの聖書研究会でも見てきたことを思い出しました。男性たちの
なかには願ったわけでもなくて独り身になってしまったような人
が、そのことで裁かれるようなことがなく、礼拝堂での夕べの聖書
研究で聖書を開き、メッセージに耳を傾けているのです。ここでな
ければ自分はいられないという思いが何となしに伝わってきます。
そのような人はとてもいられそうもない整った教会を、アメリカで
も日本でも見ます。それなりに整っていて、居心地が良いのです
が、そこは、そのような整った人たちだけがいられる場なのです。

この山の町にもいくつか教会があります。私たちの教会は結構歴
史がありますが、今は2時間かけて通ってくるだけの牧師で
す。それでも説教を通して、今までどこにも行けなかったような人
たちが、何とか居場所を見つけることができる教会になってきてい
るようです。何かに惹かれるものがあって説教に耳を傾けに来てい
るようです。それだけの説教をしています。それだけで教会が動く
のです。それに応える人たちが、全く思いがけないところから起こ
されているかのようです。教会とは?!、と唸らされます。

上沼昌雄記


教会の様子が何となく伺え知れる。本当は「ここでなければ自分はいられないという思いが何となしに伝わってきます。そのような人はとてもいられそうもない整った教会を、アメリカでも日本でも見ます。それなりに整っていて、居心地が良いのですが、そこは、そのような整った人たちだけがいられる場なのです。」ここだけを引用させてもらおうと思っていたがもったいなくて殆どを引用というよりコピーさせてもらいました。

サルのような中途半端なキリスト者はとても共感が持てる。信仰を捨てていなくても集会に集いない人をたくさん知っている。かつてサルは追いやった側のひとりでもあるという傷を持っている。だからそうやって傷をもっている人が集える教会を見ることは非常にうれしい。諸集会にはそんな集まりがあるのだろうか。