2010年12月31日金曜日
この一年
「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。・・・
年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに始めて老いがくる。」
青春を歩むか老いて萎えていくのか二つに一つしかないのような気がする。否定的発想は頭も体も絶えず起きてくるからそれに眼をつぶり、前を見ていく姿勢は少しあったかなと思う。しかし、あらゆるものが老いていく中で来るべき年が同じようにもてるかはわからない。まぁどちらにしてもスタート地点に立たされた年であったような気がする。
それに付随してかキリスト者としても興味も価値観も少しずつ変化してきたのかなと思う。以前から持っていた価値観は色あせて見えるようになった。イエス様の地上の歩みを我が歩みと願うならペテロの晩年のようなものではないだろうか。「まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」john:21:18
ストレートでこのような経験はできないがそれに似たようなことはありえるだろうなと思う。そんなこんなの一年、駅伝ではないが今年は次につなげる年荷ったのかなと思う。その答えは来るべき年に答えはある。どんな答えか?
2010年12月30日木曜日
タウン紙で
学的なものはほとんど分からないが今読んでいる主人公もフランクルもユダヤ人である。ユダヤ人は自分たちを迫害した者も助けた者も執拗に探し出す姿を見てある種の恐れを抱くが、この二人は命の危険にさらされ、家族や親族を悲惨な死で亡くしていながら、憎しみはどこにあるのだろうと思うほど淡々としている。二人を見て結論するのはいけないかもしれないがユダヤ人の奥の深さを感じた。神に選ばれた民であり、世界の中心の民でもあることを何となく思う。
2010年12月29日水曜日
「通訳ダニエル・シュタイン」
何人かの人が登場し、その書簡のやり取りを書いているのでややこしいので読みづらかったが読み進んでいくうちに人のつながりや複線が見えてきた。キリスト教といえばプロテスタントであり、その視点からしか見ていなかった。しかし作者がロシア人のロシア正教徒、モデルはユダヤ人のカトリックの司祭であり、モデルの対極にあるようなロシア正教の司祭も登場する。舞台はキリスト教でも西方教会、東方教会の世界であり、同じキリスト教でも全く?違う世界なのである。
逆にプロテスタントの世界しか知らないということはある意味で狭いのかもしれない。二つとも異端として退けているが歴史のある二つの教会の持つ霊性はある面で優れたものがあるのではないだろうか、東方教会のことはほとんど分からないがカトリックには優れた霊性を持った人たちがいる。組織としては問題としてもそのような人たちを生み出したものを無視することは果たして正しいことだろうか。
前半はユダヤ人としてポーランドでの東西の狭間の中に生きてきて、修道院で匿われて信者となり司祭となる。戦後イスラエルでカルメル会の司祭として活動する。教会の教義を必ずしも踏襲していないような文面だ。本の裏表紙に書かれている「惜しみない愛情、寛容な共存の精神、そして祈り」を実践している。宗教を超えて接する人に愛情を示しているのを見ると、カトリックの教えから逸脱してくるだろうなと思う。逆に組織は教義に束縛されて硬直していのちを失う危険性を持っている。それが今日の宗教界かもしれない。
キリスト教でも違った世界だから最初違和感があったが読み進むうちに自分の知っているキリスト教の世界は狭いなぁと思った。そういう面で示唆されるものがあってよかった。本質的ではないが。
2010年12月26日日曜日
今年最後
こちらに来て3年目に入って、一年目は集会にも自分にも戸惑い。二年目は集会も自分も見えてきた。そして3年目に入って、集会や自分のビジョンが見えてきたような気がする。まだ点のようなものか方向を示されたのか定かではない。主の御心を求めてわが道を歩めるように祈ろう。すべてに感謝して…。
2010年12月25日土曜日
不安
2010年12月21日火曜日
いのちの誕生
そう言えば「きみは愛されるために生まれてきた」という歌が一時はやったことがあった。その時はそんなものくらいでしか思わなかったが今実感する。神様が創造したのは愛であるということもなんとなく分かる。いのちを生み出すとは愛の結果なんだろうなと思う。愛されるために生まれ、愛する対象を得た者の幸いを思う。そんなに愛せなかった子どもたちにごめん。「神は愛である」を改めて教えてくださった身近にいる親ばかのお父さんたちにありがとう。
2010年12月17日金曜日
民主乱ガイド
結婚したからといって、子どもは与えられるわけでもない。子どもが与えられても健康な子どもとは限らない。考えてみれば奇跡そのものなのである。長野県立子ども病院の院内学級の子どもたちと父兄が書いた『「電池が切れるまで」(副題子ども病院からのメッセージ)すずらんの会編』という本の最後のほうにお母さんが書いた詩が載っている。
「親の思い」
五体満足で育っている子どもを持つと
子どものいない人をうらやむことがある
切って縫って体にきずをもつ子どもをもつと
元気で普通の子どもをうらやましく思う
一生ハンディの残る子どもをもつと
一時の治療ですむ子どもをうらやましく思う
余命宣告されたり子どもの死んでしまった親は
ハンディが残ってでも生きている子どもをもつ親をうらやましく思う
子どもができない親は
生める親をうらやましく思う
腹のそこから大笑いしているそんな時もよいけれど
私は、いつも微笑んでいられる一日一日、瞬間瞬間を大切にしたい
考えてみれば、子どもをほしいと願いながらも与えられない人を見たら、中絶なんては簡単にできない。「命」を出来物の一つのように扱いば出来なくもないが、そうしたら「命」は物以下になってしまう。それでは神無しでも悲しい。命を与える神の前には?しかし、現実に行うことも心で行うことも神の前では同等であるかもしれない。
水谷さんのブログを引き合いに出したのは、タイトルにあるようにミシュランガイドをモジッて、今の民主党の有様を表現している。五つ星をモジッて五つ書いている。
1.前政権からの変化の乏しさ
2.ぶれだらけの一貫性のなさ
3.パフォーマンスに終始する仕分け
4.権力の二重構造と内部分裂
5.支持率の大暴落と政権放棄の危機
ただこれだけであればどうってことないがこれをクリスチャンに当てはめているのが絶妙なのである。耳が痛いことこの上ないが、考えさせられるコメントであることは間違いない。信じるとは天国行きの切符を手に入れることに主眼をおいて宣教するとこうなるよと警鐘しているようである。聖霊の働きとは聖書知識の深い洞察力だけでなく、自己変革、自己改革を求められているような気もする。ブログ名は「命と性の日記~日々是命、日々是性」
「もしドラ」を読んで
2010年12月13日月曜日
新しい旅たち
諸々のものが衰えていく中で、何か出来たらと思っても、何が出来るかわからない。ホイベスの詩ではないが「謙虚に人の世話になる」の謙虚は難しいが少なくとも「お世話に」なることは出来る。そんなことを考えていながら、父を越えた歳は私にとっては新しい旅立ちなのである。
考えてみると旅立ちは、人生に於いて絶えずあるのではないだろうかと思う。幼稚園、或いは保育園に始まって、学生から社会人になることや結婚、子育てと未知の経験に入っていくことすべてに言えるような気がする。そういう意味でこれからの私もそういうことが言える。
イエス様の降誕もある意味で、人々に新しい歩みを提供しているから、ある人にとっては新しい旅たちであるように思うがいかがだろう。三浦綾子さんは「私にはまだ死ぬという仕事がある」と言われたそうだ。ご主人の三浦光世さんが「死ぬという大切な仕事」という本も書いている。人はその死に至るまで絶えず新しい旅たちをしているような気がする。いのちにつながるか滅びにつながるかはあってもである。
2010年12月9日木曜日
クリスマスに思う
しかし、本来のクリスマスを伝えようとすると無関心である。日本人は本質をすり替える名人なのだろうか。たしかに日本の仏教は原始仏教と違ったものになって発展したと言われている。今はキリスト教はマイノリティだからいいが、信者が人口の10%、20%となるようになったら大分変質してくるかもしれない。質は脇において、そんな日本を想像もしてみたい。それには、ニーバーの祈りではないが「変えるべきことを変える勇気」が必要だろう。『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ。』(luke:7:34)とクリスチャンが言われる時が来たらこうなるかもしれない。そんな時には、クリスチャンは本質とそうでないものを見分ける霊の力が必要とされるであろう。もちろん今日もそうであるが。
イエス・キリストの降誕の記事はマタイとルカにしかない。マルコはバプテスマのヨハネの活動から始まっている。福音書の記者がイエス様のどれを書いて、どれを書かなかったかをみると面白い、彼らの視点が分かってくるようだ。三つ或いは四つの福音書が同じことを書いているとこれは大切なことなんだなぁと思う。独自のものはまたそれで趣があり、福音記者のメッセージが伝わってくるのである。
2010年12月8日水曜日
クリスマス会余話
2010年12月4日土曜日
クリスマス会
I姉妹のピアノ演奏とI兄の賛美歌の説明とM兄のメッセージという、クリスマスコンサート形式である。ピアノということで、結婚式場のチャペルを借りて行うことにした。結婚式場のチャペルで礼拝をやり、福音を語り、コンサートをやる。チャペルが本来の働きをこの小さいな集会でやった意義は大きいと自負している。
I兄姉は姉妹のご両親が以前集っていた集会で一緒だったことからのつながりで、以前電気店に勤めていた時のお客さんでもあった。結婚されたときに家電一式を秋葉原から千葉の先まで届けたことが昨日のように思い出される。姉妹のご両親とのつながりの方が強いのだがこんな形でまたつながってくださるのはうれしい。
こちらに来て、交わりが疎遠になるなぁと思っていたが、M兄やこの小さな集会に重荷を持ってくださるO兄のお陰で、意外性を持った交わりを頂いて感謝している。関西から軽井沢に行く場合、岡谷インターで降りるからこの恵みも頂いている。色々なことがあるが感謝の一言に尽きる。
2010年11月28日日曜日
土くれと宝物のハザマの中で
しかし、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。」(イザヤ書43章4節)ということばもある。人はこの二つのことばのハザマで生きている。この高価は、存在していることが高価であって、何ができるからということではない。しかし、頭で分かっていてもこれを体で実感することは少ない。これがクリスチャンの問題となるところである。これは価値観をどう捉えるかにつながってくる。下手するとご利益的信仰に陥ってしまう。そしてそれが分からないところに罪の深さがある。
2010年11月25日木曜日
感謝できること
ここまでは達観できないがその支度をしろというシグナルかもしれない。 出来て感謝することは誰でも出来るがお世話になって感謝することはそう簡単ではない。 そういう意味で生きていること生かされているということで感謝できることはありがたい。 まだまだ感謝は少ないけれど。
2010年11月24日水曜日
自分を知る
数値で表されるとわかり易いし、自分の衰えているところも、なんとなくがはっきりする。衰えは急ではなく徐々に来るから気がつかない。大した器械でもないがで一蹴しやすいが、こういう機会に指摘されていることを心していくことが大切だなと思う。
聖書を知るということも、どの視点で見るかによって大分理解が違うように見える。神の視点か人間の視点か、神の国の到来を求めているようで、それを自己実現に用いる危険性もある。神の到来を求めいた律法学者たちは、そのために来られたイエス様は受け入れなかった。そういう意味で福音書の時代も今日もその辺は変わらないのかなと思ったりしている。己を知って神を知るなんて構図は…。
2010年11月21日日曜日
秋日和
秋の紅葉は小さいときから好きで、あの色はなんともいえない色である。枯れていく葉、そして落ち葉になって、色の変化をみるのも好きである。「きょうは野にあって、あすは炉に投げ込まれる草をさえ、神はこのように装ってくださるのです」の言葉を思い出す。創り主の存在を覚えるひと時でもある。ついないものに目が行ってしまうが、今このように生かされていることを改めて感謝する。家内と口論しながらそれでも思う。
2010年11月18日木曜日
老いて ますます 若く
ご自分のことご両親のこと特にお父様のことを語ってくださった。淡々と語る中に、ご両親の介護をなされて、その厳しさを感じさせずにお話をされたのに感心する。実に前向きな方である。仕事柄か交流の広さを教えられる。東京と原村を往復しているようだが信州ではさらなる活躍を願いたいし、そういう場が与えられることを願う。原村はペンション村で文化人も多いようだから、原村にとどまらずに諏訪人に
更に認知されて活躍してほしいと願う。実践塾の人たちは、諏訪市在住とKさんと親しくしている?岡谷のHさんだけ、途中で会長が来たが、少ないのにがっかりした。こちらでは知られていないのかなと思った。来られたMさんはこの話をしたとき、来ようかなと言っていたて来てくれてうれしかった。こっくりやっていたが。私ももう少しで大台、このタイトルのように生きたいものである。
パンくずを拾って 再々
聖書解釈は別としても、カナン人の女性は食卓のパンに預かろうとしないで、パンくずを頂きたいと願っている。いのちのパンはパンくずのように見られてもパンには変わりはない。ただ人の評価が変わるのである。そういう意味ではカナン人の女性は本質を捉えているように思える。私もパンくずに拘りたい。
「食卓に預かる」よりはパンくずを拾って、主の糧を得て生きたいものだ。
2010年11月15日月曜日
THE BIG ISSUE
信州は車社会、歩くことは家の中くらいであるから身体にはいたって悪い。その点、東京では移動は電車かバスであるからすこぶる健康にいい。それに電車だと本が読めるし、日中だと座れることもあり、座れなくても混んでいないから立っていても読める。うれしいことばかりだがそう思うのは車社会が好きでないということかもしれない。
時間があったら都心まで行きたかったが新宿止まり、それもキリスト教書店のオアシスに寄り、ヨドバシカメラを覘き、西口地下で昼食して帰ってきただけだったが久し振りなのでなんか気持ちが弾む。オアシスから甲州街道の交差点を渡ったら、ビックイシューを売っていたので一部買う。東京にいた時はよく神保町の交差点や中央線沿線で買っていた。
ビックイシューはどれくらい知られているのだろう。これは、月2回発行されている雑誌で、ホームレスの人がこの雑誌を売って、自立をサポートしている。一部300円で160円が売っている人の利益になる。彼らを見ていると自立しようとしている意気込みを感じるからうれしい。内容もまぁまぁと思う。どこでもそうだがあまり買っている人は少ない。私も最初は、日焼けした人が横文字のタイトルの雑誌をかざしている姿を見て、ウンさ臭い感じを受けた記憶がある。マスコミなどで紹介してあげたら買う人も増えて、彼らのために大きな助けることになるだろうにといつも思う。キリスト者で知っている人はどれくらい?キリストの愛を説くのはすばらしいがこういう人たちに目を向けることも主が喜ばれることではと思うがどうだろうか。
2010年11月6日土曜日
最近の出来事に思う
中国との摩擦を懸念してとそちらのほうに目を向けていたが、実は親的な人たちが日本の利益より他国の利益を考慮していての行動かなという非常にうがった見方をしている。菅さんが外交的手腕はゼロに近いから、それに乗じてやっているのかなと思ったりしている。それに気づいた人が映像を流出させたと、荒唐無稽か。しかし、右的な人も大勢いるがコチコチの社会主義者もいるからなぁ。一瞬売国奴かと思わされるときもある。キリスト者にもコチコチだけなく右側にしっかり立っている人たちもいる。両ウイングにいるということか。
2010年11月3日水曜日
痛みを知らない日本人
お母さんがフィリッピン人であることが大きな理由らしい。マスコミはいじめがあったとかないとか論じているがこれはいじめではなくて殺人である。給食の見取り図を見たが、彼女一人で食事をし、他は何人かのグループで食事をしている。自分と違うものを排除するこの論理、昔からある村八分の論理かもしれない。子供を責める前に日本人の少数者を排除する論理を正さなければならない。昔、「赤信号みんなで渡れば怖くない」というコントがはやった。みんなで行動すればそれが正しいかどうかを判断しないという発想はすごいと思う。それがかつての戦争の中にもこの発想が生きているような気がする。
いじめとはそこに存在しているから受けるのである。ある意味で存在していることを認めているのである。これは大切なことである。無視とは、そこに存在していることを否定していることである。存在を否定するとは、そこに存在してはならないのである。存在しているのに存在してはならないとは、排除ではなく殺人であると思っている。
創世記のはじめに、神から離れたアダムとイブに「あなたはどこにいるのか」と問いかけている。叱責の前に存在を確かめようとした。福音書を読むとイエス様が絶えず少数者、阻害された者に語りかけているような気がする。しかし、キリスト者が教会が同じことをやっているとは限らない。否、あの少女の同級生と同じことをやっていることを見ることがある。キリストの名の元に、組織の弱さである。しかし、このような弱さを持っている教会を花嫁としてイエスは捉えている。不思議に思う。
2010年10月22日金曜日
水に流す
先日、息子の引越しの部分手伝いをしていて、彼が渡してくれた「心に刻む」という題の小冊子、明治学院が戦後50年を記念して発行された15年前のものである。当時、集会に明治学院の学生がいたからその人たちの誰からかもらったものであろう。
副題に「敗戦50年・明治学院の自己検証」とあるように、当時の学長の中山弘正氏が学院としての戦争責任を告白されて企画されたようだ。戦前戦後を通して学長をされた矢野貫城氏の言葉が比較されるように載っていた。このことにはコメントを控えるが、先日、テレビで三浦綾子さんの人となりを放映されていた。彼女は先生として子供たち一生懸命に教えてきた教科書に墨を塗って行くことに耐えられなくて先生を辞めていく、そのときはクリスチャンではなかった。
戦前活躍したクリスチャンは概ね戦争肯定ではなかったのではないだろうか。そのような中でホーリネスを筆頭に集会や無教会関係の信者も刑務所に入っている。戦争というものは人間の感覚を狂わせてしまうらしい。これは日本人だけでなく、すべてである。今も印象に残っているのは、アメリカがベトナムを空爆しているとき、それも枯葉剤を撒いているときではなかったか、ある宣教師がこれは悪魔との戦いであるようなことを言われて、やっていることは当然のような口ぶりに驚いたことがある。共産主義=サタンの構図なのであろう。戦争はあらゆる物を狂わせてしまうようだ。
戦争責任を強く糾弾するクリスチャンがいる。正しいかも知れないが、天皇制を動かすことの出来ない事実の前にあっては無理なことであろうと思う。批判する側もされる側も結局いのちの掛けていないのである。そんな中で戦後の日本をどうするかで苦労されたクリスチャンたちがいたことを誇りに思う。キリスト教界では本流ではないかもしれないが、それも批判の対象になっているようでもある。
最初に小冊子を読んで、過去を「水に流し」て、それでお仕舞とする日本人の生き方に感心したのである。矢野貫城氏は後にあるキリスト教大学の学長にもなっている。学問の世界には縁遠い者だが、それでもわからない。真理に立つとか弱者の側に立つとかは、少数者の道であり、狭き門からの道であろう。自分の立場をしっかり確保して叫ぶのはフェアじゃない。
2010年10月15日金曜日
マツタケご飯
早速、マツタケご飯にして頂く、美味しかった。いつもは一膳だが、ついお変わりをしてしまった。マツタケは味より香りがいい、頂いたときは部屋いっぱいに香りが充満(少しオーバーかな)して、香りに満たされているという感じである。あのしこしこした食感もたまらない。
東京にいるときはTVで見るくらいで、現物はそれほど見る機会がないが、こちらは産地だからJAなどにも並んでいるし、学校給食などでも出ているようで、ニュースで取り上げ、大盛りのご飯を美味しそうに頬張っている子供たちの画面を見ていると、何か目の前をマツタケが素通りしていく感覚である。指をくわえて過ごすだけかと思っていたから、とてもうれしい。
専門家から今年は豊作だといわれていたが、猛暑できのこの兆候さえ見えない中、雨が降ったり、気温も平年並みになったら、あれよあれよと大豊作になってしまった。どんどん大きくなるから、少し時間が経ってからとりに行くとこうなるのだろう。〇〇サンありがとうございました。
2010年10月9日土曜日
御柱
元々信仰心はなく、田舎にいる時には、お盆のお墓参りに行かんと言って父に怒られたり、村祭りもお店が出て人で賑わった事が楽しかった記憶はあっても、信仰心の信の字もなかった。その神社も鍵がかかっていなかったりして、2間四方しかないようなものだったがそこで隠れんぼをしたりしていた。ある時、大人が頭を下げているものにどんなすごいのが入っているのだろうと、中にある小さな祠?の扉を開け、紙に包んでいるものを一枚一枚、解いていってみたら丸い真鍮のプレスしたようなものだったのでがっかりした記憶がある。こんなことが大人にばれたらただですまないことであろう。それからあんな物に頭を下げることが出来なくなった。生意気な子だった。しかし、内村鑑三が神社の前を通ると自然に頭を下げたくなるようなことを何かで書かれていたが、明治神宮などに行くとどこか荘厳さを感じるから頭を下げたくなるから気持ちが分かるような気がする。神田明神も湯島天神もそんな雰囲気ないなぁ。村の鎮守の神様も然りである。
御柱の年は、地域にある各々の神社も諏訪大社と同じ御柱祭をやる。先日「山出し祭」が行われ、山から御柱を曳航し、今日は「里曳き」といって山から里へ、そして神社に曳航する。朝から夕方までの一日がかりである。町内の組の役員をやっているので名前は載っているが参加していない。綱の飾り付けを頼まれて、組の中のところはやったがそれ以上はやるつもりはない。飾り付けくらいは祭礼というより行事の類と思っている。人が大切にしているものをないがしろにするつもりはない。むしろ大切にすべきだと思う。しかし、神殿の前に行って、祭礼をしないとなるとそれを否定することになる。だから行かないのである。これと違うがお焼香は偶像崇拝というが本当にそうだろうかと思う。実際はTPOではあるが。
長野県にある幾つかの中の歴史のある市であるが現状は村である。観光という面もあるから一概に言えないが政教一体である。市というより自治会が主体であるが一体のような感じを受ける。それでも色々強制していないところはその辺の配慮があるのだろうか。
もう35年も前に、溝口正さんが「自治会と神社」という本を書かれた。そこで自治会との争い、市との訴訟問題等が書かれている。日本人の民族性、全体性を大切にして、個をないがしろにする体質を指摘しておられたが、今も地方にいるとそれを強く感じる。それと戦う力も気もないが、このようなことは教会も論外ではないような気がする。個を大切にする教会、異質なものを受け入れる教会、そんな教会を思う。イエス・キリストはその個を大切にした。この方は無教会系のキリスト者である。
2010年10月5日火曜日
浦河べてるの家
「べてるの家」は、32年前に向谷地生良さんが浦河にある日赤のソーシャルワーカーと勤務してから始まる。その後に精神科医の川村敏明さんが赴任して、進展していくのである。「べてるの家」は日赤の精神科を退院した数人の集まりから、向谷地さんを中心に始まった。それが、今は100人から150人が浦河の町に散在して、幾つかの事業を始めている。
今どうなっているかはわからないが、当時は地域的環境も非常に悪かったようだ。そのような中で、共同生活を始めたのである。統合失調症は、暴力、妄想、幻聴などがあるようだが、私の知っている人は、会話が出来ない。聞いている分には良いのだが、異論や反論をすると会話はそこで終わる。その時点で、大袈裟に言えば敵対者になってしまう。一人でもこんな調子だから、そのような人たちが大勢で生活している。常識では考えられない。そこでの日常は大変なものだろうなと思う。しかし、苦労しながら生き生きと問題も起こしながら生活しているようである。
病気は治すもの、生活するには暗黙の基準の中で生きるもの。しかし、あそこでは病気をそのまま受け入れている。私たちの生活の中にたくさんの制約がある。置かれている立場に適合しなければならない。会社の勤務していたら、まず第一に仕事をこなす能力がなければならないだろう。決まった時間内は拘束される。朝起きれないから昼からとはいかない。この時間というのが問題で、精神的な病気のある人は能力があっても、これで駄目になってしまう。考えてみればある人たちが当然と思っていることでも、出来ない人には無理難題なのである。それは暗に存在の否定につながっているような気がする。「べてるの家」はそれを肯定している。一般社会では生活できなくても、浦河では出来るのである。社会に対して、一つのアンチテーゼのような気がする。ま、受け止められないだろうけど。
他の本でもそうだが「べてる家」での出来事を淡々と書かれている。しかし、その内情は大変なものだろう。そこで生活しろといわれて出来るだろうかと思う。まず、自分の価値観を捨てなければならない。そして、ありのままを受け入れなければならない。ふっと、ナウインがラルッシュでの経験を思い出す。そこでは今までの経験が一切通用しない。戸惑いながら、受け入れ、この世界が当然のようになっていく、ナウインの姿がダブル。 昇る人生ではなく、降りていく人生なのである。
斉藤さんは一つの事件のことを書いている。それは入院中の患者が同じ入院している患者を包丁で殺害してしまった。妄想で殺してしまった。病院がとった処置で、医師と記者のやり取りを、そこにあるのは、病人を管理するという発想である。医師はそれについて否と言われた。管理して防げるものでないことを医師は良くわかっていた。殺人者だから凶暴なという意識、病院側は本人はもうそれ以上何も出来ないことを認識していたので何もしなかった。それと、被害者のご両親が加害者のご両親を葬儀に招いている。加害者は被害者より年上で、ご両親も上、自分たちより長く、このご両親は苦労されている。その苦しみがわかるから、招いたようである。一般常識では判断できない何かがある。神戸で高校生が刃物で殺されたことがニュースになっていたが、気になる。危険と理解、どこかあい矛盾するようなテーマだ。
斉藤さんもあとがきで書かれていたが、「…みんなの話を聞き続けて記録するという日々を求めたとき、私はすでにこの社会の中心からそれ、昇る人生から降りていたのではないかと思う。」ここでは昇るのではなく、降りていくのである。ふっと福音書のイエス・キリストを思い出す。「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」(ルカ19:10)と取税人ザアカイの救いを語っている。病人や罪びとと呼ばれている人たちの傍らに立ち、そこから共に歩む姿がダブル。福音は語れても、その傍らに立てるか共に歩めるかと、どこか彼らと似ている息子の傍らに立てるか、難しい問いかけであるが答えて行かなくては、粛々と。
2010年10月4日月曜日
2010年10月3日日曜日
isa 53:2b-4
私たちが慕うような見ばえもない。
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。
人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。
だが、私たちは思った。
彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
2010年9月28日火曜日
幻がなければ民は堕落する(新共同訳聖書)
聖書でいう「罪」は「的をはずす」と言う意味だそうだ。旧約聖書のヨブ記に「知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者は誰か」(箴言38章2節)と神はノブに問いかけている。そう問われたヨブの更に対極にあるようなものだが、書くことはそんなものかもしれない。
中国は日本の国土や人口が10倍以上あるのではないだろうか。そんな大国が何で高飛車に出なければならないのだろうか。高飛車に出ると言うことは、どこかに弱さを持っていると言うことだ。弱さを見せてはいけないものはどこに?
鶴の一声と言う言葉がある。昔、尖閣諸島の問題で、福田元首相と登小平主席のやり取りがどこかに載っていた。彼がいたらどうなるかわからないが、こんなこじれ方はしないと思う。彼の一言で下の者を抑えることが出来るだろう。中国の指導者がそれが出来ないと言うことだ。大国の首相がニューヨークで言う台詞ではない。日本ではなく、誰かにアッピールしているに過ぎないこと証明しているようなものだ。
周りが敵国に囲まれているイスラエルは、60年以上保っている。世界中から非難されようが彼らの考え方を変えようとしない。小さい国が生き延びていく術を心得ているようである。神に選ばれた国だと思うことがる。だからイスラエルをすべて肯定しているわけではない。注目に与えする国である。イスラエルと言う国に目を向ける政治家がいたらすごいなと思うが、例えいかなくても世界に目を向ける政治家はどれだけいるのだろう。世界も日本も政治家も小粒になったのかな。
菅さんは以前に「霞ヶ関なんで大バカ」発言があった。例えそう思っていても言うべき言葉ではない。ましてや首相になろうと思っている人が、それに彼らがいなければ、良くても悪くても日本は動かない。新聞やテレビでしかわからないが役人の姿伝わってこない。政府のやろうとしている具体的な施策が動いている姿も見えない。霞ヶ関のしっぺ返しかと思ったりするが役人はそんなに小さくないか。でも、菅さんはもう終わりのような気がする。
2010年9月25日土曜日
宣教キャンプ
メッセンジャーは海外宣教団体NTM(New Tribes Mission)の責任者の兄弟で奥さんと一緒だった。この団体は集会関係の団体で、3000人を送り出しているそうだ。日本人はいないが、韓国人が何人かいるそうで、前に招いた人たちも韓国人だった。ウイクリフ聖書翻訳協会と同じような働きをされていて、規模はそれに次いで大きい団体である。聖書からと現状をスライドを交えてのわかりやすくお話してくださる。過去三回は、宣教師の証と報告をされ、前回参加して、(前々回は参加したか定かでない)ネパールで宣教師として働いておられる韓国の兄弟の証と報告であった。奥さんも来られたように記憶している。今回は送り手の方、そしてより具体的な話で、午後は兄弟と姉妹で分かれていたので、この時は更に突っ込んだ質問が出て、海外にという重荷を持った兄弟が起こされる雰囲気を感じる。伝道者というだけで、中々難しいのに海外かと思って、そのビションの大きさに感心する。宣教師として立つとなること、サポートする集会の質的向上をも伴っていかないといけないのだろうなぁと思う。相乗効果でいい結果がでるであろう。
正直、側面的なことも知っているが、切り離して考える必要があるように思える。特化して行けば、その枠は狭くなる。それが集会の意向ならそれでいいと思うし、その枠外を受け入れる集会もあるだろう、なかったらおかしい。福音が損なわれていなければ、どういうやり方であってもいいと思う。集会は本来、多様性と独立性を持っているはずだ。
何事も素人
3,4日だけだったが、新聞は取っていないので、ニュースはテレビとインターネットを検索して見ている。信州の田舎にいる者にとって貴重な情報源?が断たれたので、多少禁断的症状になる。ネット漬け?になりかかっていたようだ。ハーベストタイム8月号に中川健一さんが利便性の弊害のようなことを書かれていて、退屈の勧め?を書かれていた。そう言えば、林成之先生の「脳に悪い七つの習慣」の中にも効率的はことは脳に悪いように書いてあった。息子がやれば2,3時間もかからないだろう。それが、気がついたら朝になっていたのが二回。その労力と時間は計り知れない。まぁしかし、終わってみればこれもまた良かったのかなと思う。
テレビの修理などをやっていたこともあったので、電気のことは多少の知識はあるがパソコンは別である。パソコンはいじっても破損することはないと思っているから適当にいじる。おかしさは更に進化する。ギブアップである。東京にいるときは何度かあった。それで学習すればよいだが猿軍団の猿より悪い。でも今回は少し学習したみたいだが、次は別なことでおかしくなるかも。
2010年9月23日木曜日
このところ
昨日は菅谷さんが賠償請求の申請を裁判所に出されたこと、村木元局長が復職したことをテレビで見る。大勢の職員に拍手で迎えられているのを見て、長妻大臣の初登庁のときとは、大分違うなと思った。驚くのは主任検事の行動である。しかし、程度の差はあっても、これは日常茶飯事的な出来事ではなかったのではなかったのではないだろうかと思った。偶々大きな問題になっただけで…。人間の価値なんか戦争前は赤紙一枚の価値しかなかった。その当時は馬の方がはるかに価値があったのだから、それから半世紀ちょっと、その根底にあるものが、どれだけ変わったかは疑問である。 全部を右倣いにするつもりはないが。
河野さんも村木さんも最初の報道を聞いたとき、何の抵抗もなく当然のようにテレビのニュースを受けいれていた。有力な国会議員が懇意にしている人から頼まれて、役人に圧力をかける。誰も損をするわけでもない、むしろお互いに恩を売ることができる。そんな単純な構図で納得していた。マスコミの取り上げ方もおかしいのだろうか。何か意図がってこうなるのだろうか。或いは我々の思考がそのようになっているのか、立場は違っても思考は同じような気がする。我々の正義は、真の正義ではなく利で動く正義、エセ正義であるのかもしれない。
尖閣諸島や竹島の問題を見ると、ナショナリズムを見る。日本は、昔は島国で外国から守られていたが、これから防衛となると大変だ。自分もそうだが、日本は内弁慶的なところがあって、外圧に弱い。内側に説明する以上に外に向かって主張していかないとと思う。それと人と人のつながりが大切であり、色々な形の交流に力を入れるべきである。東京、三田にある船舶振興会の建物の前に笹川良一本人がお母さんを負ぶっている銅像がある。この方は「世界は一家、人類はみな兄弟」を唱えていたように記憶している。国と国があるから争いがある。これであったら、せいぜい兄弟喧嘩、戦争にはならない。この方の識見は高い。あの戦争で何をやってこられたかはわからないが。
世界史はもちろん日本史もよくわからない。日本の近代史も然りである。しかし、断片的な知識から、国同士の大きな意図の前に、小さな事件が発端となって、戦争になっていくような気がする。正しい理解かどうかはわからないが、国の正義は汎ではなく個の正義であると思っている。国に限らずすべてか?自分の利のための正義は、どこにでも見ることができる。ある面で、ヒューマニズム同様危険なものを孕んでいるような気がする。
神の正義は、
イザや53章にイエス様の姿を見る。人には真似のできない姿である。力ではなく、弱さを。能力ではなく、無力を。貴さではなく、卑しさを、高さではく、低さを。仕えらえれれることを求めず、仕える道を選ばれた。この中を神の正義は貫かれていった。真の解決の道はここにしかない。
2010年9月12日日曜日
責任
創世記3章に堕罪のことが記されている。その冒頭にへびと女のやり取りが書かれている。2章に「善悪の知識の木から取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」と言明されている。それなのに女は蛇の問いかけに答えているものは真にいい加減な答えをしている。このことを、男はどのように伝えたのか、女はどのように聞いていたのか分からないが、二人のコミニュケーションは結構いい加減なように見える。
結婚生活40年近くなろうとしていて、「あの、その」の問いかけに、お互い「何?」と返す言葉の中に夫婦のコミュニケーションの程度が知られる。でも罪が入らない前の二人のどこかいい加減さ?を見ると何故かほっとする。最初の夫婦がこんなのなら僕らはこれでもいいのかと…。
堕罪という大きな出来事の中で、断罪はあっても、誰が責任を取ったのだろうと思った。蛇は罪を犯すことを求めてたのだから責任を取るつもりは毛頭ない。男も女もそんな力はない。結局、神に責任はないのに、御子を遣わし、十字架に架け、復活させた、神ご自身がそれをなした。責任を取るというのはこういうことなのだろうと思った。
2010年9月10日金曜日
すなどられて
―信仰のうた―
召命
すなどられて
幾山河を越えてきたけれども
いばらが生えていても
血もにじまなかった
涙の谷の中でも
凍(い)てついてもしまわなかった
だんがいを踏み外してしまって
もうダメだと思ったとき
神様はアミを張って
待ち受けてくださった
私は漁(すなど)られたのです
わたしは救われたのです
2010年9月8日水曜日
偏見
読んでいて、どこか水野源三さんの詩とダブル思いはするが、でも少し違う。作者は、全部ではないが、福音を語ろうとしているのかなと フッと思った。水野源三さんはただ神様に向かって、或いはイエス様に向かって率直に語りかけている。そこには何の意図もない。この違いかなと思った。それと、目線の違いから来るものであるのかもしれない。勿論、詩を批判するつもりはないが、こんなことを書くと、既に批判しているか。もっと大きいのは作者がクローズの方であるというところからくる私の偏見である。
自分のブログをメールで送ってくれる方がいる。その中で、ご自分の教会のことを書かれていた。無牧なのか、毎週ある信者のお孫さんに当たる方が説教しに来てくれている。その方が黒人であるために、偏見を持っている人がいることを、黒人だけでなくユダヤ人に対してそうらしい。80代の男性だが、彼の生まれ育った環境がそうさせたのかなと思った。メッセージは良いが牧師となるとまた違ってくる。偏見を持つというのはその人の所為もあるが、育った環境はもっと大きいと思う。偏見は中身でなく外見で判断する。心しなければと思うが染み付いたものは・・・。
2010年9月2日木曜日
秋?
庭に雑然とはいえているコスモスも下の方の葉も枯れてきた。砂利だから根が浅く、先日の豪雨のような夕立で何本か倒れたが、茎の先端からまた上に向かって延びている。すごいなと思う。「読むべきは聖書、学ぶべきは天然、為すべきは労働」という内村鑑三の言葉がある。人の動きは複雑怪奇であまり好きではないが、天然は癒しと生命の力強さを教えてくれる。野の草でも人を癒し、力づけてくれる。我に何があるか。
2010年9月1日水曜日
暑さの中で
幾つかの事情で、何時もホテルに泊まっていただいているのだが、今回はホテルから出て、我が家で数人だけの交わりを持ってもらった。実は姉妹が最後の日に、夕食を作って皆さんに食べさせたいということで、場所が我が家になっただけの話である。買出しに一緒に行き、腕だけでいいからと言っても納得せず、全て姉妹持ち。我が家にあるものを使ったことで恐縮しながら、手際よく作ってくれた。家内と交わりながらやっていたのだが、姉妹は大雑把(失礼)、家内は細かいので、互いに驚きながらの感想を漏らす、我が苦労を理解して貰えたかなと胸元がスーとするのを感じたが?
他集会との交わりは蜜ではないので、諸集会のことが殆ど分からない。色々なニュースが聞けて、聖書の話しのみだけでなく、何かと参考になる。人間の集まりであるということで片付けたくないが、色々考えさせられる。イエス様が弟子の足を洗ったり、取税人や罪人たちの中に入っていくように、信者がそのようなところに入っていくのは、集会のみならず教会でも見られるのは少ないのではないだろうか。人々の中に入っていくには、信者でない方たちとの垣根を低くする必要があるような気がする。群れの中にいては出来ない事だろう。と書きながら別な意味で高い所にいるからどうこう言っても説得力はない。帰り際、(家にも)来て下さいと言われたが、個人的にゆっくりと交わりたい。
2010年8月21日土曜日
パンくずを拾ってる?
少し前に、ある牧師の配信メールをやめて、キリスト教関係の個人的なブログも、大分やめてしまった。今はT伝道者とあめんどうさん、それに諸断章さんにひそぷさん、それと以前いた集会の方のだけに絞っている。クリスチャンとしてくくれるが、おかれている立場、視点がみな違うから、色々な意味で教えられたり、考えさせられたりする。
今、ある本をPCに打ち込んでいる。読んだ方が集中して、理解できそうだが、ブラインドタッチの練習を兼ねているので、理解を犠牲にしている。そうでなくても理解度は悪いから更にである。食べ物と同じで、身に付くのは極わずかで後は厠にという次第は聖書も同じ、ホンネを言えば、もっとと思うがそれは望むべくもなく、「私の恵みは、あなたに十分である」の言葉が頭をよぎる。後、1/5をパンくず的量を拾いながら…。
2010年8月20日金曜日
こだわり
正直言ってがっかりしたのだが、カトリックの建物の荘厳さ、教役者の階級の複雑さはこんな所からきているのかなと思ったことがある。「ローマ人の物語」も作者の視点もあり、イコール歴史とはならないだろうがどうなのだろう。
「使徒の働き」に教会の原点を見ることが出来る。集会も信者が多くなると牧会書簡を通して、管理しようとする姿勢が見え隠れしてうんざりするときがある。集会の責任者の多くは、社会でもそれなりの立場でやっているだろうから、行政や管理能力があるから出来るということも言える。キリスト・イエスの心を心とするなら、少人数でないと難しいだろうなと何時も思う。
しかし、聞き従うということを通して、「天にある支配と権威」に、従っているのかもしれない。闇雲に聞き従うということはいけないが、この姿勢は、大切なような気がする。
2010年8月14日土曜日
バイブルキャンプ
若い時と天国が身近に感じる今では、年代の違いでけでなく、時代も違っているから受ける印象が違って当然であろうなと思う。それに宿泊しないで、顔を出して終わったらすぐ失礼するから、受ける印象は偏っている。それでも書くと活気と新鮮さが薄らいでいるのかなと思う。集会や信仰、それに、この時代と合わせて、変わり目に来ているのかな、或いはこちらに引越してきて感じるのかもしれない。
2010年8月11日水曜日
2010年8月7日土曜日
待ち望むということ
私にとって「待ち望む」ということは、具体的には主の来臨か召されることを通して主にお会いすることであろう。しかし、今回読み直して、あらゆるものが「待ち望んでいる」ということがわかった。
天地創造、初臨から、十字架と復活そして再臨も、それと被造物全体も共に呻きながら贖われることを待ち望んでいる。福音宣教は救いの完成を神ご自身が待ち望んでいるという視点で捉える必要があるような気がした。私、或いは人というのを中心に考えると、非常に狭く、偏ってしまうような気がする。
2010年8月5日木曜日
2010年8月4日水曜日
二つの視点
福音書を読むとイエス様と律法学者との論争が幾つか出てくる。彼等は悪者扱いにされているが特別悪いわけではないような気がする。彼等は真面目に律法を履行しようとしているだけだと思う。神に対して、忠実で熱心なのである。彼等がイエス様に律法の中で一番大切なものは何かと聞かれた時に、「神を愛することと隣人を愛すること」と言われた。神を愛することは分かったようだが隣人が分からなかった。だから、ルカは「わが隣人とは誰か」とイエス様に尋ねていることを記している。「わが隣人」が分からないのである。
「良きサマリヤ人のたとえ話」を見ていると神にか隣人にか、自分を生かす(自分を汚さない)か他者を生かすかを分かりやすく教えているような気がする。祭司やレビ人を弁護するわけではないが、汚れるということは神の前では重大な問題なのである(イエス様は手を洗わずに食事したりしているが)。私だったら彼等の道を選ぶだろう。しかし、律法や安息日は人を生かさないことを福音書は語っている。聖書の言葉を守るのも難しいが、現実に生かすことってもっと難しいなぁと思う。
2010年7月29日木曜日
ボランティアを終えて
三日間働いて、仕事的には難しくなかったが利用者とのコミュニケーションは、まぁまぁかなと思う。自分はそれほどオープンでもなく、積極的でもないから難しい。内容的なことは個人情報の問題で書けないが、お茶の時に話をしてくれた方は、数年前に家が土石流の被害にあって、そのトラウマが出るので、継続して会社務めができない。それで午前中会社に勤めて、午後に施設に来ていると言われた。薬を飲んでいたりすると朝起きれないから午後からという人もいれば、午前中だけとか時間的には不規則である。或いは週に何日と決めてきている人もいるようだ。
定時に来られる人は数人しかいないみたいで、月~金の9時~5時は当然のように理解しているがそれが出来ない人がいる。そのような人にとっては、こんな世界は過酷な世界だろうなと思う。何時でも来てと言われたが、これからもお手伝いに行って、何かとヒントを貰いたい。ナウエンの世界が少しは分かるかな?
2010年7月28日水曜日
何時も思うこと
全くの初対面だったが、ブログを読ませていただいているだけでなく、色々お話を聞いていく中で、一見旧知は大袈裟だが共通の話題があって、話しがはずんだ。個々に書くことはしないが、人と人とのつながりの中で共通の兄姉がわかって、クリスチャンの世界は狭いなぁと今回も思わされた。奥様が一時東京のある集会に集っていたK兄のお姉さんと聞いてびっくり、そのK兄は佐賀で伝道しているH兄とは高校の同級生だったとか、同じ集会にいるときは何かと話しが合っていたのでうれしかった。茨城にある集会のK兄姉も驚きで、特に姉妹にはと言われて、思わず苦笑いをしてしまった。彼女は召されたが兄弟は70代の半ばだと思うが元気で活動されている。懐かしい名、名である。
聖書を含め、キリスト教に対する深い知識と見識を持っておられるので感心する。ブラザレンの歴史を調べてブログに書かれている。集会関係の個人のブログとしてはめずらしくアクセスが多い。集会関係だけでなく、何らかの形でかかわった方もアクセスしているようだ。集会も多様化?しているように見える。その一極にいるのかなと思っているがどうだろう。もう召された東京にある集会のS兄は、東京の集まりでは、以前はパン裂きができたが今は出来ないと残念そうに言われたのが何時も思い出す。それだけ主にあって共にひとつの思いがあったのだろう。その集まりで非難されたことがあって、その人は北陸から大阪へ移られて牧師をしているようだ。主のために車を持つというが云々と、高潔な士でもないだろうに、自らを是とし、他者を否とする典型かなと思っている。自分の中にもそのようなものがあるが心しなければと思う。
深く交わったらついていけないとおもうが、交わっていただける事は感謝であり、キリスト者冥利に尽きる。信州に引っ込んでしまったら、もう交流はないだろうと思っていた上沼先生とも会うことが出来、その上不思議な経験もさせてもらった。今回はさらにである。信州の難しさがあるが恵みのあることを今回も味わった。兄姉が集っている集会は従姉妹の住いに近い、何かの形でつながればと思うが、今回その一歩にでもなればいいのだが…。
昼食をご馳走してもらって、お土産まで頂き、それに最近あめんどうから出版された「わが家への道」も頂いた。何時もメールで注文しているが一冊ばかりだと悪いなと思って思案していたのでうれしかった。「心の刷新を求めて」が出たときはすぐ注文して送ってもらったが、まだ手づかずなのに、こちらの方を読み始めている。ナウエンは読みやすいし共感できる。生き方は正しくとも現実を見ていくと主流ではないような気がする。このギャップが色々な問いかけをしているような感じもするが。
2010年7月23日金曜日
神様のカルテ
「神様のカルテ」を、2月に図書館で借りたのに、また、借りて読んでいる。主人公は夏目漱石が好きな信濃大学(信大)を卒業した若いお医者さん、どこか坊ちゃんの筆の運び方に似ているのは気の所為だろうか(夏川草介-夏目漱石)。松本にある総合病院である本庄病院(相沢病院?)と自分の住いである古い旅館を改造した御嶽荘の住人との交流を描いている。あと、行きつけの飲み屋さんかな。
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三話からなる物語だが独立しているわけではない。その締めごとに新しい旅立ちが書かれているのかなと思った。作者がそのような意図で書いたかは定かではないが。
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主人公の若い夫婦、挫折した若者、そして死を目前にした老婦人。全体に流れているのは信頼。それを失っている様な、今日の価値観なり、生き方に軽い問いを投げかけている様な気がしないでもない。
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若い医師である主人公とプロの山岳写真家である奥さんは、仕事の関係で行き違いになっている。一緒にいることも少なく、お互いに、どこか仕事優先、その中にあっても深い信頼関係を培っている。若い夫婦に限らず、夫婦や家族はどのようなもので繋がっているのだろうか。それが無くなって、その関係はゆるぎないものだろうか。自分を見ると良く分からない。最初の結婚記念日をお互いに仕事の都合で祝うことが出来なかったが、後日、満天の星も下で、星を見上げながら、二人の絆を更に深めて、確かな歩みを進めていきそうな雰囲気で一話は終わる。
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次は、
住いである御嶽荘の住人である売れない画家の男爵と大学院生の学士の交流がまた面白い。酒を酌み交わすだけのようだが、それが深い。この画家は描けばすぐ売れるのに、お金や名声の為に描こうとしないみたいである。実は学士も、大学受験に失敗し、放浪の果てに、信州の田舎町に住み着いてしまったニセ学士なのである。しかし、博識とニーチェ研究では優れたものを持っている。母親は息子が東京で勉学に励んでいると信じて、何時か勉学を終えて帰ってくることを楽しみに待っている。また、母親を喜ばせようと願っていた息子でもある。この現実を知っているのは、学士の姉だけ、母が亡くなったことで、学士は絶望して死を選ぶが未遂に終わる。主人公は病院のベットの傍らで「学問を行なうのに必要なものは気概であって学歴ではない。熱意であって建前ではない。大学に行かずとも、あなたの八畳間はまぎれもなく哲学の間であった。その探求の道に何を恥じ入ることがある」と学士に説教をする。
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学士は姉に促されて、新しい歩みを始めるために、田舎に帰る決意をする。田舎に帰る前夜、4人で学士の部屋でお酒を飲むが、時間を前後して男爵と奥さんは席をはずして、朝まで酔いつぶれたのは二人だけ、朝になって、目を覚まして、ふすまを開けると廊下いっぱいに桜の花が描かれていた。男爵と主人公の奥さんが、徹夜で絵の具まみれになって、学士の門出を祝ってくれた。
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最後に、
大学病院で余命一ヶ月の宣告を受け、治療を断られた老婦人を受け入れて、最期までみとる。若くしてご主人を亡くされ、あまり恵まれた人生ではなかった。延命治療をせずに彼女の意向に沿うように配慮してくれる。死を目前にした病院生活であったが彼女にとっては至福のときでもあった。12月20日が誕生日、看護師がさりげなく彼女の希望を聞くと、ご主人との思い出があるのか山を見たいという。ベットから車椅子に移動するのも禁止されている状態なのに、看護師たちの手回しで、誕生日に車椅子に乗せて、病院の屋上に行くことを、主人公の立会いの下で許可せざるを得なくなる。彼女は北アルプスを眺めながら、彼らの配慮に深く心打たれる。そして、ご主人との思い出の品、「文明堂のカステラ」を主人公の奥さんが探してきて、彼女にプレゼントする。うれしさの余り彼女は絶句して言葉を失う。現実には出来ないことであるが、作者の医者としての理想を描いたのかもしれない。
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一分一秒でも命を延ばすことが治療ではなくて、命の尊厳を彼女を通して語ろうとしているみたいだ。 亡くなった後で先生宛への手紙が見つかり、その中に「病むことはとても孤独なことです。」と書いている。病まなくても人は孤独になる時がある。
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イエスさまが、税金取りのザアカイや、人の目を避けて生きているサマリヤの女に声をかけたのは彼等が孤独であったからだろう。しかし、声をかけたのは「あなたは孤独ではない。私がいる」と語りかけているような気がする。だからこの二人は、新しい歩みが出来たのだと思う。
2010年7月20日火曜日
金賢姫来日
中井洽・拉致担当相は20日、閣議後の記者会見で、大韓航空機爆破事件の実行犯の金(キム)賢姫(ヒヨンヒ)元工作員の来日について、「総理、官房長官、外相、法相の協力と韓国政府の決断で実現した。世界に日本と韓国が一体となって拉致問題に取り組む姿勢を示せた」と話した。(MSN 産経ニュース)
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来日には色々な意見があるようだ。拉致問題では拉致被害者のお気持ちはよく分かるのだが現状のままでは進展がないのではないと思うのは私一人ではあるまい。拉致問題では、先日亡くなられた高橋三郎氏がこのようなことを書いている。
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拉致問題の真の所在
去る10月5日は、13歳の時北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの44歳のの誕生日であって、ご両親のもとに多くの友人が来訪して誕生日祝賀会が行われた由、その様子がテレビで放映された。来年こそこの席にめぐみさんを迎えたいという切実な願いと併せて、何故交渉が書くもはかどらないのかという苛立ちの声が上がったのは、聞き捨てならぬ呻きとして胸に突き刺さった。しかし何故こういう事態になったのかという理由について、明確な認識を持つ人の声に接しないので、これについての私見を述べることにしたい。
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2002年9月17日の小泉訪朝のとき、金正日総書記が日本人拉致の事実を認めて謝罪し、小泉首相は日本による植民地支配に対する償いとして経済協力を行なうことを公約し、この二点が平常宣言として発表されたのだった。その42日後(10月29,30の両日にわたり)クアラルンプールで第一回日朝国交正常化交渉が行なわれたのだが、日本代表団は、経済協力についての討議に入ることを拒否したのである。これは赦し難き背信行為であったから、北朝鮮代表はは激怒して席を立ち、日朝関係は修復不可のな断絶状態になってしまった。かくも重大な背信行為に日本政府を駆り立てた原因は、アメリカからの指示によるとしか説明のしようがない。
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北朝鮮は日本からの経済支援をきっぱり諦めて、中国の経済発展に範を求めようよとしたり、核実験という危険な賭けに出て、(核施設の稼動停止という条件の下に)重油100万トンの支援を受ける約束を取り付けるなど、あらゆる手段を講じて経済再建への模索続けてきた。つまり日本を相手とせず生き延びる道を模索してきたのである。その上、北朝鮮との直接交渉を拒否し続けてきたアメリカが、2003年以降この方針を放棄して直接交渉に乗り出したため、北朝鮮をめぐる国際情勢は益々北朝鮮にとって有利となり、六カ国協議の場においても、日本だけが孤立する事態となった。
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しかし日本は「対話と圧力」によって交渉すると言っているのだが、これは力づくで相手を押さえ込み、こちらの思う通りに動かそうとすることでもあって、真の(ギブ・アンド・テイクを基本とする)外交とは言い難い。誇り高き朝鮮人がこれに屈服するなど、あり得ぬ事であって、日本は今や拉致問題解決のへの糸口を、自ら断ち切ってしまったのである。日朝間の国交を再構築する事こそ、拉致問題解決のため不可欠な前提であって、日本はかつで残虐極まりない朝鮮人連衡の罪を謝罪する所まで遡って、和解の手を握らなければならない。そして拉致問題だけでなく、北東アジアの諸国が平和共存できる連合体を形成するという地球規模の課題に対しても、日朝両国の和解の達成は、焦眉の急を告げる我々の課題である。(2008年10月12日) 「十字架の言」誌 第11月号より
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以前から、拉致された5人が一時帰国を果たした後に北朝鮮に帰さなかったことや家族の帰国問題の取り扱いに、苦言を呈していた。正しいかどうかは分からないが一考に価するものではないだろうか。北は指導者が変わろうとしているとき、日本はどのような選択をしていくのだろう。外交手腕が問われる。
2010年7月16日金曜日
選挙その後
あれだけ声高に叫んでいたのに選挙が終わったら沈黙するなんて信じられない。あれは何だったのだろう。そんな事はないと思うが、もし選挙だけのものであったのなら、選挙民を愚弄するものだ。聞いていて、言葉の軽さを感じるがその辺が問題なのかもしれない。もう党利党略で動く時ではない事は議員さんもよく認識しておられるであろうから、これからを期待しよう。特に若い政治家さんに期待したい。
今、「坂本竜馬を斬った男」という本を読み始めている。坂本龍馬も大河ドラマも興味はなかったが、龍馬を斬ったと言われる今井信郎のお孫さんが著者だと言うので興味を持ったというだけのことである。それにこの方の後半生は基督者として歩まれたとのことでも興味もあった。この出来事も色々脚色されたりして、本当のことは謎のようだ。
そんな事を考えていて、福音書を思った。福音書はイエス様の生涯が記されている。迫害の中で、弟子たちが、或いは語られたことを福音記者が書かれた。今日でもイエス様の生涯が手に取るようにわかることはすごいなと思う。聖書は何ものにも代え難い世界遺産だ。
2010年7月12日月曜日
選挙
今回は菅さんの消費税発言が問題になっていたが、でも、これが民主党なり菅さんの本質なのだろうなと思う。それが露呈しただけではないのかな、傍観者であり、多くの面で知らないことが多いが、政策論争などで国を2分なり3分するような選挙が出来たらいいなぁと思う。若者を含め、国民が関心を持てるような政治をやってほしいものだ。
世界が変わり、日本も変わってきている。そんな中で政治は相変わらずではこの国はどうなるのだろうか。国内の問題は勿論だが、国外の出来事なり、流れに目を注いでほしいものだ。アメリカやヨーロッパ、そして中東、そういえば中東問題の専門家の大野さんが当選している。議員さんに色々示唆してほしい。中国も台頭し、日本がその下に位置する日も近いかもしれない。ある面では既になっている。中華思想が表立って来たらどうなるのだろう。台湾とも接近しているし、北朝鮮とも距離をとらない。日本は拉致問題で膠着している。ウルトラCの外交が出来る日本だといいのだが…。
2010年6月30日水曜日
高橋三郎先生
以前にも書いたが、会ったのは二回しかなく、それも言葉は交わしたことはなかった。最初に読んだロマ書講義の衝撃は今も忘れられない。信じて間もない頃で、聖書の知識もなかった所為もあったのだろう。それに集会で生まれ育って、得た知識は「無教会は神学を勉強しているだけ」とインプットされていたから、尚強かったのかもしれない。それに先生は福音に対しても熱心であった。このことを知って、諸集会の他の教会に対する認識は一面的で、一言で言えばいい加減、と言われてもしょうがないと思った。批判するならもっと調べてからと思う。独善的なのである。島根県の江津市に高等学校をつくっていている。
あれから「十字架の言」誌を購読していて、多くの示唆を受けた。手紙で何度かやり取りして、汚い字でお叱りを受けたのが印象に残っている。何冊か本も購入したが古いのは外箱が触ると崩れそうになるのもある。ロマ書講義、ヨハネ伝講義、マタイの福音書講義は、今も時折手にして、参考書としている。
2010年6月26日土曜日
杉島ドーナッツ
左折した所まで戻り、更に山に向かって走るがこの先には集落は無い。今話題になっている気のある場所を過ぎて更に山に入る。車一台がやっとというところの山道を走って、向こうから来たらどうするのかと思うような道である。途中から駒ヶ根方面の看板に沿って、右折する。下りになるがここも狭い。数台行きかったがどちらかが広い所で待機しての相互通行である。丁度そのようなところがあったから良かった。そこからかんてんパパに寄り、そこで買い物と少し寛いで、更に走り、見晴らしファームで野菜を買い、そこのお風呂に入って、すっきりして帰ってきた。途中蛍の里があったのだが疲れてパス。
天竜川に沿って走り途中から高遠に抜ける道に入り、一部集落が切れるような道だったが高遠の手前に出る。高遠の街を過ぎて長谷に向かう。そこに南アルプス道の駅があって、そこのミニクロワッサンがおいしかったのでそれを幾つかと他のパンや野菜を買い、そこのデッキで昼食をとる。それから前記のところを通って120キロの信州の旅、信州は季節と、場所で雰囲気が違うから車で走っていても楽しい。奥原菓子店ドーナツ万十が正式名称であります。
2010年6月16日水曜日
父よ、父たちよ
男性が父親との関係に複雑なものを持っていることを以前から指摘されて、男性集会などで、そのことを扱っていたみたいだった。今回はその集大成のようなものなのかな。
自分は父親とのつながりの少なさからどう捉えて行けばいいのだろうと思いながら読んでいた。父は5歳の時に戦争から帰って来て、女だけの家族から、知らないうちに父が中心に動いている事に気付かされる。知らない男が何でとの思いは今でも覚えている。3歳くらいの時に父が何かで帰って来たことがあった。家族が囲炉裏を囲んで話をしている時、兄と私は父の軍刀をヨタヨタしながら支えているのをみんなが笑って見ていた。あの時はどこか和やかな微笑ましい出来事のように感じたことを今も良く覚えているがあの時とは違っている。物心が付いてきたのだろうか。それから信仰を持つまでは心は開くことはなかった。兄は最後まで駄目だったみたいだ。私たちだけでなく、この年代は同じような経験をしている人が多い、ある方はそれで精神的な病気にもなっている。弟が生まれて、可愛がる父の姿を見て、羨ましいとは思わなかったがこれが本来の親子の姿なのだろうと子供心に思った。だから弟だけは父に対する印象はすこぶるいい父親なのである。
殆どコミュニケーションのなかったことは、子育ての中に父親像を描くことが出来なかった。それで子供は「ほっといても育つ式」と「駄目駄目式」でやったから、子供は…。そのことだけではないのだろうが。それと私の中には自分を守ってくれる母親像はない。こんな所で培った性格はいいはずがない。そんな親が子育てしたら…。
父と向き合った時は、晩年の幼子のようになっている父だった。他愛もない言葉に耳を傾けて、頷いている自分を思い出す。
読み進む中で、もしかしたら父親のイメージは子供を通して見ることが出来るのではないだろうかと思った。自分はこういう父親であり、子供は自分をどう見ているかを思うと分かるような気がする。絡んだり、見えなかったりする父親像、これが解け、見えてきたら「父なる神」のイメージも大分変わるような気がする。
2010年6月14日月曜日
バプテスマ
証しも年配者だから色々な経験をされて、今でもそうだが苦労された事が垣間見え、涙する人もいたりして感動 ものだった。バプテスマを施した伝道者のM兄は彼女の信仰告白が伝道者になる印の一つとして祈っていたこともあり、また、東京から来た兄姉たちも以前来られていたので、それなりの思い出を持っている。そんなので感動も倍加した感じでもあった。
バプテスマは、ある姉妹の家のお風呂を借りていたが今回は東京から大勢来るというので広い所を捜すことになった。銭湯に当たって断られ、民宿も一軒オーケーを取れたがあまり綺麗でなく、一応確保しながら、もう少しいい所との思いで捜す。そこで前に断られたスケートの森に再度声をかけて交渉して借りることが出来た。公共機関などは洗礼や聖餐式となると宗教行事にあたるのでそれだけで断られる。最初にこのことを言ったら断りかけそうになったので、短パンにTシャツで浴槽に浸かって、それで終わり、後は聖書の勉強会だけですと、このことを強調して言う。まぁいいかという雰囲気で貸してくれることになった。パン裂きもあるかと思いながら、広い意味で聖書の勉強会と勝手に自分に納得させる。キリスト教 のキの字も知らない方で、キリスト教で訪問している人たちと同じかと聞かれて、彼らは聖書の一部分を使っているだけでキリスト教とは全然違いますと言ったら、あっさり頷いてくれた。
スケートの森だから夏は暇かと思ったら、夏でスケートリンクをやっているところは少ないので、大学等の合宿で忙しいらしい。関西やその先からも来るそうだ。来週から始まると言われ、4月から6月半ば位まで閉めているがその間氷を砕き、設備を整備して、借りられるのは5月末から一ヶ月未満のうちだったらしい。全くのグットタイミングだった。
今回の出来事を通して、最初は何処を捜そうと思案し、そして最初にいいと思ったところが断られ、少し落ち込んで思案するが神は最善のことをしてくださった。駄目な時は更に優れたものを備えてくださっていることを教えられる。その事を教えられただけでも良かった。次回は何時になるか分からないし、そのとき借りられるかも分からない。しかし、あそこは浴槽はいいのだが宿泊施設だから畳のみで、ミーテングルームは狭いし、次回はもっといいところを捜せたらと思う。人間的な思いと神の思いの違いはこういう時に直ぐに際立って分かる。無教会信者ではないが、彼らの言わんとすることも分かるので、救いに直接関係のないことに苦労するのはなぁと思ったり、教会が滴礼を施すのがなんかよく分かるような気がした。信仰の薄き者よ。
2010年6月8日火曜日
言葉の人
鳩山さんにはただ驚くばかり、言葉に重みがない。一国の首相が言うからと期待していたら、どこに根拠があって言っているかと思ってしまう。まぁ強権政治より良いかもしれないが、政治家の資質はない。言葉で言っても沖縄の痛みは月々1500万の小遣いを貰っている人にはわからないだろう。それを知らなかった聞くとまさにお坊ちゃんの域を出ていないように感じる。知識があれば大学の先生は務まるだろうが言葉だけだったら政治家は勤まらない。「友愛」にしても賀川豊彦の「友愛経済」を思い出す。賀川には貧民救済という理念を持ち、その為に行動した。これはECの理念の関与にもつながったと聞く、鳩山さんには手を汚す姿勢はないように見える。もう政界から消えるべきだ。彼を見ていると自己中というより自己愛なのかなぁ。聖書の語り手は鳩山さんの徹を踏まないように心してほしい。
2010年6月6日日曜日
話し終えて
2010年5月29日土曜日
シニアキャンプ
今回は夜までいたので裏方の働きの大変さを教えられて、おいしいどこ取りの参加に反省させられる。以前いた集会の姉妹たちと行動を共にして、出かけなくて交わったり、運転手をしたりと彼女たちに合わせたからまぁ良かったかなと思っている。
2010年5月25日火曜日
IQ84
前のストーリーはほとんど忘れてしまって、読みながら思い出している。そう言えば二月か三月に借りてきて読んだ東野圭吾の「カッコウの卵は誰のもの」ももう細かいストリーは思い出せない。題名が「あ、そういうことか」という印象しか残っていない。余り気にならないのは、ジル・プライスという人は14歳からの記憶を鮮明に覚えているそうだ。素晴らしいことだが、私はネクラだから過去を振り返ると落ち込むものが圧倒的に多いだろう。私にとって「忘却」は大切な機能だ。と言っても聖書の話やいいことも以下同文だから辛い。しかし、「齢は過ぎて健やか」(詩90:10)な世代に入ろうとしているから「ま、いいか」と思っている。それに私は忘れることが仕事みたいなものだが主は、「見よ。わたしはあなたをわたしの手のひらに刻みつける。…」(イザヤ 49:16)(新共同訳) と言われる。私ではなく主が…。
村上春樹の作品は解説がないと分からない。どこか荒唐無稽な、そして明らかにあの教団かあのグループかと分かるような名前で出て来る。しかし、最初は別個の出来事でも読んでいくうちに繋がりが分かってくるから段々引き付けられてくるから面白い。そして殺人や暴力的な出来事があるが、どこか真の善人も悪人もいないのかなと思わせるような気がする。でもどちらかというと善意が、勿論、性善説をとっているとは思っていない。河野義行さんのオームに対する態度と似ているような気もする。適当な言葉が思い出せないが。
聖書を読んでいる者にとって、あれっと思わせる出来事もある。私には理解不能だが何かメッセージがあるのだろうな、誰か解説してほしいものだ。
2010年5月21日金曜日
ニュースを観て
もう一つは特集として、「摂理」の大学生に勧誘しているニュースだった。大学の当局者がそのことで苦労されている姿をレポートしていた。当人は韓国の刑務所に入っているからもう駄目になっているのかと思っていたが強かに活動しているらしい。何で大学生がと思うが、以前、職場に統一教会の信者がいて話しをしていて、非常に真面目で純粋なところがあることを知って、勧誘されるて深みにはまって行くのが何かよく分かるような気がした。
真理に耳を閉ざしている日本において何でカルト的なものが活動できるのか。逆に真理に対して無頓着だから活動しやすいのかもしれない。しかし、私たちの集まりは、自前の集会所を持っていない。公共の施設をその都度借りている。貸す側は宗教に対して、非常に敏感である。聖書の勉強会として借りているが、パン先などは明らかに宗教行事である。まだ10人に欠ける小さい集まりであるから何も言われないが、心配は心配である。事実、今度洗礼式を行うので場所を探してそのことを痛感した。株式会社であるが第三セクター的の施設を借りられることが出来たがキリスト教の洗礼というと途端に態度が変わったので、簡単に水に浸かって上がるだけ、あとは聖書の勉強会である事を強調して了解を得た。無理解とキリスト教のカルト的な働きがあることを日本の社会はしっかりと学習している事を教えられる。どちらにしてもこういう事件が公になると更にキリスト教に対する印象は悪くなり、警戒される傾向が強くなってはと心配になる。
これらはカルトを批判することとは別にキリスト者の信仰と生活が一致していない一つの印ではないだろうかと、特にこちらに来てそのことを思う。神学も大事だが「地の塩、世の光」としてのキリスト者であることの大切さを教えられる。と書きながら書いている本人がその対極にあるのもなんだなぁ。
2010年5月17日月曜日
愛することと敬うこと
妻の必要は夫からの「愛」、しかし、夫の必要は妻からの「尊敬」
エペソ5:33は命じます。「あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻も自分の夫を敬いなさい。」 ブログより
妻は愛を求め、夫は尊敬を求めている。これが出来たら夫婦関係はうまくいくということか、少し短絡的かな?
2010年5月16日日曜日
最近思うこと
妻の話を聞くと言うのは夫にとってそう簡単な事ではない。牧師なんかも奥さんから言わせれば、その際たるものではないだろうか。集会の伝道者や責任者も似たり寄ったりでは…。相談や深刻な問題は聞くということはあるだろうが、妻に限らず、信仰の問題、聖書解釈などでは確信があるから聞くというのは努力が要るように思える。むしろ「聞かない」と言った方が正解かもしれない。
最近、家内の些細な一言でカッとなって、一言二言何か言ってしまった。何でカッとなったのだろうと思い返した時、その言葉が結論付けた命令口調である事に男のプライドが作用したみたいだ。男はプライドが女性より強いような気がする。「夫たちよ、…」の本の帯びには「プライド、支配欲、金銭欲、性的誘惑…」と男性の特徴が書かれている。これを正直にに出せるか否かで大分違うのではないだろうか。それに加えて弱さも。今「情緒的に健康な教会をめざして」を読み直しているが、このような生き方は難しいだろうなと思う。
2010年5月12日水曜日
御柱
久しぶりに自転車で諏訪湖一周をしたついでに、既に建てられている下社の秋宮と春宮の御柱を覗いて来た。あの賑わいは何処にと思うほどひっそりとしたもので、春宮などは二人も亡くなっているのにと思ったが過去になってしまった事は忘れ去れて行くものである。家族だけが悲しみが続くのであるが。
使徒の働きで見る集会は今日の家庭集会の様なものであろう。シンプルでイエス様のことだけ、カソリックをはじめなんであんなに仰々しいのだろうか。小さい時に経験した田舎の祭りはシンプルだったような気がする。長い歴史の中に一つ加え、二つ加えて今日の様な複雑になって行ったのではないだろうかとキリスト教界を見てそう思った。ついでに本質が見えなくなってしまうというか、本質でないものが本質のようになっていくのは日本の特質かな?仏教なんかもその際たるもののような気もする。何事も「シンプル イズ ビューテフル」なんて言葉があったような気がするが。
2010年5月8日土曜日
クリック募金
引越す少し前までやっていたが忙しくなったので止めてしまっていた。また始めて、以前からのもを見ると懐かしさを覚えるし、新しいのを見ると少しづつ増えているんだと思うとうれしくなる。
ワンクリックすると協賛している企業が一円を寄付してくれる。一人が毎日やってもトータルで4千円弱にしかならない。しかし掛ける人の数だから馬鹿にならない。もっと企業も増え、クリックする人も増えたらもっと目に見える活動が出来るだろうにと思う。
こういう関係はよく分からないがワンクリック一円というものだけでなく、色々な形態ものがあったらいいと思う。募金する人がそれに合わせてやればいい。福祉法人とか学校法人に寄付をすると税の控除を受けるが、他はどうなのだろう。日本ではまだ表立った姿になっていないような気がするがどうだろう。自分とか自分の回りには心するが、他者に目を向けることって少ないのかな、反省を含めて。
2010年5月5日水曜日
この連休
菅平も10数年ぶりだったような気がする。若者のキャンプだから知っている人も少なく、それにすぐ帰らないといけなかったから、M兄にろくに挨拶もせずに帰ってきた。というより、順兄に来る途中で、ハンドルを切ると異音がすると言ったら、見てくれて、家内に挨拶を任せた所為もあった。オイルが少なくなっている所為で、エンジンには関係ないとのことでホッとする。丁度12月点検が7日に予定していたので良かった。
行く途中で、上田市武石の余里の桃の花を見物して、集落の道路添えにたくさんの花を見ることが出来て良かった。山間に近い所だが人がそれなりに来ていて賑わっていた。飲み物と大福を買って、歩きながら食べる。唯一の収穫。
帰りは高速で帰ってきたが200キロチョッとあった。これからも機会があったら夜だけ顔を出そう。信州の兄姉と親しくなるためにも…。
2010年4月29日木曜日
男性集会
先生を紹介してくれたのは、北関東のS兄がカナダに留学している時に、こんな人がいるよとHP を紹介してくれて、メールのやり取りをするようになった。その時は年に2回日本に来て、各地を講演していて、東京の時に案内を戴いて三度ばかり集ったことがあった。集会だと聖書の話を聞くという受身的なことが多かったから、考える事とかデスカッションをすることに最初は戸惑った。今も相変わらず思考停止はちょくちょくあるから、討論やデスカッションは苦手である。 本質的なものではないが。
S兄と同じ集会に集うK兄は神学校で講義を受けたそうで、先生の話はもうと言われていたが、名古屋での集まりで会ったらしく、全然違っていたようなことを言われたので会った時にその旨を伝えたら「私も色々ありましたから」と言われたことが印象に残っている。またS兄がコメントしたことで神学フォーラムが出来たようなことも聞いた。
先生の交流の広さに驚く、教会関係の第一線で活躍されている方との交流は当然としても、ある集会の後で、そこに集っていた一人の方の事を聞いて驚いた。具体的なことは書けないがそんな人まで来るんだとその巾の広さに感心する。私もその端っこにいるのだろうが。
プロミスキーパーにつながるのだろうか日本でも男性だけの集会を良くやっているようだ。実は一度だけそのような集会に集ったことがあったが、自分でも自覚するほど硬いなぁと思った。 今ある自分が父親との関係、幼い時の出来事等が深く投影していることも先生の交流から、また書かれた本を通して知る事が出来て感謝している。出会いがなかったら自分が見えなかったかもしれない。こちらに来て更に自分が見えるようになったからその下地があったからだろう。
男性の信者を見ていると父親から受けた影響の大きさを知る。自分も受け、そして子供にも大きな影響を与えた。それもいい意味より、悪い方が大きかったのかなと思う。男性はプライドが高い分だけ傷を受けやすいのかな。振り返るとほんとに自分が見えなかったなとつくづく思う。何時か男性の集まりに参加してシェアしてみたい。
神学的なものは難しいがこういう実体験的なものは共有できるから共感する。ヤコブにはイサクという父親がイサクにはアブラハムという父親がそしてアブラハムにはテラという父親がいた。どうもアンチ父親的なものが皆持っているのかなと三人の族長を見ても感じる。
2010年4月28日水曜日
ふらりと
今日も道の奥の方に十字架が見えたので覗いてみたら聖公会の教会だった。この街にもカソリックがあり、五つか六つの教会がある。そう言えばこの間、町内会の仕事で入山チェックを頼まれてやっていたら、近くの団地に住むブラジル人(顔も名前も日本人?)がカソリックだと言っていた。信仰の話しはしなかったが、暇だったのと向こうも話し好きで少し話し込んだりしたことを思い出した。
少し走って、線路の近くに小さな和菓子屋さんが有り、あんころ餅の字が目に入ったので、店に入ったら土日しか作っていないとの事、明日は予約がありますからとっておきますよと言われたがそれほどまでして食べたいとは思わないので断る。焼き団子と柏餅があったので、柏餅は連休いっぱいで終わりだろうからと買って来て、おやつタイム(我が家は4~5時頃)で食べたがおいしかった。あんころ餅を売っている所はほとんどないから何時か土日に寄ってみよう。本物の餅の大福も見つけたし、また一つ楽しみが増えた。
ケーキは食べないことはないが買ってまで食べたいとは思わない。店に陳列しているのを見ても何の反応も示さない。そこが家内と違うところだ。しかし、餅とか大福、たい焼きや今川焼きになると、これらのものには目がないからすぐ買ってしまう。といっても和菓子屋さんで売っている餅は、サトウの切り餅などよりも高いからそう簡単に買わないが、たい焼きや今川焼きは余りおいしくないなと思っても買ってしまう。色々と弱さがあるがこれも弱さの一つである。しかし、今日の収穫はあんころ餅店を見つけたことでした。
2010年4月27日火曜日
大いなる西部
牧童頭であるヘストンが、東部から来たペックを案内しながら広大な西部を自慢げに「どうだ広いだろう」(多分そうだと思うが)と言うとペックは事も無げに言う「海はもっと広い」ときょとんしたヘストンの顔が、コントラストとして面白かった。西部は桁違いに広いが海は更にそれに比較できないほど広いのである。
聖書の理解もこのようなものかもしれないと思った。2テモ3:14に「学んで確信したところにとどまっていなさい」という言葉がある。指導的立場にある人はここでとどまることは難しいだろうなと思う。全ての事に結論を求められて言わざるを得ない。そして確信となっていく過程で、何時しかその辺の謙虚さが失われていっているような気がする。幅広い見識と謙虚さ難しいことだが大切な事だ。
2010年4月22日木曜日
ブログサーフィン
キリスト教関係のブログを読むと千差万別なのに驚く、日々の証しから聖書の専門的なことを論じているものと色々である。その信仰も千差万別であるし、当然といえば当然だが、専門的なものは論じていること自体理解できない。それに英語が分からないからそれに加速する。また、異端を含まなくてもキリスト信仰にこうも理解の違いがあるのかと驚く、聖書のみの信仰で育っている者にとってなおのことである。
長谷川町子さんの「意地悪ばあさん」の漫画に、おばあさんが「これからは世界情勢を勉強しなければ」といって新聞を読み、結論が多分「チャーチルもスターリンもルーズベルトも毛沢東(もだったかな?)も先は長くないな」だった。聖書や神学に対しての私の論評は似たようなものだからやめておくが、論議の種は尽きないものだなぁとつくづく思う。自分はヨブ記の「知識もなく、摂理をおおい隠した者は、」(ヨブ記42章3節)を思いながらも、首を突っ込んでかじれる位の知識がほしいなとも思わないでもない。そしたら今で際なのに・・・である。ま、非キリスト者と更に乖離してしまいそうだから、 素朴な信仰で我が道を行こう。素朴かなと問われると?
2010年4月15日木曜日
弱さ
弱さってなんだろうと思う。逆に強さを考えると分かるのかもしれない。パウロは熱心にキリスト者を迫害していた。この時、彼は強かったのではないだろうか。この熱心は神に対する熱心さであり、尋常ではないことを使徒の働きの中でも伺える知る事が出来る。しかし、この熱心さは神に敵対するものでしかなかった。ということは熱心は気をつけないと神に反逆することになる可能性を含んでいるということだ。イスラエルは義の律法を追い求めたが行いによってそれを求めたために得ることがなかったことをパウロはロマ書で書いている(rom9:31-32)。
この熱心は人間の側に視点を置いている。頑張るは頑固で張り合うと読んだ方がいるが人間の姿そのものである。弱さも多くの場合「甘え」に繋がるがパウロのように「誇る」ようにならないと駄目なのではないだろうか(2cor12:5,9,10)。キリストの弱さを知り、自らの弱さを誇ることが出来たらホントの強さが生まれる。信仰者にとって「弱さ」は大切なもの、でも正直強さがいっぱいだなぁ。
最後にKさんコメントありがとうございます。興味はあれだけです。
2010年4月12日月曜日
月一回
それと10人に満たない小さな集まりで、何時もは日曜日の午前中の1時間半の集まりだけだから、4時頃まで集まりがあり、他から来て下さって、聖書の話を聞ける刺激は大きい。それに福音にしろ学びにしろ分かりやすくて好評である。そして夕食を共にして帰られるが、そこでの交わりもざっくばらんに出来るから楽しい。忙しい兄弟であるから何時まで来て貰えるか分からないが、集会にとって大きな慰めと励ましのいただける月一回の日である。しかし、この時は人が何時もの倍近くになるから翌週のギャップの大きさが悩みの種である。
人がいないので司会や話しを替わり番にをしているが、つくづく下手だと思う。私はやはり裏方がいい。口や頭を使うより体を動かしている方が性に合っている。大分前にある若い姉妹が「父は話す時、本当に嫌だという顔をして話す」と聞いて、同じような人がいるものだと共感を覚えた事がある。そこもファミリーで集まっているような小さな集会と聞いている。何処でも何処でもリリーフピッチャー、ピンチヒッターである事は間違いない。若いO兄も奥さんが救われ、バリバリやってくれる事を期待し、祈っている。それまで老体をプッシュしてやります。主からの力をいただきながら・・・。
2010年4月10日土曜日
最近のお天気
そんな事を書くつもりではなく、最近のお天気の不安定さである。三寒四温も過去のものになりつつあるが、と言っても電気毛布はまだ離せない。昨日は雨で、今日は朝から晴天で気温も高く凌ぎやすかった。真冬だと布団を干しても日の当たるところは暖かいが当たらないところはひんやりする。しかし、今日は暖かくて、布団全体から温もりが伝わってくる。春の陽気ってこんなんだったかとフッと思うがどうだったのだろう。
春の雨を見ると、パレスチナは日本と逆だが春の雨、または後の雨と言われ、収穫の大切な雨である。日本では梅雨は鬱陶しいが稲のためには必須のもの、農家育ちにとっては、恵みの雨である。しかし田舎を離れて長くなると、鬱陶しいのは鬱陶しいとの思いになって来て久しい。
この地上はお天気を含めて、絶えず移り変わって不変なるものはない。不変なるものは唯一の方のみでいい。この方にお会いするのは…。
黄昏
ほとんど忘れてたが、静に時が流れていく中で、夫婦だけの生活から、娘の子である孫を預かるところから変わってくる。父と娘との確執が孫を通して、結果的に和解していくというかわだかまりがなくなってくる。それって距離を置くか、年月を必要とするか、第3者が入るかでないと解決しないのだろうなと思う。最近、旦那に失望している老嫁の話をよく聞く、優しい旦那も身近にいるが、地方はまだまだ「俺が食わせてやっている」の亭主関白的発想が強いのかな、なんでそんなに拘るのと思うことがあるが、離婚とか老嫁の反撃を食っても目が覚めないだろう。映画の主人公のような歳になってくると、自戒をこめて、拘らずに静に黄昏て生きたいとそんな事を思う。
2010年4月7日水曜日
四福音書対照表
なんか表にすると見えるものがあるのかなとの思いと、聖書をあまり読まなくても福音書の流れが分かればそんな思いだった。一番は共観福音書とヨハネの福音書が同じ出来事を扱っている箇所がすぐ分かる事だ。ヨハネの活動、宣教の開始、5つのパンと2匹の魚の奇蹟、最後のガリラヤ伝道、エルサレム入城、ゲッセマネの園、ユダの裏切り、カヤパの前で、ペテロの否認、十字架、イエスの埋葬、そして墓を訪れる婦人たちがあった。ガリラヤ伝道は異論があるかもしれない。
それと、湖上を歩まれるイエス様の出来事がヨハネにあって、ルカにはない。マタイ、マルコは弟子たちの不信仰を際立たせているが、ヨハネは弟子たちは恐れたがイエス様と分かると喜んで船に迎え入れたことが書かれている。平安と不安や恐れの間を振り子のように動いている信仰者にとって、これはうれしい事だ。記者が何処に視点を置いて書いているかが、分かるような気がする。現実の中で右往左往してしまう自分が何処に信仰があるのだろうと思わされる時はショッチュウである。弟子たちは恐れたかもしれないが、最後に弟子たちはイエス様を見て喜んだのだよとヨハネは言っているような気がする。
2010年3月30日火曜日
コスモスの花のように
2010年3月27日土曜日
判官贔屓
わたしもどちらかというとこの傾向が強い。勤めていた頃は、上司とよくぶつかることがあったが同僚や後輩ではほとんどなかったように記憶している。以前、社会党があった時は、社会党を応援していた。政策に賛同したというより、自民党の対局として強くなってほしいという思いだった。それも叶わず解党しそうだが。今は民主党である。これも同じ発想。しかし、大分前からだが実に情けない。コメントする気にもならない。自民と組んでいた公明党は嫌いだったが、今だと連立を組んだら面白かもしれないなんて思っている。公明党も変わりつつあるかなと思っているがどうだろう。ビジョンを持った若い人たちが老害と闘って国を立ち上げてほしい。政策でのライバルとしての民主であり、自民であってほしい。諸集会でも言える事かな。
2010年3月23日火曜日
唯一の読者
それが何時からだったかアクセスできなくなって、トラブルでも起きて辞めたのかなと思っていたら最近アクセスできるようになった。ちょっと違った感じに変わっていたので驚いている。何時だったかK兄を看護していた姉妹が倒れて入院されたことが書かれていて驚いたが、そんな集会の様子を知ることが出来たりで楽しみなブログである。これからも楽しみにしている。お気に入りに残していてよかった。
もう一人の方も見つけてくださった。この方も諸集会の方である。ブラザレンについて詳しく書かれてアクセスも多い。とても参考になる。お仕事がお忙しそうで少し休んでおられたがまた書き始めたようでこれも楽しみでもある。
お気に入りに入れているのはこの二つと以前いた集会のW兄の三つを入れている。何時もみるわけでないが、増やしたり減らしたりのブログである。
2010年3月13日土曜日
組織神学
2010年3月11日木曜日
電話
70代で一人住まい、私たちがこちらに来ると分かった時はショックだったみたい。住まいも離れていたから都心に出る時についでに訪ねたり、集会で少し話をするくらいだったが、年配の夫人たち以外と話すこは少ないから、それなりに話す相手になっていたみたいだ。こういう人たちの傍にいて話を聞く、私たちに出来る唯一のものだったがお電話を頂くと少し心が痛む。集会ではグループホームのために献金しているから早く出来るといい。一人でいるより煩わしい面もあるが「人がひとりでいるのはよくない」は若い男女だけの問題ではなく、普遍的なものである。金も能力もないが、そんな人たちと一緒に過ごせたらと思うときがある。今はその対極にあるからどこか寂しい感じがしないでもない。
2010年3月3日水曜日
やっと完了
福音書からはじめて、使徒の働きをベースに教会の誕生などまではスムースに出来たがそれから数年立ったのかな中断して久しかった。去年、福音書の対照表を作り始めて、ここに入れるつもりはなかった。始めたら入れようと思うようになり、やる気が出てきたというのが本音。使徒の働きから聖書の順序でなく、書かれた年代順に並べていくと今まで見えなかったものが見えてくるというか流れが分かる。100年の歴史の中に、今日のキリスト教会の縮図が見えるから面白い。
神のことばとしての聖書だが、先人たちが血を流し、命を懸けて書いてきたものだ。どこか土臭く、人間味のあるそんな聖書を感じる。端正という言葉から程遠いそんな聖書を思い浮かべる。聖書の順序ではなくて使徒の働きから年代順に書簡を並べていくと一つの流れを見ることができる。流れから書簡を見るって大切かも知れない。
2010年2月25日木曜日
久しぶりに
何時だったか本屋に寄ったときに、そこの本屋のベストテンコーナーがあって、その中の二番目か三番目に 「神様のカルテ」という本あった。パラパラとめくって面白そうなので図書館に予約していたのを昨日借りてきて一気に読んだ。第10回小学館文庫小説賞の受賞作品である。舞台が松本にある総合病院で働いている若い医師。松本城近辺が書かれていたり、著者も医師だったりするとフィクションと分かっていてもどこか現実味を感じる。
看護師や同僚の医師の描写、死を前にしている患者の姿とその医療に対する有り方、医者としての一つの理想というかこう有ったらなぁとの思いがあったのだろう。同僚や患者さんとの言葉のやり取りとその機微を読んでいると若いときに読んでいた小説を思い出した。信頼関係にある人との言葉のやりとりはどんな言葉でも通じるものであることを教えているようだ。今はそんなことを見ることは少なくなった。ゆとりがなくなったのだろう。キリスト者の中でもそれを感じる時があるから何となく寂しい。
2010年2月16日火曜日
確定申告
2010年2月7日日曜日
自浄能力
イエス様が「仕えられるためではなく、かえって仕えるためである」と御自身のことを言っているがここに原点があるように思える。帰るべきところはここだー。
2010年2月6日土曜日
受けるよりも
確かに「受けるより与えるほう」がいいと思っていたが最近むしろ逆ではないかなと思ったりしている。受ける側はただ受けるだけでいい、与える者は自分の持っているものをあげなければならない。しかし受けるということはそんなに簡単なようには思えない。必要性を感じないといけない。プライドがあったら出来ない。身も心も貧しくなくては受け取れないのではないだろうか。「与える」のは持っているのを与えればいいが「受ける」のは手を空にしなければ受け取れない。これを書いていて20年前に読んだ詩をフッと思い出した。
「宝」
一つまた一つと、神は私から取り去られた。
私がこの上もなく価値ありと思っているすべてのものを、
私の手がからになってしまうまで。
ピカピカ光るくだらないものは
皆なくなってしまった。
私はそれを悲しみながら歩いていた。
貧乏というぼろをまとって。
そして、ついに私を招く神の御声を聞いた。
「あなたのからの手を、私にあげなさい」と。
私は両手を天に向かって差し伸ばした。
神はご自身の素晴らしい富で私を満たしてくださった。
両手で持ちきれなくなるまで。
私はついに自分の愚かな鈍い頭で悟った。
神はすでに満たされている手に、
ご自分の富を注ぐことはおできにならないことを。
「神のすばらしいご計画」より」
マーサ・スネル・ニコルソン
2010年2月5日金曜日
諏訪湖一周
自転車の楽しみは車と違い狭いところにでも入れるし、ゆっくりだから色々目に映るのも多い。下諏訪と温泉街の湖畔は公園もあり、歩道とジョギングコースも分かれていて、本格的な自転車、私のようなママチャリに毛がはいたようなのと数は少ないが走っている。それ以上にウォーキングの人たちが多い。一人とかアベックとか年配の夫婦も結構目にする。このような人たちを見ながら走るのも楽しい。その反面、湊側はほとんどそのような人たちは見かけない。しかし黙々とぺたるを踏むほどではないが釜口水門の脇にある餅屋さんで大福を買う楽しみがある。
お茶を飲みながら買ってきた大福を食べていてフッと思った。なんで楽でもない自転車に乗るのかなと。一つには2,3キロしか歩けないので整骨の先生に勧められたことがある。こちらは車社会で歩かないから運動不足になる。それを補うためである。東京はどこかに出掛けようと思ったら電車に乗らないといけない。エレベーターやエスカレーターはあるが階段を上り下りしないといけないから必然的に足腰の運動になる。こちらは努力しないとそれが出来ない。
この歳になると得ることよりも失うことが多いから何時か歩けなくなるという不安がある。そのために自転車だがここまで走れるということを確認しているのかもしれない。健康と不安解消のためなのかなということを思った。
話題
相撲では貴乃花親方の理事当選、朝青龍の引退。二つとも遅きに失したの感も無いではないが相撲界の欠落したところが見えてよかったと思う。高砂親方がもっとしっかりしていればこうはならなかっただろうにと思うが朝青龍はあそこまでだったのかな。
小沢さんの件も田中、金丸のかつての自民党派閥体質を思い出させる。このようなことは、これが最後になるのかなと思うがどうだろう。お金のかからない政策勝負の政治が出来る世界になってほしい。政治も経済もきれいごと言ってもやっていることは法律すれすれというのも多いと聞いている。ある意味で良心が鋭い人は勤まらない世界でもあるような気がするが。小沢さんがどうであれ、検察が立件できなければしょうがないと思う。もうそんなこと脇の置いてこれからの日本を議論しろよといいたい。もう小沢さんは過去の人になろうとしているのだから。自民党も小沢さんの首を取って気勢上げてどうするつもりかよ。日本の将来を考えてくれ、谷垣さんもいい人かもしれないが粒が小さい。天下国家を論じてくれ。
翻って諸集会を見ていると、この二つの話題と内面的な面で似ているのかなと思う。色々なうわさを聞くがどこか旧態然としているところがあるような気がする。また大切なものをどこかに忘れているのではと思わされることもある。私はある面で、キリスト者は現代の律法学者、パリサイ人に最も近い人たちだと思っている。「驕る平家は久しからず」である自戒をこめて。
2010年2月2日火曜日
2010年2月1日月曜日
ひそぷ様
癌は以前ほど恐れなくなったのかなと思う反面、昨年は伝道者のT兄の奥様が癌と分かってから数ヶ月で召されたり、以前にはS集会の責任者の方の奥様もあっという間に召されたことを聞いている。寝たきりになった友人も奥様が召されてしまった。助けを必要とする大切な人を召されたりする主のみ心は…。
意図したわけではないでしょうが教えてくださったひそぷ様ありがとうございます。
2010年1月26日火曜日
電気の使用量
寒くなって思うことがもうひとつある。前にも書いたかもしれないが太陽が出ている時の陽射しの暖かさである。これぞ恵みと思ってしまう。心まで温めくれるような感じを受ける。しかしヨナ書のとうごまの出来ことを見てヨナに限らず人間って結構いい加減なものだと思う。多くの物を当然のように受け取っていることが多いのではないだろうか。物の豊かさは私たちに感謝よりも不平不満をもたらすことが多いような気がする。感謝するって大切だけど、いざとなると難しい。
2010年1月23日土曜日
懐かしさ
日銀に勤めていて、10年前まで辞められた方たちの親睦団体のような旧友会に10年間勤めていたそうだ。定年からこちらに移ったのだろうがこんなに長いのはめずらしいのではないだろうか。温厚な方だったのでその所為もあるのだろう。もっとと乞われたがお母さんのために辞めたそうだ。お母さんもどちらがお客さんか分からないくらい良くしてくれた方だった。業者の納入の窓口担当で色々お世話になり、行員対象の業者としても入っていたので何かとこちらもお世話になっていた。
業者で本店の行内を自由に歩けるのは本屋と私の勤めていた店だけで、総裁室から地下の市中銀行に届けるパレットの上に10数億単位のお札があるところにも行ったりした。一般の行員でも行けない所を行ったりしていたので行員よりも良く知っているのじゃないと言われたこともあった。たまにTVで支店長会議や政策委員の会議の円卓を見ると懐かしく思う。辞めた当時は知っている顔が映ったりしていた。そんなことを知っているので、懐かしいだろうと送ってきた次第である。販売している会社も一時は定年で辞めた方の受け皿の用になっていたが今は違うみたいだ。それでも社長は元理事だった人がやっているといっていた。仕事としては一番充実していたから懐かしく、タイムスリップする。この方を含め4,5人いたがそれも今回で止めることにした。辞めるということは辛いが老いの次のステップをと思っているがどうなるか覚束ないなぁ。
2010年1月22日金曜日
最後の講座
午後は2006年7月に起きた花岡地区の土石流災害の当時の区長だった小口氏の講演だった。7名が亡くなり、全国的に有名になってしまった災害である。現場の責任者のような立場にあって行動し考えさせられたことを話してくれた。自助、共助、公助の三つの大切さは頷かされ、住民の意識、ボランティアの有り様を考えさせられた。この災害を通して住民の連帯の意識が生まれ、近くの花岡公園の整備を市ではなく、住民のボランティアで整備をやって、2008年度の県の「元気づくり大賞」を頂いたそうだ。昨年の何時だったか偶然その現場に家内と行って、上の方で工事をしていたり、明らかに土石流があったと思われるような土の盛り上がりを見て、ここだったことを知る。そのことが蘇って来た。県内だけでなく県外でも要請があって講演をしているようだ。もう90回からとか言っていたが貴重なお話しだった。住民のその後のメンタルな面を聞いてみたかった。
2010年1月12日火曜日
昨日のこと
ここは何時も講解説教、ロマ書6,7,8章から話された。主題が「御霊に従って歩む」であった。大切なことは誰もが分かっているが、最近聞く色々な集会のうわさはそれに逆行しているようなことが多い。思うに基督者は現代の律法学者、パリサイ人の感があるからと思っているからそれ程驚かないが、しかしそれは表面的なもの、その下には深い神の働きがあるような気がする。
律法と御霊、この辺を対比して語ってくれると面白かったかなと思うが皆さんどんな印象を受けられたのだろうか。ある面で難しく、ある面でインパクトがいまひとつという感もする。私自身のキャパの問題もあからなんとも言えない。
行きは朝7時過ぎに出て、高速で更埴周り、帰りは佐久から和田峠を通る。どちらも時間的にもお金の面でも大体同じ。更埴周りで200キロ、東京に行くと同じ、和田峠では凍結が気になる。年と共にきつくなり、来年はどうなるかもう軽井沢止まりが精々で
シニアもどうなるか、でも前向きでだめなことで悲観的になるのではなく気を切り替えてチャレンジして行きたい。
2010年1月8日金曜日
舞ちゃん
思い出せない
それと今book1のストーリーはほとんど思い出せない。私のうちに何かが始っているのか定かではないがと控え目に書いて実は既に始まっているのである。しかし思い出せないのが悪いのか思い出させるものがないのが悪いのか分からない。古希を迎えようとしている身としては余程インパクトがないと残らない。残っても持続性がないのが難点である。生きる為に必要でないものはどんどん忘れていく、だから深刻になることもないか。忘れたらそれはもう必要ないものだと思うようにした方がいい。
「満ちたりることはわずかですむ
ただ一つでも十分~」
というエミリー・ディキンスンの詩がある。
2010年1月7日木曜日
神長官守矢史料館
写真
先日メールをくれた方は趣味として鳥の写真を撮っている。メールの時は必ず一枚とか二枚の写真を添付してくれる。とても素敵な写真だ。あんな写真なら大きくてのせてもいいが簡単なデジカメで撮っているからたいした物は撮れない。彼は北関東から東京の羽村まで週2回聖書の講義を聴きに行っているそうだ。その前向きと熱心さとどこかいい加減な私、そして不器用さがこんな所にも現れるのかなと思った。
「反省するならサルでも出来る」こんなコマーシャルかなんかがあったがサルでも出来ることは私はやらない。反省はサルに任せて、さて何を・・・。
2010年1月5日火曜日
今年は
区切りがいいといえば今年は古希であり、誕生日が日曜日、4,5年か7,8年の割で誕生日が日曜日になる。信仰を持ったときの年がやはり誕生日が日曜日だった。それでお願いして誕生日に洗礼を受けさせてもらった。これだと何時洗礼を受けたかが忘れない。しかし誕生日やクリスマスを祝ったりしないので、誕生日前後は覚えているが当日になると忘れていることが多い。茗荷の名前の由来を何かで読んだことがある。全く同じような人間であるから丁度いい。
冬は東京に比べたらはるかに厳しい信州の生活を経験して、フッと思う。温暖な地での神認識と厳しい気候での神認識は違うのではないだろうかと。それと四季がはっきりしている日本にいると冬の厳しさを通して、人間に妥協しない神を見る。春には食物が芽を出し花を咲かせるので命を思い。暑い夏は神の裁きを思う。そして実り秋である。
「神は愛である」とヨハネの手紙に書かれているが愛はいのちの生み出し、いのちは希望を生み出してくれる。このことを形にしたのがイエスさまの受肉と十字架と復活である。よく年が明けてから礼拝時にイエス様の誕生の賛美歌を歌う。3日にも礼拝賛美歌98番を賛美した。今年一年はどのような年になるのか楽しみであり、また逆の恐れもないわけではない。